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お直しカフェ (23) 久しぶりの対面とまな板削り直し

お直しカフェ

家が寒くてカフェに来る季節になってしまった。石油ストーブをガンガン焚いてても、日の当たる外の方が暖かい京都の家…。3年経ってもなかなか慣れず、外に出た瞬間、家の中に入った瞬間、まだまだ毎度びっくりしてしまう。それで、勝手にウォームシェアと称して外出したり用事を入れたりする。本当は冬は家に篭りたい気持ちがあるんだけど、ひとりで家一軒を暖めるのはあまりに不経済だなと思って外に出ちゃう。

時を同じくして、家から徒歩10分程度のところに、京都を代表する、某垣書店の息子肝入りと噂のカフェ、ギャラリー併設の本屋さんがオープンした。日常の延長線上の「文化的のプラットフォーム」ということらしい。そのコンセプト、10年遅かったのでは? なんて生意気なことも思ってしまうが、流石は京都、流石は大垣書店。若返りをかけた新店に全く臆することなくやってくるおじいちゃん、おばあちゃんのまあ多いこと。ロースターを併設したクラフト推しの今風カフェも、彼ら彼女らにしたら、大昔から馴染みの在る自家焙煎の喫茶店ということになるのだろうか。身なりよく、ご友人と談笑したり、書籍や新聞を持ち込んで目を通したり、カレーを頬張ったり。そうするとつい、彼らの昔からの馴染みの店のように、番頭のようなウエイターさんの采配で、お水とおしぼりをくれたり、食後にバッチリのタイミングで淹れたてのコーヒーを持ってきてほしい、セルフレジの挙句、トレーに乗せてサーブしないでほしい、なんて欲も出てきてしまったり。京都カフェ考察は尽きない。別のテーブルでは、小学生が宿題をしていたり、カフェラテ目当ての女子ももちろんいる。この年齢層の幅ならば、本当に面白いプラットフォームになってしまうかもしれないし、ただのマ○ドナルドかもしれない。施設の客足は予想の3倍、とは店員さんの談笑を盗み聞きしたもの。ふと顔を上げた先のおばあちゃんは今しがた書店で購入しただろう「1日5分の般若心経」を真剣な眼差しで読んでいる。

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先日、久しぶりに対面でのダーニングワークショップを実施した。産休&コロナでなんと3年近くブランクがあったので、段取りは覚えているか上手くいくか、内心かなりドギマギしながらの開催だったが、本当に終始楽しくまた高揚するあっという間の時間だった。

今回、参加者の方々がお直ししたいとお持ち込みされたのは、使い込まれたアームウォーマーや家族から譲られたというセーターなど。やはり実物を目の前にして触ったり、ここがこう破れてきちゃうんですよね、などお話しを伺うと、その方とそのモノの関係がすごく身近に感じられて嬉しかった。上等なウールのセーターはやっぱりしっかり大事に直したい。そういうこともやっぱりオンラインだと判別できなかった。

手元ではチクチクしつつも、身の上話や家族の心配事、おすすめのカフェの話、趣味の話など、ポンポンと話題は尽きない。これもまた、人と人とが同じテーブルについているからこそできる間合いだなと、誰かと同じ空間に居合わせる力に改めて感じ入る。もっともっと何時間でもやっていたかった。

また今回は、毎週土曜に京都伏見で開かれている朝市、伏見わっか朝市さんにお邪魔しての開催。主宰者でもあり出店者でもあるchisouさんの豆乳チャイや、喫茶うずらさんのコーヒーを提供してもらいました。あたたかい飲み物を頂きながら、おしゃべりしながら、チクチクする、そういう「お直しカフェ」が、お声がけいただいたことによって重い腰をようやく上げて開催できた。とても嬉しかったしホッとした。

そして会場では、京都西陣の工務店、青島工芸の大工による、まな板お直しの会も同時開催(仰々しく書きましたが家族です恥、いまだに紹介を迷ってしまう)。使っていると傷や凹みができてしまう木のまな板を大工の鉋がけの技術を応用して削り直しをするというもの。この連載では度々登場してもらっている大工。お直しカフェ (2) 机を磨いて仕上げ直した話で削り直しについては詳しく紹介しているので、よければそちらもぜひ参照いただきたい。これももう3年も前の出来事で、よそよそしいやら初々しいやら。

今回は、朝市という場所柄か、イチョウやヒノキなどを使った立派なまな板がいくつもお持込みされ予想外の大盛況。凹みや反りの状態を見極めながら、一枚一枚に鉋をかけていく。

長年使い込まれたまな板。パッと写真で見るとわからないかもしれないけど、包丁がよく当たる中央が窪んでいて、これの何がよくないかって、食材を切る時に刃が垂直に当たりづらくなっていることだ(伝わりますか、ネギが上手く切れないアレです)これが木の柔らかさや、使う人のくせ、年数などで、いろんな形で板に現れている。

削っている途中の様子。窪んでいる真ん中には鉋がかかりにくいのがよくわかる。そこまで気にしなくてもいいらしいが、削ることで、日頃の洗浄では落ちづらい根深い黒カビもスッキリ。

そしてまわりに落ちているのが、言わずもがな、鉋屑(かんなくず)だ。モノによっては5mmも1cmも削るので、出るわ出るわ鉋屑。それを今回は会場にいた子ども達が我先にと集めてまわって、あっという間にオモチャになるし、いい匂いだし、会場を温めていたロケットストーブの燃料にも早変わりした。そのあまりの牧歌的な光景に「今日はドウシチャッタノ」と驚いたマダムが嬉しそうに声をかけて下さったのが、この日のハイライト。そして、なんという当たり前の資源の循環。サーキュラーエコノミー。だから木って好きだ。

まな板の削り直しは、なかなかやっているお店がないからか、今回すごくたくさんまな板が集まったし、またやってほしい、うちでもやってほしいとのありがたいお声がけもいただいた。これが、少し昔だったら日曜大工が趣味のお父さんが鉋も引けて、家や近所のまな板を時々削り直していたのかな、などと想像する。人の手から技術が失われて久しい令和の世界で、木を扱う技術を持つ数少ない職種の人として、大工がその一端を担うのはまあアリなのかもしれないし、そもそもプレカットなどではなく、木を自在に扱ってものを作る大工がどれぐらい絶滅危惧種なのかも、今の私はまだよくわかっていない。

下は終わらずお持ち帰りした一枚。落として角が欠けてしまったので、面取りをして整えて仕上げた。普段の仕事ではあまり扱うことのないイチョウの木を削れて「楽しかった〜」とは、木が好きすぎる大工の談である。

はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

木のまな板はちゃんと乾かして、カビが生えないようにしなきゃいけない。そういう思いが大きくて、日の当たらない台所ばかりで生活してきたせいか、我が家のまな板はプラスチック製(そう、白いあれです)。別に使いやすくもないけれど、気になったらふきんとキッチンハイターで真っ白になるから、今まで何も深く考えずに使ってきていた。だから、木のまな板は削り直しができるということに、ええええ、それまじかよぉ!ってびっくり。

でも、冷静に考えたらそうだよね。木なんだから、そういうこともできるよね。そしたら、まっさらなまな板に戻るわけだよな…なにそれ、めっちゃいいじゃん、ずるい!なんて思ったりもして。削りカスは暖房の火種になり、人間同士の交流にもなり、文化の継承にも、そしてエシカルな面でも最高じゃんか!って、目から星がパチパチするくらい、びっくりだった。


今の生活のあり方、特に使い捨ての文化の中で、まな板を削って再生させるということができるっていうことさえ、新鮮で新しく思えてしまうほどにわたしは現代人だ。でも、そういうことが可能なのだと知ることで、木のまな板も悪くないじゃん、と思ったり、うちでも使いたいなって思えたりする。やっぱり大事なのは、そういう情報がきちんと入ってくることなのかもしれない。

どうやって、良いものを維持していくのか。今後、こういう情報をどうやって得て、どうやって取捨選択していくのが大事になってきそうだなと思う。大分エシカルに暮らせていると思っていたけれど、まだまだ削ぎ落とせるじゃん、って思えて、なんだか元気がでてきた。はしもとさんの文章はいつもそう。もっとものを大事にしよう、もっと昔ながらのあり方に目を向けよう、ってそういう気持ちにさせてくれる。より良い生き方を模索するための、先生のようで。

東京でも、まな板を削ってくれる人いるんだろうか。まだまだプラスチックのまな板は使い続けるけれど、今から次のまた板さんのためのリサーチをしたくなるわたしです。

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