これからどうしようかなぁと、考えています。
このアパートメントの話です。
1月上旬、アパートメントの管理人である鈴木悠平君からFacebookのメッセンジャーでこの連載の話をもらいました。あのアパートメントの話しが私の元に!なんとも嬉しいお話。しかしまあ毎週書けるだろうかとか、書くのは得意ではないなー、でもやってみようかなとか、いろいろな想いが頭の中を駆け巡ったもののすぐに一周して、悠平君が今私に声をかけてくれたという事実、それがすべてだなと思い、アパートの一室をお借りすることになりました。2ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。
とは言ったものの、さて、何を書こう。
私に何か書けるようなことなどあっただろうか。
福島県の太平洋側、いわき市の港町・小名浜で生まれ育ちました。高校卒業と同時に上京。東京では会社員として音楽の裏方の仕事を、ここ数年はフリーランスで広報・宣伝、様々なコーディネートごと(いわゆる何でも屋さん的な)仕事をしています。現在は夢を追いかけ、ニューヨークはブルックリンに住んでいます。実家は祖父の代から続く鮮魚仲買。両親と兄、弟の5人家族。誰かに兄と弟がいると話すと「あーだからだね~!」と言われます。一体なんのことなのでしょう。
サッカーをしていた兄の影響で、小学3年生の頃からサッカーを始めました。すぐにサッカーに夢中になりました。チーム練習から帰宅後、家の庭で再び練習。ホームセンターで売っているパイプをつなげ、漁用の網を張って作ったお手製ゴールめがけてひたすらシュート練習。家の中でもクッションボールでまた練習。終わればJリーグ選手名鑑をひたすら読み、選手の名前を覚える。サッカー選手になりたい、キングカズのようにブラジルに行きたいと思っていました。
私は、当時名古屋グランパスエイトに所属していたストイコビッチ選手(通称・ピクシー)が大好きでした。イケメンと評判だった彼のプレーは、顔の美しさと同様にとても美しく、見ていてとてもワクワクするものでした。“自分がプレーするにしても見る人が楽しい方がいいな”と子供ながらに思い、華麗なフェイントをひたすら真似したり、どうすればカーブボールを蹴れるか研究したりしていました。コーナーキックを直接決めたら、みんな盛り上がるかなーとか。勝負に勝ちたいという気持ちはもちろんありましたが、それ以上に、どうしたらみんながおぉー!と盛り上がり楽しんでくれるのかを考えていたように思います。
サッカー少女だった当時の私の思いが、今の私を形作る人生最初の転機だったように思います。私を魅了してやまない、ワクワクするものに出会った、最初の記憶。その頃からずっと、何かに対していつもワクワクしていたい、誰かがそう思えるような環境を作りたいと思い続け、今に至ります。
書いているうちに、あれこれ思い出したのですが、
長くなりそうなので、続きはまた来週に。
2ヶ月ありますし、のんびりと。