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2F/当番ノート

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当番ノート 第1期

東日本大震災から一年が経った。

震災のあと、2つの記憶が残った。
一つは「祈る」ということ。
もう一つは「歴史」について。

震災の直後、実家にかけてもかけても電話が繋がらなかったあのときの気持ちは生涯忘れることはないと思う。2日目にやっと繋がったときのあの安堵感も忘れないだろう。
電話が繋がり、安否の確認ができるまでの間、ただただ祈り続けていた。
何も為す術がないとき、それでもなにか為さねばいられないとき、人間に残されたたった一つの術が「祈る」ということなのだということを痛感した。
どうか無事でいてくださいと祈るとき、祈るという行為は信仰よりもずっと手前にあって、大学のとき専攻していた民俗学や人類学でならった原始宗教の話は間違いだったのだと思った記憶が残っている。
遠くの誰か、いまどこにいるかわからない誰かの身を案じるとき、ただ祈る気持ちだけがあって、そこには神様が入る余地などなかった。
もともと宗教心のない人間だが、これで永遠に宗教からは切れてしまったなと思った。 
時間とは過去と未来を繋ぐ渡り廊下のようにあるのではなく、過去も未来もいまここにあるのだということも、震災をきっかけに思い出した。
社会人2年目のときに祖父が亡くなった。
葬式後の食事会のとき、祖父から教わった事でいまいちアヤフヤだったものをこの際だからと親族に尋ねると、誰もそんな話は聞いたことがないという。祖父しか知らなかったことは祖父と共に永遠に消えてしまったのだった。
祖父が生きていれば祖父が経験した過去もいまここにあったはずだ。
一人の人間がいなくなるということは一つの歴史がこの地球から消えるということ。
あの日、多くの歴史が消えていった。

瓦礫の受け入れを表明する都市がポツポツ出始め、一年を越えてやっと次の段階に向かって進み始めた感がある。7割以上は瓦礫受け入れに賛成という世論調査も出てきているようだ。いいことだと思う。
反対意見が出ることもわかるが、呑み込まなくてはいけない理不尽はどの人生にも必ずある。なぜこの時期の日本に生まれてしまったのかは誰にもわからないが、それを問いていても始まらない。その問いは永久に答えの出ない問いだろう。

いまは、やれることを粛々とやっていくだけだ。

中川 雅史

中川 雅史

1978年生。
茨城県土浦市出身。
現在、京都市在住。

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