指輪の跡と、日焼けと、混ざりあえないもの

第40期(2018年8月-9月)

疲れと眠気でしょぼしょぼした目で家のポストをのぞくと、ジュエリーショップからカタログが届いていた。クリーム色の紙に、やわらかな写真が載った表紙。

そこは、確かにジュエリーショップではあるものの、あまりその言葉は似つかわしくないお店だと思う。
カフェのようなほっと呼吸のできる感覚も、旅をしながら何気ない草花を写真に収めたような雰囲気もある。
「ジュエリー」という言葉の持つギラギラした印象がない。

なぜわたしが詳細にそこのイメージを持っているかというと、ここのお店をたずねて指輪をひとつオーダーしたからだ。
恵比寿にある小さな店舗。スタッフも多くなかった。
「ご来店の際はできるだけご予約ください」という文字を、オーダーした帰り道にオフィシャルサイトで見たくらい、勢いで押しかけてしまった。
それでも、自分のサイズに合った指輪が後日あらためて送られてくるのを楽しみに帰った。

数年前に結婚したわたしは、左薬指にはいつもプラチナの結婚指輪をはめている。
小さなダイアモンドが埋め込まれ、ゆるく波打つようなフォルムを持った銀色の指輪だ。

最初はその結婚指輪だけで過ごしていたけれど、まるで自分が「妻としての役割」のために存在するようで、わたしの全てがプラチナとダイアモンドの輝きに呑まれてしまうような感覚に陥った。

だから、わたし自身のための指輪が欲しいと思った。そんな指輪を買うなら憧れのお店がいい。
そうして以前からずっとウェブサイトを眺めていたお店を訪ねたのが去年のこと。
やっぱりジュエリーショップというイメージとは違うお店だった。

やわらかなゴールドの、やさしい遊びを含んだデザインの指輪は、白いリボンがかわいらしく結ばれて、小さな箱におさまった形をしてわたしのところにやってきた。
嬉しくて右手を何度も何度も眺めた。たくさん右手の写真を撮った。
自分を励ましてくれるようで、相棒のようにかわいがった。

その指輪をつけて過ごすことが当たり前になり、楽しくなってしまったのか、なんと今や右手指に合計3本の指輪をしている。

気分によって全部つけたり、一部をつけたりはしているけれど、全部外すことはない。
特に最初に買った薬指の指輪は、まず外さない。
わたしの原点のようなやわらかな輪に、ときどき左手の指で触れる。
なめらかなゴールドの質感に不思議と落ち着く気持ちになれた。

でも、ふと、不安になった。

指輪の力が強すぎて、そして指輪に頼りすぎて、頼りない右手に・頼りない自分なっていないか。
そこで、右手の全ての指輪を外してみた。
するといつの間にかすっかり指輪焼けができていて、指の根元がくっきりと白かった。

太陽はわたしが指につけていた大切な指輪たちを避けて、わたしの肌だけをうすい褐色に焼いた。
つまり、指輪はわたしの一部にはなってくれていなかった。大事にしていた指輪は異物だと思い知らされた。

「わたし自身のための指輪」って何だったのだろうか。
わたしはいろんな顔を持っている。個人の顔、働く人としての顔、妻の顔。

「自分自身」というものは一番自分に近いようで、案外、一番遠いものかもしれない、なんてことを思う。
どうしたって人は誰かとの関係の中でしか生きられないし、ひとつにはなれないのかもしれない。
こんな小さな指輪たちともひとつになれないのだから。
ひとつ、小さな絶望をおぼえた。

誰かと語り合い、微笑み合う。時には争ったり、体を寄せ合ったりもする。
その中で「異物」として存在し続けてくれているもの、つまりわたしの指輪は、とてもシンプルなことを教えてくれた。

どんな人ともひとつになることは、きっとできない。
だってこんな小さな指輪ともつながることができないのだ。
その絶望は、人との繋がりを欲して苦しんでいた頃より、ずっとあたたかな絶望だった。

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こんなに文末ですが、はじめまして。ますぶちみなこと申します。
普段はフリーランスで、イラストレーター・クリエイティブディレクターの仕事をしています。

2ヶ月のあいだ滞在させていただくにあたって、書くと決めた題材は「物を通して見る他者との関わり」です。
今回は指輪の話でした。次回以降も様々な物を通して、他者(主に周囲の人)とのことを書いていきます。

わたしは普段、絵も描くし文章も書くのですが、どちらも「かく」と呼ぶので、仲良しこよしなのが嬉しいなと思っています。
絵を描くようにおはなしを書いていきたいと思います。
暑いこの時期に、冷えた香ばしいお茶を出せるよう準備してきました。
また気が向いたらぜひこの部屋にいらしてくださいね。次はお茶菓子もご用意しておきます。
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(BGM:愛が呼ぶほうへ/ポルノグラフィティ)