仕事と同様にモノクロ写真も土地に慣れると撮影範囲がぐんと広がっていった。休日を使って取材で目星をつけていた場所を訪ねたり、片道3時間かけて和歌山や奈良の県境の方まで足を伸ばしたり離島の正月行事を野宿して追ったりなどちょっとした冒険をしているようだった。見たことのない光景にビビットに反応できる喜びと、東京を離れ頻繁に展示や発表に触れることができなかった焦りようなものが合間って撮影に集中できたのかもしれない。そんな私の反応する風景に対して発行人が「なんかこゆきさんがあげてくる写真てズレててジワジワ気になるんさ」と取材であがってくる写真を面白がってくれたことが、モノクロページの連載に繋がった。当初、発行人には廃墟好きなのだと思われていて、撮影にと廃墟スポットをお勧めされた。うーん、違うんだよなと思いながらも何に触れたいのか説明する言葉が見当たらずなんとなく頷いていた。
私は記号的でシンボリックなものには興味がなく、記号になりきれなかった事柄や市民に密接に関わっている事柄のほうが気になる。いい例えになるかわからないが、伊勢にある伊勢うどんが有名な店で常連客はカツ丼を注文する。一見さんや観光客はこぞって伊勢うどんを注文するというのに。なぜ市民は親しみのある伊勢うどんにしないのか、いろんなメニューがある中でカツ丼を選ぶ傾向が強いのかなど考える余白がある。他にも、各地区に残る祭りなどで、獅子や天狗といったメインとなる神事や舞が披露され、終わりに大抵餅まきをおこなう。それまで穏やかでゆったり動くおじいおばあちゃんたちが始まるとすごい剣幕になって餅めがけて飛びつく様子、「こっち投げて〜」と催促する声が飛び交ったりそのギャップが生々しくて面白い。こんな感じでメインよりその周囲にある事柄の方がいろんな要素や可能性を含んでいると思う。
脱線してしまったが『三重ワンダーランド』は、毎号場所を決めて地形をなぞりながら土地のオノマトペや言葉を採集して写真と組み合わせていった。鳥羽から志摩まで続くシーサイドウェイを行ったり来たり、神島で年明けまで行われる太陽信仰の祭りの様子の言葉を聞いたりしていった。なのでさっきあげた場所を示す記号化されたイメージは使わないページ構成になっている。
硬派な雑誌『NAGI』としては、不思議な言葉選びと写真の組み合わせに当初、わからない、難しいという意見が寄せらせた。重ねていくにつれ今回春っぽさがあったね、隠喩はこれでしょなど読者からのちょっとした反応が楽しみとなった。意味性の強い取材写真と自身の風景写真の差を強く感じていたが、3年という時間をかければ伝わるという可能性を感じる連載となった。