お直しカフェ (9) またね東京

お直しカフェ

上京して大学生活を送っていた2000年代、東京はカフェブームだった。オーナーの趣味がライトに凝縮された空間。壁にかかる額装された海外のポスター、ちょっとこだわりの椅子(イームズチェア)、ふわふわのカフェラテ、ふわふわトロトロのオムライス。三角のサンドイッチを出すのが喫茶店で、バケットに挟んだサラミサンドを出すのがカフェ。私のダイスキなカフェ。そういう会話を友人達と大真面目にした記憶がある。19、20のダサダサで、東京の右も左も、ましてひと駅ごとに違う文化も匂いもなんもわからない頃、高円寺にも下北にも引っかからなくて、なぜか私は緊張して背伸びして無理して歩く代官山が好きだった。

蔦屋書店がどでんと現れるはるか昔、やまとなでしこのちょっと後、カフェブーム真っ只中の代官山を、この街のこのいい感じはどこから来るのだろうなどと考えながら度々訪れた。その頃出会ったまちで活動する大人や書籍が、朝倉家や建築家の槇文彦、ヒルサイドテラスを起点に、代官山の代官山らしさは醸成されていったんだよと教えてくれたが、正直大阪生まれのマイブームカフェ巡りの女子大生にそれらが理解できるはずもなく、30代の大工嫁になった今も、シンボリックな建物ひとつを起点に街が変わるだなんて、そんなインテリマッチョな建築界隈の耳障りのいいストーリーには乗せられないわと耳を塞いだりする。閑話休題。19、20のダサダサで多感な時期、右も左もわからない東京で、カフェが私の居場所だった。

***

DC42611B-C33C-4D9E-8939-6775F94CA67C

京都で町家を借りた。度々増改築されているようで、そんなに古くは見えないのだけど築100年ぐらい? 私たちも、3代目か4代目だかの今のオーナーから好きに弄って住んでいいと聞いて、この家を借りることに決めた。それでも、仲介に入った不動産屋さんが用意した契約書には、一般的な賃貸物件のように現状復帰での返却が明記されていて、待って待ってと修正を依頼した経緯がある。住む人自身が暮らしや時代に合わせて家を整えてマイナーチェンジしていくの、今の日本の一般的な賃貸物件現状復帰のルールより、よっぽど無理ない自然な形のように思うのにな。

と、そんな訳で、ぼちぼちと家をお直ししながら暮らしている。

E0FB7524-FE90-449E-B9FE-5F105A501A99
この家には玄関がない。その代わり、正面に15畳ほどの土間がある。先先代のオーナーも大工さんだったらしく、自由に造作したと思しき棚がぼこんぼこんと備え付けられていた。これはその大きな棚を丁寧に解体しているところ。釘を1本1本抜いて、少しずつ分解していく。ひとしきりの撤去が終わったあと、我が家の大工は「いい材料が手に入った」と言っていた。

何かを作るには、何かを壊さなければいけない。壊すとき、そこに少し時間とスペースの余裕があれば、物は素材に戻って、そしてまた、出番を待つことができる。

107357D0-3CA3-4274-B02B-138A8F4B70CF
最近、ipadで写真を撮って、上から計画を描くのにはまっている。だいたいだけれども。イメージを描き出すのは楽しい。自然と対話が生まれる。こんなシンプルな画でも「(下段)棚板もう一枚足そか」なんて、工夫が生まれたりした。

DBF9FD93-5230-40A6-9E62-86902CBCC7F2
元からあった(残すことにした)大きな靴箱と高さを合わせて、カウンターを作った。数ヶ月持て余してた空間の、壁際がようやく決まった。1日と経たないうちに、製図板が立てかけられ、観葉植物が置かれ、イームズチェアが置かれて、ちょっとしたワークスペースになった。これから、上に棚が足されるかもしれない、足元に床を敷くかもしれない、そんな次なる一手の足掛かりになる、壁際がようやく決まった。今まであまり着目したことなかったけど、カウンターってちょっと、広場でいう階段のような、隅にあって、時々留まったりできて、いいかもしれない。家の中にそういう、ゆとりのような空間ができてよかった。気に入ってる。

***

オリンピックの開催を待たず、東京を離れた。エスプレッソとおしゃれな立地にこだわるのがカフェで、何十年も同じ場所で変わらないナポリタンとコーヒーを提供してくれるのが喫茶店。わたしのダイスキな喫茶店。今再びのある意味上京。京都で、今度は自分で自分の居場所を作って整えていこうと思う。つまり家。

「娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である」 三木清『人生論ノート』より