お直しカフェ-お直しをする人の溜り場をつくる試み (1)はじめに

第35期(2017年10月-11月)

こんばんは。はじめましての人が大半だろうに、でも久しぶりの人や、しょっちゅう顔を合わせてる友人にも読んでほしいなと思って、それでどちらかというと近況報告のような心持ちでこの連載をはじめます。週1回×2ヶ月の全9回。ふと思い出して、いつか全部読んでね。

すみだで暮らしています
最近の私はスカイツリーふもと、墨田区向島に暮らしています。早いもので、上京してから12年とちょっと。もうだめだ大阪帰る、京都住みたいとボヤいた夜は数知れませんが、東京の近畿地方(と勝手に思っている)すみだに引っ越してきてからは、のんびりしたいわゆる下町の雰囲気や路地、建物、自転車圏内で遊びにいける、新しいちょっと変わった友人たち、それから忍耐強い同居人に囲まれて一層のびのび暮らしています。(一昨年まで住んでた代々木上原での暮らしも、その前の早稲田ももちろん好きでしたが。当然)

寒くなってお直しの季節です
近頃やってることはと言えば、企業の広報の仕事の傍ら、福島で藍の栽培と染めなどを行う歓藍社という団体のあれこれや、お直しカフェという屋号(のようなもの)で、繕いのワークショップや小さな展示など。お祭り好きな性分も相まって、春から秋はついつい毎週末のようにイベント続きでバタバタしてるけど、寒くなってきたら、家にこもって繕いの、そうお直しの季節。やっと本題に入るよ。お直しの話をはじめます。

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お直しのこと
「直す」いう言葉を辞書で調べると、「修理する、修繕する、整える、繕う、そこなわれた気持ちなどをもとの状態にする」などが出てきます。広い。4年前、靴下の穴を自分で繕いはじめてから、しばらくはただ黙々とチクチクちまちまと自分の靴下の穴というか擦り切れた繊維の隙間を埋めていたけれど(当時は片足数時間かかることがざらだった)、けどいつからか漠然とこの広さに向かっていこう、お直しできる守備範囲を広げようと、それで、少しずつ、デニムやニットの修理や、シミのついたシャツを染めて直したりもするようになった。とは言いながら、自分でできる範囲はなかなか裁縫の域を超えないけど、「お直し世直し」などと何やらもごもご言ってる私を傍目に、デザイナーや大工、建築家の友人たちが、もっと大きな、家や村や暮らしそのもののお直しに銘々参画してくれている気がほんの少ししていて、それでもうすこし、この運動を旗振ってやってみるかなというのが、この連載などへの意気込みでもあります。

illustration : Elena Suzuki

illustration : Elena Suzuki

はじめてのお直し
そう、はじめて自分で靴下の穴を縫ったときのことは、今でも鮮明に覚えていて、持っていた刺繍糸の中から薄黄色のものを選び、穴の空いた黒い靴下に、月と星の形(のようなもの)を刺した。本当はずっと刺繍をやってみたかったのだけど、穴の空いた靴下を見て、あれこれでやれば一石二鳥じゃんという、はじまりは軽い動機だった気がする(そこの記憶はあいまい)けど、実際にやってみると、何かはわからないけど「今ひょっとして大事なものごとにアクセスしたんじゃないか」という、小さな一歩を踏み出した自覚がはっきりとそこにあって、小さな穴を埋めただけなのに、何かを修繕することのできた自分とその手を誇らしく思ったことを、やや仰々しくも思い出したりもします。

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新しい価値や関係性を生み出すこと
お直しの良さはたくさんあるのだけど、第一に、モノが直る、モノとの関係を継続することができる(これは、モノを捨てることが苦手な自分に合っている)次に、元あった通りではなく、破れ目を欠損箇所を起点に、モノに新しい価値を付与することができる。靴下の場合それが、いろんな色の刺繍だし、当て布、新しい色。それから最後に、これは想定外だったのだけど、お直しを通じて(例えば靴下と2時間にらめっこしてると)だんだん靴下そのものを見る目の解像度が上がってくる。縫い目の構造や、自分の歩き方の癖、ああ、ここが擦り切れるっちゅうことは、こう糸を通して編んで、それからここも、少し予め補強しとこか、なんて工夫が芽生えてくるのである。そういう繰り返しで、カバンの持ち手を補強したり、机の汚れをやすりで削ったり、ものを作る、道具を使う、手の使い方が増えてきて、これは本当に、暮らしてて楽しいなという実感に繋がるのである。

よいものはカタツムリのように進む
今年の春に、地元大阪の百貨店で繕いのワークショップと展示をやっていたとき、シャンとしたかっこいいご婦人に「よいものはカタツムリのように進む、ね」と声をかけられたことがある。かのマハトマ・ガンジーの言葉である。「直すより買った方が早い」とか「買った方が安い」という言葉が巷にはありふれているけど、果たして、この「早い安い」が、すでにそこにある自分とモノとの関係性をゼロにしてしまうほどの重要性を持っているのかというと、少なくとも私は、気に入って手に入れて、長い間自分の体の延長にあった服や靴下を、小さな穴や汚れのためにゴミ箱にポイっとしてノーダメージでいられるほど、人間の感受性は鈍っていないんじゃと思っている。案の定、これまで直した靴下はどれも、それまでより一層大切なものとなったし、前述のご婦人は、「こういうものが旅に出たとき自分を守ってくれるのよ」とも言った。同感である。そして、いつだってそうだ。

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生きのびるためのお直し
本当は、建築家、石山修武のアポロ13号のお直しの話や、開放系技術の話、レヴィ・ストロースのブリコラージュの話などもしたかったけれど、久しぶりに自分の言葉でものを書くことにテンパってきたので、ひとまず今日はこのあたりで。最後に、靴下のお直しをはじめて半年ぐらいした頃に偶然目にしてとても勇気付けられた、石山修武の言葉を引用して、初回の括りとしたいと思う。

「手仕事をする人」は、ハンドメイドとかそれだけを言っているのではない。情報というものをベースにして、やはり人間の尊厳というものは手で作る、手で修繕することでしかありえない。(中略)ベトナムのホーチミンに行ったとき、四つ辻で自動車やオートバイを分解して修理する人たちがたくさんいました。おそらく、みなさんはいま、現実には自転車さえも修理できないでしょう。(中略)我々は修理ができないものを使わされている。我々は修理できない人種に退行しているのです。これは用心しないといけない。
ー石山修武(2010)生きのびるための建築

決してハンドメイド趣味でお直しをやっているのではない。これは、道具を手に持ち、小さな技術と暮らしの創意工夫を取り戻す、私にできる小さな世直し運動なのである。

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