お直しカフェ (6) 人の寿命はモノのそれよりはるかに短い

お直しカフェ

祖母が亡くなった。それはそれは苦しそうな最期だった。食べ物だけでなく水も自力では飲み込めなくなって、息を吸うのも苦しそう。すっかり痩せて、小さな、デビルみたいになってしまった祖母の姿を見て、ああ人は苦しみながら死んでいくのかと、ぼんやり考えた。去年の夏に余命1年だと宣告を受けてから最期まで、どこか全部嘘のようだった。さいごに一緒に食べたおやつは、確かマロングラッセだった。

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モノの寿命は人のそれよりはるかに長い
朝一番か夕方か、歩いて3分程度の祖父母の家に行って、祖父に声をかけたのち、祖母のテリトリーだった2階の4部屋を小一時間片付けるのが日課になった。私のなんでも取っておきたい性分はこの人譲りなんだなと再認識しながら、部屋のあちこちに保管されている大量の袋、封筒やDM、コピー用紙などひと目でゴミと判断できるものだけ捨てて、あとはひとまず整理整頓している。とてもじゃないが、祖母の持ち物を処分したりは当分できそうにない。

祖母の娘である母は「いっそ業者に任せて、見えないところで全部捨ててほしい」とこぼす。モノの寿命は人のそれよりはるかに長いんだなあと、呆然としてしまう物量である。

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素材として使う
お直しをしていると、必然的にモノとの付き合い方について考える機会が多くある。例えば、衣服に空いた穴を前にして、「これはどうやって直そうか」と考える。同時に「これは直してまで使いたいモノかしら」ということも当然考えている。少し前からそこに「これは直すんじゃなくて、素材として使おう」という考えが加わりはじめた。

「素材」という言葉を辞書で調べると、「もとになる材料、原料、芸術作品の題材となる自然や人事、伐採し適当に切断しただけの木材、原木」などが出てくる。英語で言うところの、マテリアル(Material)だ。福島の里山で、四方を文字通りの自然に囲まれた中で過ごす時間が長かったからか、業者や既製品を入れず自分たちの手だけで古民家を改修しようと悪戦苦闘していたからか、1年前のちょうど今頃、ある日畳の上でゴロンとしていたとき「モノを作るなら素材のことをもっと知らなきゃ」とふと考えた。糸、布、土、コンクリート、木、陶器のかけら、木の表皮、石。この頃のこと、大変すぎてほとんど記憶がないが、この「素材」という着目点を手に入れたことだけ、大事に忘れないでいる。大袈裟だけども。

何かの役に立つかもしれない
さて、祖母の無限持ち物を片付けていると、この「素材として使おう」として取っておいたんだろうものがたくさんたくさん見つかる。簡単に言うと「何かの役に立つかもしれない」というやつだ。

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古封筒(叔父からまだ幼い孫の写真が毎月のように大量に送られてきていた)ちょっといい紙

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CDのソフトケース(同上)不織布とOPP(?)取ってはあるが何かに活用された痕跡はない

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百貨店などの包装紙の束

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それを使った型紙。たぶん薄い包装用紙が型紙を写し取ったり、マチ針で布に止めるのに使い勝手がよかったんだと推測する。これ自体も大量に残ってるので、洋服の完成後も捨てたりする習慣がなかったんだと思う。

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広島出身の祖母はいわゆる原爆孤児だが、教育熱心な叔母に引き取られ、女学校卒業後は上京して文化服装学院に通っていた。世代で言うとコシノ姉妹より更に先輩にあたる。そして卒業してからは、地元で洋裁の講師をしたりや自分の仕立て屋を開いていたりしたらしい(働いていた頃の話、実はお葬式の席ではじめて知ってとても驚いた)。結婚して大阪で主婦になってからも、家族みんなの衣服やカバン、帽子、家の中の色んなカバー、とにかくほとんどのものを作ってしまう人だった。特に婦人服を作るのが好きだったのかなと推測する。シャツもスカートもワンピースもコートもセーターも、仕立てのいい洋服がたくさん残っている。洋裁もするし、編み物も本当に上手だ。

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ファスナーばかりが入ったモロゾフの缶

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肩パッドの詰まったカゴ。見つけたとき思わず「あると思ったわ!」と笑ってしまった。こんなものまで。

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古くなった祖父のシャツ(?)と、それを使って作った買い物バック。このシリーズも何個かある。

祖母は本当にモノを捨てない人だった。布として、パーツとして、あらゆるモノを保管していた。何かの役に立つかもしれないと。そして、実際にそれらを用い、小さく確かな技術でもって、自分の手で何かに作り変えてしまう人だった。祖母の持ち物を整理、仕分けしていると、彼女の暮らしの創意工夫の痕跡が、これでもかと飛び込んできて、私はとても勇気付けられる。こういう風に、手と知恵を使って暮らしていきたい。

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片付ける、仕舞う、始末する
例えば、祖母が自身の祖母とどのような時間や関係を持っていたか、私は何も知らない。幼い頃に親と祖母と家とを、原爆によって一瞬にして亡くした祖母が、片や自分がこの世からいなくなったときに、子や孫に一体何を残したかったのか、今となっては知る由もない。そもそも祖母は、入院する時、まさか自分が長年過ごした自宅に一度も戻って来れないまま、この世界とも私たちとも離れてしまうとは思っていなかったと思う。

去年、主治医の先生に余命らしきを告げられてから最後まで、結局私たち家族は、そのことを祖母には告げなかった。母がそうしたがったので、誰も異を唱えなかったし、祖母の死はすぐそこまで迫っているようで、存在しないもののように扱われた。私たちは、誰もそれを口に出さず、これまでと変わらない調子で祖母に接しながら、毎日の見舞いや洗濯、お遣いなどその時々でできる限りのことをしながら、各々が少しずつ、少しずつだけ別れの準備をしていたように、振り返るとそう感じられる。

私はといえば、以前の投稿でも触れたが、なるべく実家大阪で過ごす時間を増やして、滞在中は日課のように病院へ通った。何をしていた訳でもない。いつも少しおやつを持って、持って行って一緒に食べた。特別な話は特にしていない。今朝のあさイチでやってた料理が美味しそうだったとか、週末が満月だったからたくさん赤ちゃんが生まれたとか(入院先が産婦人科だった)、今日は天気がいいなとか、カーテンを閉めてとか、暗いから早く帰りなさいとか。普通の会話をしながら、考えないようにして、祖母がいなくなることを少しずつ受け入れた。

その、ゆっくりした、別れのプロセスの中で、ぼんやりと、「片付ける、仕舞う、始末する」ということを考えていた。母語、関西弁の「直す」に「片付ける」の意味があるように、私は「お直し」の中にもそれらの意味が含まれているように解釈しはじめた。

使えなくなったものを繕ったり磨き直したりして、また使えるようにする、新しい価値を付与することをお直しと呼んでいる。だとしたら、使われなくなった(≒使えなくなった)モノを掘り出して、また使えるようにする。新しい意味や役割を与える。形見分けかもしれないし、寄贈や廃棄かもしれない、これらの行為もまた、お直しなんじゃないかと思いはじめている。思い込みはじめて、親族の誰に頼まれた訳でもないのに勝手な使命感を持って、祖母が大事にしていたものをお直しするつもりで、毎日片付けに出かけている。台所、ミシンのある部屋、押入れ、物置き。場所場所に、仕舞われているモノの時代が、祖母のライフステージが、50年ぐらいの幅で移り変わって飽きないし淋しくない。わたしの手芸や園芸の趣味は全て祖母ゆずりだ。