よれよれ観たもん放浪記(6)土偶とばあちゃんの顔面

第40期(2018年8月-9月)

7月の半ばに、祖母が亡くなった。
日曜の朝8時過ぎに母から電話を受ける。
「急に心拍数が下がってて、いつどうなってもおかしくないみたい」とのこと。
こういうときのこういう言葉が持つ緊急性を家族がそろって掴みそこねているあいだに、波が引くみたいに、すーっといなくなってしまった。

まだ元気だった頃(といってももう10年以上前のような気がする)、
祖母はほとんど毎日デパートへ行き、洋服や食器、花器、食材を狩りをするように買い漁る人だった。
部屋を整理していると、出るわ出るわ、1着ン10万はくだらなそうなコート、シルクの下着やパジャマ、ド派手なアクセサリー、多すぎる帽子、分割払いの請求書、請求書、請求書。
「あれだけお金の管理にうるさいんだから、どこかに隠し財産持ってるに決まってる」
ずいぶん前から祖母との関係性をほとんど断ちつつ、自分が稼いだお金に関してはいくらか楽観的な憶測をもっていた母も、ぞくぞくと発掘されるブランド品に唖然としてついにはどひゃひゃと笑っていた。
(ここにもいろいろと積もり積もるものがあるのだけれど、それはまた別のお話。)

生前はそんな様子だったから、亡くなった時に湯灌と死化粧をしてもらった時には
「ああこれでやっと、おめかししてお出かけできるなあ」と思った。
頰と唇にも淡いピンク色を差してもらい、ここ数年のうちでいちばん健康的な表情。
いい化粧水を浴びるように使っていたからか、肌は亡くなったとは思えないほどつるんとしている。
フェラガモの老眼鏡とソニアリキエルの白いブラウス、金色ラメのパンツを着こなして、貴婦人みたいなネット付きの黒い帽子をかぶり、
ちょっと天神までといった気取り方で明日にはあちらさんへ向かうのだ。
自宅引きこもりから施設、病院での生活を通じてだんだんと薄くなっていった祖母の輪郭がにわかにくっきりして、溶け出した何かがもう一度集まってきたみたい。
こういうことを言っていいのかわからないけれど、よかった、ほっとしたという思いの方が、悲しみよりも大きかった。

葬儀場に家族で泊まった夜、棺の中で眠っている祖母の顔をまじまじと見る。
今朝、確かに亡くなったはずなのに、朝よりもつやつやと光っていて、なんだか目が離せない。
せっかくだから、写真かスケッチでもして残しておこうかな。
いや、さすがにちょっと不謹慎かしら。
やっぱり頭の中だけにとどめておこう。

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それからちょうど1ヶ月後。東京国立博物館で例の縄文展へ行ってきた。
一番最後の部屋に展示されていた濱田庄司蒐集の土偶が、祖母にあまりにも似ていたのでびっくりした。
胴体の部分は他の土偶同様わりとデフォルメされている(といったらいいのかな?)のに、顔の質感だけが妙に“リアル”で、今にも呼吸をしそうなほど。
けれど、眠っているだけの人を模しているかというと、どうもそういうふうにも思えない。
生き生きとした死に顔、とでも言えばいいか。

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(写真NGだったので思わず描いたスケッチ。ちなみに実物は濱田庄司の益子参考館所蔵。)

晩期(BC800年ごろ)に栄えた遮光器土偶といえば、
ゆるキャラにしがいのある表情をしたものが多い。
目の周りがゴーグルのように丸くて、美しい文様に形取られた造形。

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(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土,東京国立博物館蔵)

私自身もこの宇鉄で出土した土偶のことをこの時まで、
かわいい遮光器土偶のひとつだろうと軽く流してしまっていた。
しかしよーくよく見てみると、この一体だけ、あきらかに顔面の凄みが違う。
目の前の対象をなんとしても描きとりたいという作り手のギラツキ、とでも言いますか。
想像に任せてキャラクターを造っているのとは違った緊張感が走っている。

かの梅原猛先生はアイヌ文化や東北の風習を引き合いにだしながら、
縄文人にとっては人間に似せた像を作ることは呪術的な意味でタブーだっただろう、というようなことを主張した。
だとしたらこの土偶を作った人は、ひょっとすると
「ちょっと不謹慎かしら」どころではない当時のタブーを犯しながらこの造形に挑んだのかもしれない。
人間がヒトではない何かになる境い目には、それほどまでに底知れない引力みたいなものがある気がする。

祖母のぺかぺかの顔をあらためて頭に浮かべながら、そういうようなことを考えていた。

<参考文献>
小林達雄「縄文土偶の誕生、そして大変身」(『土偶・コスモス』MIHO MUSEUM展示図録より)
梅原猛『日本文化の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(集英社文庫、1994年)