18歳で生まれたおうちを出てから、
すでに10年以上経っていて、
そのあいだに、そのおうちがなくなりました。
そのおうちもなくなったし、じぶんの有様も、
そこに住んでたころとは幾分変わっています。
いろいろな町、いろいろな部屋に住んで、
今回はこのアパートメントに引っ越してきました。
面白いことに、これまで住んだ町や、住んだ部屋と違って、
いろいろな声が聞こえてくるようです。
もしかしたら、目が合うことも、あるかもしれない。
なんて期待も少しあります。
そしてぼくはこのアパートメントでは
どんなことばで話すのだろう、
誰に向かっているのだろう、
ここに住んでいるあいだにも、
いままでに住んだいろいろな町や、
いろいろな部屋のことが思い出されるのかな、
そういったことも、楽しみだなあって思っています。
ひっこしをする日、そういったことを思いながら、
いままで住んでた部屋を出て、いままで住んでた町を出て、
これから住む町に来て、これから住む部屋に入って、わくわくしながらも、
そのあいだに何度も口ずさんでる歌があります。
それを歌っているときに思い出すのは、
その歌を歌いながら出ていった、ぼくの生まれたおうちのことです。
アパートメントというのは、帰る場所じゃなくて、
いつまでたっても、寄り道をしているような、そんな借り住まい。
一度おうちを出たら、一体どこに着くのかなと、ずっと思っていたけれど、
最近思うのは、ぼくはおうちを出てからずっと、
どこかに帰ろうとしているのだということです。
おうちからどこかへの帰り道の途中に、
いろいろな町の、いろいろな部屋での、いろいろなひととの寄り道がある。
そこで知ったのは、ぞっとするような失敗や、涙が止まらなかった失恋や、
はっとするようなひらめきや、思い切った決断や、
壁を殴ったら痛いことや、風の吹いてくる方角や、
自分で淹れる珈琲の味や、あの子が作ってくれた唐揚げや、
ほんとにほんとにあたたかい手のことや。
それは、きっとまっすぐに帰っていたら、
知らずにすんでしまってたことかもしれなくて、
それをもっと知っていくそのうちに、同じ帰り道のひとと出会って、
手をつないで、一緒のおうちへ帰るのかもしれません。
そう思います。
これからお世話になるこのアパートメントを出るときには、
帰るところがすこし、見えていたらいいなと思いながら、
今日も珈琲のいいにおいのする方へ、ふらりふらりと寄り道をしているのです。