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2F/当番ノート

「いただく」ということ

当番ノート 第27期

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育ちなのか、仕事柄なのか、食材や料理の廃棄には人並み以上に抵抗があります。

お気づきの方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、前回と同じ書き出しで始めてみました。

うーん、どう転がしていきましょうか・・・
どんなところに着地できるでしょう?(笑)

さて「廃棄」といえば、飲食店にいる以上避けて通れないのが「食べ残し」です。

お店により程度はだいぶ違いますが、食べ残しによる廃棄はなかなかゼロにはなりません。

個人的な好き嫌いの話をしても仕方がないのですが、食べ残し・・・やはり嫌いです。

残すのも、残されるのも・・・。

そして、恐らくではありますが料理を作る人間で「残される」のが好きな方はいないのではないかと思います。

そもそも、人が食事を残す理由はなんでしょうか?

不味いから?
量が多いから?
嫌いな食材や、アレルギーのある食材が含まれているから?

いずれにしろ、恐らくはその料理に対して何かしらの不満があるはずです。

我々の仕事はお客様に満足してもらうこと・・・不満は取り除かなくてはいけません。
むしろ未然に防がなくてはいけません。

不味い、口に合わないはどうすることもできません。
自らの力不足を恥じ、精進を重ねるしかないでしょう。

量が多い、はコミュニケーションにより未然に防ぐことがある程度は可能です。
実際にオーダーを取る際や、食事中の様子、つぶさな観察と提案によりある程度はコントロールすることができます。

問題が多いのが嫌いな食材やアレルギー
これによって残されることを防ぐため、ある一定のお店、特にコース料理のあるお店は必ず嫌いな食材やアレルギーを確認します。
該当する食材があった際にはそれを除いたり、料理そのものを根本的に組み替えたりして対応します。
しかし、これにはお客様のご協力が不可欠です。

比較的よくあるケースなのが、聞いておいたのにもかかわらず、料理を提供した時点で
「あ、これも嫌いなの伝え忘れてた」
「まさかこの店でコレが出てくるとは思わなかった」
などと、後出ししてくる方がいっらっしゃるということです。

「うっかり」を含めた、やむを得ない事情理解しながらも、我々はこれに頭を悩ませます。

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・・・というようなことが割とよくある、というお話を以前したら

「そんな勝手を言う人がいるの?そんな時はガタガタ言わずに黙って残せばいいのに。」

と、おっしゃられた方がいました。

そうではないのです。
それはもう、根本がずれているのです。

手間暇や作業効率に対する不満ではないのです。
(・・・いや、実際ちょっとはあるかもしれませんが(笑))

一体、我々が何のためにあらかじめお伺いをしているのか・・・。

我々が「残される」のが嫌なのは複数の意味合いがあります。
もちろん一つは作り手のプライド。
少なからず、お金を頂いて料理を提供するからには、一定以上の自信と誇りを持って作っています。
それを残されるのは、少なからず自分の力を否定された気分になります。
もちろんそうならないために日々の精進が必要なのですが・・・

しかし、残されるのが嫌いなのはそんな利己的な理由のみではありません。
料理人が仕上げた一皿には様々な人たちの想いが詰まっています。
それぞれの素材を丹精込めて作られた生産者の方々。
それを鮮度を保ち運んでくれた方々。
出来上がった料理をそのまま、あるいはそれ以上の付加価値を付けて提供してくれるサービススタッフ。
凄く多くの人間の集大成によって完成した一皿・・・想いが詰まった料理は、やはり残されたくはありません。

我々は残すのがもったいないほどに美味しい料理が作れるように日々努力します。
食べきれないほどにお腹がいっぱいにならないように事前にうまく提案します。
皆様にもお願いしたいのが、好き嫌いやアレルギーを尋ねられた際にはぜひ細かく丁寧に答えてあげてください。

ぜひ、よろしくお願いいたします。

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さて、日本人が食事を始める際に口にする言葉

「いただきます」

この言葉には2つの意味が込められていると言われています。

一つは食事に携わってくれた人への感謝の意
料理をした人、配膳をした人、食材の生産者・・・
「人」に対する感謝の言葉です。

そしてもう一つの意味は食材そのものに対する感謝の意
肉魚はもちろん、野菜や果物にも命があります。
元々生きていたもの・・・「命をいただく」ということ
生物の命を自らの命へと「いただきます」

普段口にしている食材
今、そこにある料理

どのようなものをどのような手順により目の前にあるのかを理解していない・・・、或いは目をそらしていること、あるいは人、少なくないと思います。

普段目にし、口にしている豚でも牛でも鶏でも・・・
鴨でも鹿でも羊でもイノシシでもウサギでも・・・
魚でも貝でもタコ、イカ、海老、蟹・・・クジラやイルカでも

すべて「命」をいただいているのです。
もちろん残虐性にフォーカスをしろ、ということではありません。
ただただ、我々が生きていくため、そしてより豊かな食生活のために常々「命」をいただいています。
天然(自然)であれ、養殖であれ、飼育であれそれはすべて同じ・・・。
動物であれ植物であっても同じです。

当然ですが、食事のたびに常々考える必要はないと思います。
いつもそんなことを考えてていたら疲れてしまいますし、おいしい食事の場も楽しさが半減してしまうかもしれません。

ただ一度きちんと理解をし噛み砕いたうえで、頭の隅にしまっておいた方がいいと思います。

皆さんが食べる羊肉(ラム肉)は生後12か月以内であることをご存知ですか?
ホルモン焼きやモツ煮込みなど、動物の内臓の元の形やサイズをご存知ですか?
鶏肉の皮目にはそもそも羽がたくさん生えていたのを覚えていますか?
アスパラガス・・・定植してから収穫までにどのくらいの期間を要するか知ってますか?

もう一度言いますが、残虐性や労力にフォーカスしてほしいわけではありません。
だから食べるのをやめましょうとは全くもって思いません。
事実を知り理解したうえで沢山おいしくいただきましょう、と言いたいわけです。

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自分が幼少のころとは時代が変わったんだなぁ・・・と思うことの一つに「子供の食事の嗜好」があります。

土地柄かうちの店にはご家族連れもお客様もいらっしゃるのですが、お子様に圧倒的に人気なのが「生ハム」です。

中にはオリーブやブルーチーズなどを好んで食べる子供もいて本当にビックリします。

自分が子供のころには食べさせてもらえなかった(というよりそもそもそんな食材があまり無かった?)ものだったと思うのですが・・・皆さんはいかがでしたか?

そんな中、来店数度目で生ハムが大好きなお子様が来店されたときに事件は起きました。

ご存知の方も多いかとは思いますが、生ハムというのは豚の後ろ足(お尻から腿の部分を食べる)でできているのですが、当店では多くの店であるように原木(骨付き)を飾りながら切り出しています。

恐らく幼稚園児くらいの彼女・・・今までは「生ハム」が一体何であるのかを理解せず好んで食べていたようですが、ふとしたきっかけから原木を目にし、生ハムが「ブタさん」であることを理解した途端「かわいそう」で食べられなくなってしまいました。

そんな時、その子には数歳離れたお姉さん(小学生低~中学年くらい)がいまして、急に「ブタさん」である生ハムが食べられなくなった妹に対し
「ブタさんは食べられるためにこうなったんだから、おいしく食べてあげないとむしろかわいそうだし、おいしく食べたほうが豚さんも嬉しいんだよ」
・・・と

ブタさんの本心は私もわかりませんが、本質的な真理は得ている言葉だと思います。

残念ながらこの日、妹さんが生ハムを口にすることはありませんでした。

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食べ物は生き物から「作られるもの」です。

稲から精米が・・・
鯛から刺身が、カレイから煮つけが・・・
牛さんや豚さんが牛肉や豚肉、そして生ハムになるのです。

命を「いただく」ということ・・・

きっかけは「かわいそう」でもいいかとは思います。
しかし、生き物や対象を、人間の勝手な思い込みで擬人化した感情を当てはめての「かわいそう」だけで考えても、それはそれで大切なことが抜け落ちてしまいます。

必要なのは客観的な見解。
もう少し突き詰めれば、科学的な事実なのかもしれません。

「生きていたもの」を食べずして生きていけない我々は、最低限の覚悟を持ち、
使い方、食べ方に対して一度だけでもしっかりと向き合って考えることが命を「いただく」ものとしての責任なのだと思います。

嫌いなものを無理して食べろというわけではありません。
ましてやアレルギーならなおさらです。
食べる量を減らせとも言いません。
根菜の葉っぱや皮、出汁ガラの昆布や鰹節も、無理をしてまで全てを食べる必要もないでしょう。

只々、世の中から無駄な食べ残しが少しだも減りますように・・・。

少女がいつの日か、またおいしく生ハムを食べられる日が訪れますように・・・。

シュタっ!(着地音)

井口隆之

井口隆之

Concerto オーナーシェフ
1982年生まれ
私立武蔵高校卒業
アロマフレスカグループ、TACUBO(現)等で研鑽と積み、2013年 東京都渋谷区 代々木上原にて「Concerto」を開業
オープン初年度よりミシュランガイド ビブグルマン部門掲載

日々料理を創造しながら、どうでもいいことばかり想像しています

Reviewed by
ヤカ

「いただきます」
日常に馴染む一言の、その言葉の意味をより理解できたら、もっとおいしく、もっとじっくり味わうことができるんじゃないかな。

何気な発していたその一言の奥の奥がわかったら、そっと頭の隅に置いてみて。
ひとくちめのお料理を口に入れた瞬間からきっと気持ちが違ってくるかもしれません。
お話に花を咲かせるのもとっても素敵な一時だけど、たまにはじっくり料理も味わってほしい。

きっとその「いただきます」を理解できているだけで、お皿の上にのった沢山の想いをすべて味わえると感じる。
たくさんの方々がおいしみで溢れ、お皿の上になにも乗っていない状態で

「ごちそうさま!」

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