当番ノート 第55期
2ヶ月間の締めくくり、今回が最後の連載になってしまった。テーマを思いあぐね、今までに書いたものを読み返していた。 連載のスタート時のテーマは、生活保護の「生活」の様子を私なりに綴ることだった。コロナ禍で女性の自殺が増えているニュースに胸を痛めていたので、生活保護でも案外生きられると思ってほしかった。今思うと、それに気を取られて明るく書きすぎたきらいがある。しかし、とにかく陰鬱な印象を与…
当番ノート 第55期
偶然起きた出来事に、無駄に喜んでみたり、そこから思い出したことを、あれこれと繋ぎ合わせてみるのが好きだ。パズルも楽しかったけれど、少しでも形が合わないとつながらないのが、子どもながらに納得いかなかった。 この紙にこういうモノを描いたら面白いんじゃないか、破ってみたら面白いんじゃないか、そうやってあれこれわたしにいたずらされるものたち。自分の役割とは違って、納得がいかないかもしれない。それでもわたし…
当番ノート 第55期
わたしたちは故郷を離れると、一体自分がどんな人間だったか、何が好きで何が楽しくて生きてたのか、もうすっかり忘れてしまう。新しく出会った大人を片っ端からつまらなく思ったり、そう思ってしまうわたしのほうがつまらないんじゃないかと責めたりして。だけどそんなことないと言い切れるのはまた帰りたいと思えるあの時間があったから。あの時の私が大好きだと心から言うことができるから。大丈夫。あそこが私の故郷で、あの日…
当番ノート 第55期
“さっき”が消える。 認知症のおばあちゃんと対面した時、私がこれまで抱えてきた人間関係の悩みや努力は、”さっき”があるから存在してるだけで、脳が”さっき”を消してしまえば、努力も執着も簡単にへしゃげてしまう世界なのだと気がついた。 『なんも食べさしてもろてない!』(さっき、要らないって…)『いりません』(さっき、欲…
当番ノート 第55期
最近乾燥してない?と友人に尋ねたら、え、茨木のり子の詩のこと言ってる?と聞き返された。思わず私の感受性と尊厳は瑞々しさを保っているかと自問自答していたのだが、駄目なことの一切を時代のせいにすることは、本当にわずかに光る尊厳の放棄なのだろうか。今の私は、社会由来の苦しさを無視されながら叱咤激励するマッチョイズムを感じて苦しくなる。 障害者雇用で時短勤務から社会復帰しようと思い、勇み足で転職エージェン…
長期滞在者
友部正人に大道芸人という唄がある。 (耳で聞こえた通り書いており、一部表記違う可能性あり) 『大道芸人は路上を目指す。 けして舞台になど上がらない 炎天下だって氷点下だって 衣装はいつだっておんなじだ 赤い着物で踊り狂えば 世界中の車が交差点でブレーキを踏む 飛行機に乗ってパリにまで行く だけどオリンピア劇場に出るわけじゃない 名前も分からない街かどに 自分の劇場を立てるのだ 大道芸人の天使の言葉…
長期滞在者
ふと、街頭でナンパされたことがほとんどないな、と思い至った。 「どこそこで希望ちゃんを見かけたが、声をかける前に姿を見失ってしまった」と友人知人から申告される程度に私は歩みが早く、なおかつ考えごとをしながら歩いていることが多く、険しい表情をしょっちゅう浮かべているという指摘を受けることが無関係ではなかろう。もちろん、とっつきにくい容姿であることなど、理由はほかにもあると考えられる。 (ナンパに関し…
長期滞在者
あなたには、夢がありますか? 夢をかなえた人 夢をかなえられず、あがいている人 夢を探して迷っている人 夢なんてなくても楽しく生きている人 世界にはたくさんの夢があって、たくさんの人がいます。 僕は夢のおかげで、なんとか生きてこられた男です。お金がない時も、好きな女の子にふられた時も、自分に絶望した時も、 夢のおかげで、なんとか楽しく生きてこられました。 22歳から探し続けて、やっと…
当番ノート 第55期
「たくさんある!」と喜んで食べ始めたものは気がついたらすぐ「もうこんだけしかない…」となる。いつもいつもそうだ。絵と言葉を繰り返しボンドやら何やらでくっつけたり離したりした日々も終わってしまう。膨らんだパンは、型の中で「形通り」になってしまう。もっと膨らみたくても、行き先がない。 「何か」の中でしかものをつくれない区切りがあるから「終わる」こともできるのだけど、たとえばサグラダファミリアみたいに、…
当番ノート 第55期
ここのところ、なんだかずっと居心地が悪い。居心地が悪くって、ずっと寂しくて、ずっと帰る場所を探しているような気がしている。 私は自分が居心地が悪い場所にいたことに、居心地がいい場所に行ってからじゃないと気づけない。嫌だったのかとか、無理していたかどうかが、その場を離れて見ないとわからない。ずっと馴染めなさをどこかで感じながら、馴染めないのを自分の実力不足だと思い込んでしまう癖がある。きっと、そもそ…
当番ノート 第55期
小学生の時、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と一緒に暮らしている友達を羨ましく思うことがあった。彼らが話す「おじいちゃん」「おばあちゃん」の言葉には、家族としての距離感があった。 私の両親は福岡出身で、千葉で核家族をしている。両家共に祖父母達は福岡。私にとって「おじいちゃん」「おばあちゃん」は夏休みになると時々会う、血の繋がった顔見知りの「おじいちゃん」「おばあちゃん」だった。 会社を辞めて千葉の…
長期滞在者
先月、書き上げ間近に飛び込んできて僕の原稿を混乱させた「旗振山」情報。今日はその続きを。 大型の手旗信号を使って20km程度の拠点間を次々中継、大阪・堂島の米相場を全国各地に伝達していく「旗振り通信」というものが存在したという話。はたして20km先の手旗信号などというものを、人は判別できるのだろうか。これは実地で見てみるしかない。実際に旗振山に行ってみよう、と思い立ったのだった。 検索すると近畿で…