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2F/当番ノート

けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう

当番ノート 第26期

「幸福だ」と思ったことが一度もなくて でも「不幸だ」と思ったこともない
それがなんなのかずっとよくわからないでいる

誰かが「幸福」について話したり「幸せだ」と言う時
その人が満たされている状態だということを感じることができる
でも私は「満たされる」ということがよくわからない

心が乱れておらず落ち着いた状態のことを心地よいと私は感じるけれど
私にはそれが一番「幸福」に近いように思う
揺れる草や葉の音を聴いたり あたたかかったりつめたかったりする風や
落ちてくる雨粒のリズムを感じたり 湿度を纏ったりするとき
鳥の声や動物の気配を見つけたり 青いにおいを嗅いだり
土のやわらかさや 光の眩しさ感じるとき
私の心はまっすぐに 平和だといえる しっかりと呼吸ができる
だけどもやっぱりそれは「幸福」とはたぶんすこし違うんだろう

『「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」』(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)

ジョバンニのほんとうのさいわいはきっとカムパネルラと一緒に居ることだったね
だけどみんなの幸いのためにからだを百ぺん灼く必要はないよ そうあってほしい
でもほんとうのさいわいを失ったあとは どうするの、ジョバンニ
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mito

mito

写真を撮るおばけ
from France

Reviewed by
ふき

「幸せ」と「幸い」はいったい何が違うのだろう。私の中で、同じではないということははっきりしていて、でも言語化できないもどかしさを感じた。
幸せか、と聞かれれば、幸せだと言うだろう。しかし、なぜか、と問われれば、不幸ではないから幸せ。私よりもっと大変な状況に置かれている人がいるから幸せ。という程度の理由しかない。他人と比べることでしか表せない「幸せ」なんてちゃんちゃらおかしい。
では、「幸い」かと聞かれると、私はノーと答える。妬んだり恨んだり、そういった感情をすべて昇華してしまい、美しいものだけが残った、それが「幸い」なのだとぼんやり思う。自分もあなたも、そして世界中を愛おしく思う気持ち。形にしたら、溶けることのない雪の結晶みたいなものなのかもしれない。私は「幸い」な人ではない。

今回のmitoさんの文章を読んで、そんなことを柄にもなく考えていたのだけど、よく分からないや。でもね、たぶん、ほんとうのさいわいを手に入れたら、あとはずっとさいわいなんじゃないかな、たぶんそれを失うことはないんだと思う。だから、怖がることはない―ー

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 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。(マタイによる福音書5:5)

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