よれよれ観たもん放浪記(7)なまけた言葉を蹴散らすダンス

第40期(2018年8月-9月)

ふだんの生活を営むにあたって必要な言葉って、実はそんなに多くはない。
足す・引く・かける・割るさえ使えれば暮らしのほとんどは事足りて、高校のときに必死で覚えたサインコサインタンジェントと出くわすことなんてめったにないのと同じ。
たまに判断に迷うようなものもないわけじゃないけれど、そういうときはさしあたりヤバ〜イとかステキ〜とかの多義的な単語でぼやかしておけば、さしあたり話が途切れることはない。
しょうもない処世術ばかりが身についてしまい、自分が普段使っている言葉の枠組みの範囲を超える体験は良いか悪いか、めっきり少なくなってしまった。

ところがそうやってなまけてばかりいると、突然得体の知れないものが猛スピードで横殴りをしかけてくるときがある。
先日山口芸術センター(YCAM)で観たブラジルのダンスカンパニーが、久々にそんな感じだった。
カンパニーの名前は、グルーポ・ヂ・フーア。
コンテンポラリーダンスの多くがバレエの文脈の中で発展しているなかで、ストリートダンスから生まれたカンパニーというのは珍しいらしい。
フライヤーにはこんな紹介文が書いてある。

ダンサーの複雑な動きやスピード、ダンサー同士のギリギリの距離などたかい緊張感が、そうした都市の日常に起こる出会いやすれ違い、対立、攻撃、連帯、競争、支配といったスリリングな物語を感じさせます。

なるほど、なるほど。どれもどこかで聞いたことのある単語だな。
これからやってくるダンスがどんなものかなんとなくアタリをつけ、不遜な態度でふらりと席に着く。

ところがこのアタリは、ステージの横からびゅっと飛び出してきたダンサーたちによって軽々とぶちのめされた。

踊る体が水みたいになって、底の丸いガラスボウルにどるんと落下する。
円を描くように底を滑り、しぶきがふっと上がって空中で一瞬止まって、半回転して重力に沿って落ちる。
しぶきが底に着く瞬間、目の前でふ、わっと一瞬止まって、そのまま重心移動。
同じ人間とは思えない動きがあらゆる大きさ、速さで繰り広げられる。
もしかしてこの人たち、時間と重力を操る能力でもお持ちなんじゃないか。

しかももう一つ恐ろしいことに、ダンサーとダンサー、ユニットとユニットの間にある音や空気が、常に波形を変えながら震えているのがわかる。
YCAMがものすごく音響のいい施設だから、というのもあるかもしれない。
空気が実際にビリビリ振動して、そのふるえが細胞を一粒一粒思いっきり混ぜかえす。
こびりついていた垢みたいな言葉たちが、容赦なく蹴散らされていく。
なんだなんだ、体のなかで起こっているこの出来事は。
おろおろしている間にダンスは洪水みたいなクライマックスを迎え、あっと言う間に終わってしまった。

「この作品を観た、その人自身が発見していくことが大事。山口のお客さんがどんな感想を持つのか楽しみ」
振付家のブルーノ・ベルトラオ氏はインタビューでこんなことを言っていたらしい。
果たしてこの日の公演で、山口のお客さんはどんな感想をお持ちになったんだろうか。
少なくとも、カーテンコールでは甲高い「ブラボー」もスタンディングオベーションもなかった。拍手だけが長く静かに鳴り続ける。
ダンサー達は3回、腰を深く折ってお辞儀をした。
上半身の力を抜いて手をだらんと下ろしきるという、見たことのない作法。
むき出しになったけもののような背中に、またうちのめされる。

感想を並べるためにあらかじめ用意していた言葉は、ばらばらになってしまってまるきり使い物になりそうもない。
体の方に埋め込まれたふるえを手がかりにして、これから少しずつ、あたらしい言葉をたぐり寄せていくつもり。

こういうことが起こるから、踊りを観るのはたまりません。