砂漠の時間

第42期(2018年12月-2019年1月)

砂、流れる雲、動く太陽、小さな花、地平線。遠くを飛ぶ飛行機の音、鳥の羽の音、動物の鳴き声。
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どうして砂漠にいくと、普段みえないものが見えたり、聞こえたりするんだろう。

 先日、友人が日本からイスラエルまで遊びに来てくれた。お気に入りの場所に連れて行ってほしいと言われて思いついたのは、数年前に一度だけ訪れたことのある砂漠の中の小屋だった。電話もネットも繋がらない砂の世界…という砂漠への恐怖心を克服するため、砂漠を一人で旅していたときに出会った場所だ。不思議な時間を惹きつける場所とでもいおうか、その場所には特別な時間がながれていた。また行けたらなとは思っていたものの、個人のお宅だということもあり、連絡できずにいたが、せっかくなのでダメもとで連絡をしてみる。すると、すぐに返信が届いた。「来ていいよ。二日間家を貸してあげる。」

 数日後、友人と私はイスラエル南部にあるネゲブ砂漠のどまんなかにいた。砂の世界と空の世界との境界線が360度みわたせてプラネタリウムみたいだ。砂の山は女性の裸のようになめらかな曲線を描いていて、とても美しい。宿泊先の小屋の窓から砂漠の世界を眺めていた私は、数年前、まさにこの同じ窓から見た羊のショーのことを思い出していた。たしか、音楽を聴こうとして再生ボタンを押したその瞬間だった。曲が始まると同時に窓の向こうに羊と羊飼いがあらわれたのだ。それがショーの始まりだった。じっとみていると、あっちにフラフラこっちにフラフラする羊たち。気のむくままに草から草へと食べ歩く羊たちを、窓の右側から左側へと、羊飼いが上手に誘導していた。ちょうどプレイリストの二曲目が終わったころ、全員きれいに窓のステージから退場。羊のショーが終わった後も、ショーが始まる前とまったく変わらないその景色を、不思議な気持ちで眺めたのを覚えている。たった10分くらいの出来事だったのに、数年たった今でも、この窓のむこうにその時の羊がみえる気がする。

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自分からなにをしようとするわけでもなく、ただ時間が過ぎるのをみていると、雲が太陽を隠してちょっと気温が下がったり、ちょっとおなかが減ったり、遠くで犬が吠えたりするのがわかる。本当に静かな場所だからこそ、自分や地球の変化が感じやすいのかもしれない。

 その日の夜、友人と私は真っ暗な道を歩いていた。頭上には満天の星空。星空って、星空図鑑のようにきれいに並んでいるわけじゃなくて、そばかすのように、暗闇の先にも星があって、そのまた先にも星があって、みつめればみつめるほど、とっても騒がしい。自分の体もみえない暗闇の中、星の光を全身で浴びた。暗闇の中から「ここに連れてきてくれてありがとう」という友人の声がした。

この世界に、もう一度あの瞬間に触れたい、と思う瞬間がいくつあるだろうか。
そして、その瞬間に再び触れることのできる確率はどれほどのものだろうか。
そしてそして、
その瞬間を大切な人と一緒に経験するにはどれくらいの幸運が必要だろうか。

奇跡みたいなもんだ。

時間はいつも移り変わっていく。その一瞬にしかないから奇跡なのだし。過去の奇跡をもう一度起こそうとしても、それは使い古された感動で、お古に本当の感動はない。今回、羊はあらわれなかった。だけど、星空のシャワーを友人と一緒にあびることができた。この時間に戻ってくることはできないけど、この時間は私の心にとどまりつづけるだろう。感動したこの瞬間の煌めきを手掛かりに、まだ知らない場所に進んでいく。まっさらな奇跡の瞬間に向かって。

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