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2F/当番ノート

川と森と私

当番ノート 第4期

私の勘違いで今日が私の担当分最終記事と思い
最後くらい日記的に自分の好きな事に関してばばばと書こうと書いてしまったら、あと一回ありました。
でも書いてしまったものなので公開します
長文なので 読みづらくてごめんなさい
そして写真も携帯やかなり古いコンデジでとったものなどばらばらで
見づらかったらまたまたごめんなさい
 
                  *

 写真などという一人でできる表現をやっていて それもPCに向かって
作業などばかりしている日々が続くとどんどん内へ内へ自分が向かっていって
そうするとどうしても感覚的なものばかりにとらわれがちになり、
当たり前のことができなくなってくる。その上それでいいやって思ってきてしまうし、忘れっぽくなってくる
 たとえば部屋が散らかっても気にならなくなるし、キッチンのそばにある植物に水をあげに
いったはずなのに 冷蔵庫から飲みたいわけでなかったのにアイスコーヒーを持ってきて
肝心な植物のことは忘れて 部屋にもどってきてこれまた吸いたいわけではなかったのに
タバコに火をつけてしまったり。 それから 書類の記入事項なんかで今平成何年なのか、とか
自分の携帯番号なんかがとっさに出てこなかったりする
そういう時間がある程度続くと あ、何かがまちがっているなってハッと我に返ってそうすると私は
自然に足を運ぶ。

自然の中に足を運ぶと、都会での生活が
ひとの流れやスピードにあわせないと置いていかれそうな気になるし
目がいかなくていいことに 少しずつ消耗されて いつの間にか気づいたら
ものすごくすり減らされてたなんてことに気がつく。 
都会でのそういう余分な(ここが肝心。ほんとうに引いてみると取るに足らない、余分なことなの)
消耗がなんだかばからしくてどうでもよいことに思えてくる、思考がシンプルになる。

 都内であっても蜩や虫の音は聞こえているはずなのに、
いや、実際は聞こえているのだけどこちらだとじっくりと耳にはいってくるような。
 野宿コースで山や川に入ったときなんて晩には、まるでジョバンニが見たような本物の銀河が迫ってきて
鹿なんかは鳴きまねをすると返してくれるし
香りのよい桜の枝などで焚き火を起こしてその日釣れた魚をじっくり焼いて
焚き火の墨でタバコをすい(これがまたことさらおいしい)、
風の流れ、雲の流れを読んでは明日の天気を予想し また明日の食糧確保のため、
朝釣り(渓流魚は朝日が出るころや羽虫がおちる夕刻が一番つれる)に備えて 
いつもより強いお酒を飲んで早めに寝る。
 そうして朝日があがってくるころに猛禽類の声とともに目を覚ます。

こんなにシンプルなことが私には貴重で仕方ない
二日目あたりから体内が喜びで充満してくるのがわかる
 知らない樹木や石の種類やそういうものがどんどん見えてくる。
家に帰るとすぐに消えてしまうのが残念なんだけど。

都会では人疲れ、パソコン作業疲れなんかから眠りにつくまで時間がかかってしまうこともあるけど
たくさん太陽の陽を浴びて自分の足を使ってたくさん歩いた日には すぐに寝られるものだ
体が疲れれば眠れないなんてことはきっとないんだなって思う

で、釣りはというと 
放流魚でもいい 渓流魚であってほしい
曇天でもいい 漁場が荒らされないでいてほしい
などと、どこかのCMキャッチコピーのようなことを思い描くのだけど
大物やたくさん釣りたい欲が先にでてしまうとてんでだめ。 釣れない。
川の流れをよく見て魚のいそうなところを目掛けて餌をキャストすると 
流れと釣り糸の動きが一体になってくる釣り糸の流し方がすこしわかってくる
そうすると今度は体が川の流れが体でわかるようになる気がしてくる(私の場合まだまだ30分とかかかってしまう)
釣り糸につけている目印が美しく自然にたな引いて、
あ、この先に魚がいそうって直感して、そこにほんとに魚がいたりするの。
 その感覚が少しずつわかってきてから私はだんだんと渓流つりにはまっていった

 余談だが、一時、みみずでばかり釣っていたことがあったのだけど
都内の釣具店では倫太郎という名のミミズパックが売られている
倫太郎といえば、倫太郎の匂いって残るなー、くさい~って思ってたのです。
でもある時ミミズが売られてなくて川虫捕まえて釣った。
そうしたらその時も釣り後、同じ匂いが手に残っていて倫太郎の匂いじゃなかったのだった
倫太郎クサイなんて言ってごめんよ~
(ちなみに長野の川ぞいの釣具屋さんでは倫太郎じゃなくて熊太郎って名前で売られてた)

↑箒側を悠々と泳ぐ渓流魚

↑中腹はまだまだ積雪しているのに山頂の木々だけ新緑という不思議な風景

↑奥秩父 川縁に自生するミモザ

↑武石川で釣れたイワナ

↑同じく武石川で釣れたアマゴ オレンジ色の斑点が目印

↑野宿人数分お魚をゲット。いつも食べる分だけ釣る。

↑焚き火の上手な人が火を起こすと、焼け残りが何もなく、このように美しい焚き火跡ができる

↑春の山は山菜の倉庫。この日はラッキーだった。新潟南魚沼付近某沢にて
 左からイタドリ、木の芽、こしあぶら、ウド、たらの芽

↑この日は野宿コースだったので採れた山菜を清流で洗い、昼食にすることに。

↑昼食は持ってきた乾麺を茹で、山菜の天ざるにした

↑まだ摘み取られていないたらの芽。最近は競争率が激しくて見つけにくい。

                    ***

 一人になりたくて(アウトドアの師匠や仲間と行っていたことはあったけど)
自然の中へいっていたのに そしてここ最近では その地域(東京でいえば奥多摩)で
また人とのつながりができてきた
これもほんとうにひょんな出来事がきっかけだったのだけど 
私にとっては非日常の場所で その土地で新しい仲間ができるというのは本当にうれしいものだ。
 
 数年前から日帰りで釣りにいって、針を飲んでしまいリリースできない魚などは
立ち寄って釣った魚を寄付?する店があるのだけど 出会って数回目の会話は今でも強く覚えてる
 その日私はタバコを携帯するのを忘れてしまった
帰りに立ち寄って「今日は釣れなかったわ~女将さんタバコわすれちゃったんだけど、売ってますか」と聞くと
おかみさんがふとカウンターからタバコを持ってきて私を店に入らせ、女将さんも客席について
休憩してきなさいなと言ってくれた。

「あんたはいつもわたしの日にくるわねぇ あたしは透析しなきゃで二日交代で妹とここやってるのよ。
若い時飲み過ぎか働きすぎかわからないけど、まいるわよ」と。タバコを吸いながら話し出す。
吸っても平気なんですか?と尋ねると医者にはタバコは吸いませんっていってるからいいのよ。
お酒もね、ないしょでビールだけちびちびのんでるのよって。
そうしてわたしにタバコを二本、さし出してくれた 
タバコ吸い忘れたから釣れなかったのよ、それから、強い風が吹いた日はだめだね。
目印なんて、釣具屋のは高いでしょ
山吹の芯をぬいてそれを糸につければ目印になるのよ。
今日はあんたが、魚に遊ばれたね。また、いらっしゃい、といいながらウーロンハイをご馳走してくれた

 それからつい先日には知り合いのつながりで奥多摩音楽を愛する会みたいな会に参加させていただいたのだが
みなさん立派な酔っ払いで気持ちのよい人たちでその上そこのお宅のお宅のお子さんたちが本当に子供らしくて
子供を持つときがきたらやっぱり自然の中で育てたいなと思った
 
 今、日常に戻って会社のあるオフィスビルの書店にたまに立ち寄るんだけど
ここの店員さんがめっちゃ愛想がわるい
 時間がなくてどうしても読みたい本があるときはここで少し立ち読みしたり買ったりするんだけど
いつもぶすーっとしちゃってさ、こんな態度じゃ人はお財布はゆるめないし接客態度に愛がない
いずれは奥多摩で出会ったあの子供たちも大人になったら愛のない場所へ行かざるを得 ないときが
くるのだろうから せめて今は愛のあふれた場所であのまま屈託なく育ってほしいななんて
思い出してしんみりしてしまった。

こうして年々アウトドア好きに拍車がかかっているのだけどこの秋からはまた登山も再開しようと思う。
目下歩く時間を増やして現在トレーニング中の身であります

↑3月。奥多摩某沢にて釣れた天然イワナ。まだまだ錆を含んでいる

↑旧新治村へ行く道すがら。早朝の空気がきもちいい。

↑新潟某ダム付近で釣れたイワナ。この子は数回駆け引きした。

↑ 下仁田付近某支流。浅瀬が続き入渓時は晴天であったのにあっという間に濃霧に。川は怖い。

↑八ヶ岳。霜の降りたコメツガメインの森の朝に光が差し込む

↑谷川岳の新緑ブナ林の美しさ

↑こちらは屋久島 白谷雲水峡。日帰りの縄文杉登山はきつくて死ぬかと思った

↑縄文杉登山では夫婦杉、ウィルソン株、弥生杉、そして縄文杉などと”通称”のつけられた
 名高い杉がたくさん見られるけど、通称の名前がついていない杉たちからもその太さや迫力や
樹皮に生きる苔たちの美しさに生きをのむ。

↑屋久島 霧の登山。白谷雲水峡へつづく道。

↑こちらは西表。川にはいりこみ、これからジャングルトレッキング

↑日没時の海辺にて、マングローブのシルエットが印象的だった

↑食事はいつだって 食べる分だけ。

↑西表の日没

野坂 実生

野坂 実生

photographer  レタッチ作品をメインに写真を撮っています
撮影ならびにレタッチ、補正承ります

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