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お直しカフェ (5) 逃げられない

お直しカフェ

10月は関西にいた。私もだが、祖母があまり元気でないので、祖父母宅に入り浸って編み物でもしようかなと企んでの帰省だったが、急遽祖母は長期入院となり、編み物セット一式とおやつ、水筒にいれたお茶を持参して病院へお見舞いに通う日々となった。

10月17日
今日は祖母宅に寄って、棒針を探し出してから病院へ。足が不自由になってから、これまで祖母の城だった二階の部屋はどこも結構散らかってしまっていて、探すのに難航。棒針の容れ物3つ、なぜかゴミ袋の中に隠れてた。病室に着いてまもなく、祖母は腕のCTを撮りに行った。動かないなと思ってレントゲン撮ったら脱臼してたらしい。え。ひとりになって、毛糸の帽子を編みはじめる。棒編みが数年かもしかしたら10年以上ぶりだったので、作り目に苦戦。この後恐らく治療で髪の毛が抜けてしまう祖母用の帽子のつもり。
そうこうしているうちに祖母が部屋に戻る。今日は片腕だけCTを撮ったそう。6人ぐらい座ってたのにすっと入れて申し訳なかったなあ、らしい。さて、帽子、ピンクの色はあまり気に入らないとのこと。「白髪が増えたみたいやん」と。作り目の段階でこんなに大変なら、やっぱりもうちょっと気に入りそうな色のにしたいなと中断。もう一つ持ってきていたかぎ編みのブランケットの仕上げに着手。中途半端なところで糸が足りなくなり、うーん、どうしたものか。もう一度祖母宅で探そうと思う。糸始末をしてると、とじ針じゃなくて小さめのかぎ針で引き抜くだけでいいのよと教えてもらう。糸の端切っちゃダメ、とも。

10月18日
日曜から編んでいたブランケットの仕上げをする。これぐらいの大きさでええよね、と念のためひと言聞いてから最後の糸始末をする。おやつに、甘栗を食べる。手も不自由なので、取れない取れないと言いながら、お箸やハサミを使って少しずつ食べていた。食べるのに手間のかかるおやつは、なんだかちょっといい。次はニット峰。棒編みに苦戦していると、基礎ができてないと詰られる。編めないわ、詰られるわ、で若干しょんぼりしながら病室を後にする。

写真 2018-10-17 16 15 11

例えば洋服や住む街、仕事、付き合う人たちは、流行やときめき、ライフステージに合わせて、変えてゆくことができる。それが身軽な、新しい、生き方かもしれない。でも家族は。家族からは逃げられない。逃げる人もいるが。代わりのきかない家族を引き受ける、いい塩梅で付き合う、大事にする、何かを受け継いでいくことをぼんやり考えながら、家族に合わせたサイクルで生活をし、英気を養った半月の滞在だった。わたしの手芸や園芸の趣味は全て祖母ゆずりだ。

***
〈今後のお直しカフェ/繕いワークショップの予定〉

千住てのモノ市
– 12/9(土) 11:00〜12:30 / 13:30〜15:00
場所(予定): 千住仲町の家(足立区千住仲町29-1)

詳細や申込みはお直しカフェHPにて。
持ち物 : 穴の空いてしまった靴下やカーディガン、セーターなど。刺繍針・糸・当て布など(あれば)

はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

Reviewed by
朝弘 佳央理

私の祖母は、遊びに来る時にいつも甘栗を買ってきてくれた。
私の好物だと知っているからだ。(そして自分の好物でもある)
おばあちゃんが大好きだった。
でも大人になったら、祖母が、私がイメージしていた陽気で人懐こいだけの人ではなかったことを知った。
祖母が(祖母だけじゃない、身近なひとたちが)自分が考えていたようなだけのひとじゃなかった、というのを知ることでおとなになったのかもしれない、もしかしたら。

ひどく忙しかったときにも、時々祖母の家に泊まりに行った。
次の日のリハーサルが横浜であるから、とかちょっと祖母の体調を心配した母に頼まれてとか、理由は色々だったと思うけれど、息抜きになるくらいには程よい頻度で遊びに行っていた。

祖母の家では時間が生活のためにだけ流れていた。
何をする必要もなかった。
一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、ちょっとテレビを見て、祖母が寝てしまうと私はいつもとは違う布団に潜って、好きなだけ本を読んだ。
祖母はただ生活をしていた。
私が実家では早朝に起きて、1時間電車に詰め込まれて、息もせずに働いて、そのあと稽古に行って、終電で帰って、分刻み、山盛りの毎日を送っている間、祖母はただ生活を営んでいた。
祖母の家に行くわたしの時間に焦点を合わせると、そのほかの時間が目まぐるしすぎて見えない。

祖母のものは、なにひとつ手元に残っていない。
祖母が描いたいちごの絵、上手に描けたでしょと私の友達にまで自慢した絵が大好きだった。
母の子供の頃の眉間にシワを寄せた写真も祖母が若くて背の高かった頃の写真も、何か書き込んでいた中国の刺繍の手帳も、枕元にいつもあったラジオも、なにも残らなかった。
でも、私は祖母の手の爪を切ってあげたときのあのふわふわした指の感触を覚えている。
遊びにいくといつも取ってくれたうなぎの配達のお兄さんと話す声や、どこにも行かないのに毎日お化粧する真剣に鏡を支える手、いつも清潔な布団の匂い、こたつのマットの毛玉、なにやらを入れて大事そうに仕舞われる小箱、カメラのレンズ越しに私を見つめる目、エレベーターの匂いや蛍光灯の音、そういうなにやかにやを、眼の前に再現できそうなほどに覚えてる。
それは私が、あの家では、生活している祖母をただ見て過ごしたからなんだと思う。

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ちっともレビューじゃない。
はしもとさんのコラムを読んで、おばあちゃんをみに行く、という名目で実は避難所だったのかもしれない、ということを思ってついこういう文章になりました。

また来月のコラムが楽しみです。

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