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お直しカフェ (19) ひらり助産院のこと/前編

お直しカフェ

この2週間ぐらい、明け方背中の激痛と息のし辛さで目覚めて、1-2時間湯たんぽで温めたりストレッチで緩めたりして回復させたあと朝寝、というのをやってたら、案の定今日午前中の妊婦検診寝過ごしたんだけど、謝りの電話したら「それは辛いなーほな、このあとお昼食べた後においで」と慰めとゆるゆるのリスケしてくれたし、到着したら、診察前に話を聞きながら30分以上かけて背中マッサージしてくれたの、地元の小さな助産院に通い始めて本当によかったなとなってる。東京で通っていた、皇室の子も取り上げる立派な産婦人科(たまたま最寄りだった)は、先生が毎回変わるの、不調を相談しても、院長の息子にサラッと「お薬出しますね」で対応されたの、ロビーの豪華なピンクのソファー、色々違和感だったの、病院変えてみてはじめて、ああ実は嫌だったんだなと気がついた。心細かった。ー2019年5月21日

妊娠中、これでもかと気力と判断力が低下していた。とにかく眠くて、眠くなくてもダルくて、とにかく何もできないしたくない、人にも会えないような状態。妊娠悪阻になって入院もした。なのに私は、妊娠したからにはもう東京にはいられません、これを機会に京都に引っ越すぞ、と決めた。決めたというか、気づいたら当然の決定事項としてそこにあるような感じ。それで出産は里帰り、大阪でとなって産める病院を探していた(東京での産院ではまだ安定期にも入らない妊娠14週目までに出産の入院予約をしなきゃなかったので、そのスケジュールが日本全国の通例かと思い(違った)、とにかく早く病院を見つけなきゃ、新居も決まってない京都じゃどこの病院に通うべきかまったく目処が立たないぞ、と焦って里帰り出産を決めた。余談)2018-9年の冬、あの頃は本当に不安で世界がグレーだった。最寄りの病院は三択。総合病院は淋しい感じがして嫌、人気の産婦人科は予約いっぱい(かつ受付のお姉さんがすごく冷たかった嫌)、もう後がないなとおそるおそる訪れた小さな助産院で、その佇まいをみて「かわいい、ここにしよう」と迷いなく決めることができた。やっと見つけた。ここなら自分で産めそうとすごくほっとした。

ドアを開けた瞬間の、人んちに迷い込んだみたいな匂い、ペンキで塗られた薄いピンクの壁。その時出せた精一杯の声で「こんにちはぁ」と言いながら玄関に立ち尽くしていると、廊下の先から「はあ~い。中入って~」という助産師さんの元気な声が響く。台所の一部みたいな診察室。実家の毛布みたいなの敷いてるベッド(診察台)に寝転ぶ。自然光の入る窓。月の満ち欠けがわかるカレンダー。エコーの映像にすら「赤ちゃんめっちゃかわいいやん」と言ってはしゃぐ先生。全部、奇跡みたいな穏やかさだなあと思いながら、身を委ねていた。

***

今回なんで唐突にお産の話をしだしたかというと、そんな思い入れのある助産院に変化の時が訪れたからだ。SNSで「9月1日に移転します」というニュースを知ったのは、お盆明け。息子の検診にかこつけて事情を聞きに飛んで行った。どうやら先生はすぐ近くのご自宅1階を改修して、小さくて新しい助産院をこしらえていた。「この建物はどうなるんですか。次の借主はいるんですか」と尋ねると「よう知らんけどおらんのちゃう」と先生は答えた。「潰されてしまうぐらいならほしいです」「えっほんま。聞いてみたら」

小さな工務店の端くれとして建物だけでも購入できないか、その後数日迷って連絡したが、物件の持ち主である企業のお返事は「もう取り壊して土地を販売、ということが社内で決まっているし、今更解体業者との契約も取り消しにはできない」というものだった。ガーン。「築50年の建物なんで、人間でいうともうおじいちゃんなんでね」お電話でお話しする限り、担当の方はとても紳士なおじちゃんで、私の話を30分近くうんうんと聞いてくれた。「まさかあの建物をほしい方が現れるとは、思いもよりませんでした。もう少し早くご事情伺っていれば」私は電話口で半べそで、おそらく、二人ともどうやってこのやりとりを終えたらいいかわかりかねてた。「せめて、今ある窓や照明なんか、もらって行ってもいいでしょうか」「それはぜひご自由にどうぞ。じきに瓦礫になってしまうだけなので」おじちゃんはすごく親切そうにそう言って、電話は終わりになった。物件引き渡しの翌日には、解体業者の作業が始まることがすでに決まっていた。それが今日、9月8日。よりによって私の誕生日でもある。

(つづく)

p.s.
少しだけ今月の「お直し」と「カフェ」

以前の当番ノートに書いたこともありますが、そのとき以来3年ぶりに柿渋を仕込みました。お盆のときに義実家で渋柿が手に入ったので。作り方はぜひ過去のコラムをご覧あれ。これは水を加えて一週間発酵させた柿を漉している様子。このあと2年寝かせます。古くから、柿渋は木材にも布にも塗料として使われていて、私は染め直しなどに使っています。柿渋については、京都のトミヤマさんのHPがわかりやすいので合わせてご紹介。京都には数件柿渋屋さんが残っているので、たくさん使う仕事用に買い求めることもありますが、家族で使う分などは作れるときに作るのもいいなと思っています。

最後に、これは最近訪ねた中で一番イケてるなあと思ったカフェの今まで見た中で一番イケてるコロナ対策のパーテーション。額縁+ガラス。京都、平安神宮のそば、おばあちゃんから孫娘に受け継がれた名店、ラ・ヴァチュールにて。

はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

思い入れのある場所がなくなってしまうことの寂しさが、はしもとさんの文から伝わってきて、わたしもすごく寂しくて、しゅんとしてしまった。

世の中には、出会いと別れがあって、縁というか、タイミングが合うような合わないような、つながっているのか、つながっていないのかわからないような瞬間がある。ちゅうぶらりんになるような。その曖昧さの物悲しさってあるよな、と思う。

でも、変化はつきものだから、わたしたちはそれを受け入れていくしかない。寂しさの先。新しい助産院でつくられていく、新たな物語も。はしもとさんの誕生日に取り壊しが始まる、思い入れの助産院の跡地も。これも一つの縁だなって。

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