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2F/当番ノート

食について。

当番ノート 第28期

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韓国で美容師として働き始めて、やがて3年半が経つ。

この3年半でご飯屋さんもどんどん変化している。

 

自分は辛いものが苦手で韓国料理はあまり食べられないので、

この国の食にはだいぶ苦労をしていると言える。

最初はほぼすべての韓国料理がダメなぐらい何も食べれなかった。だが人間の適用能力とは凄いもので

少しずつ辛くない食べ物を見つけたり、頑張って辛いのに挑戦しながら自分自身も辛いのに多少慣れていき

大丈夫なようにはなった。

 

しかし海外生活のストレス、仕事のストレスなどで2回ほど胃腸をやられてからは

韓国料理はもう頑張らなくてもいいかな。と開き直りそれ以外の美味しいお店を探すようになった。

 

洋食のお店に挑戦したがパスタは1皿2000円以上するのに美味しくない、辛い。

日本食ももちろん高いけど美味しくない、辛い。

韓国では韓国料理は安くて美味しいのもあるみたいだけど

そのほかの国の料理は高いだけで美味しくない、、ほんとに美味しいのを食べようと思うと

高級店になってしまう…。

 

韓国で韓国料理以外を出そうと思うとどうしても過剰に韓国ナイズしないと

まったくだめになる。理由はみんな韓国料理が大好きで韓国料理以外を受け入れようとしない。

ほとんどが年齢層の高い方たちみたいではあるようだが…。

なので、日本食もほとんど辛い、逆に薄いといった味付けにされてしまう。

 

しかし、最近では美味しい外国料理屋さんが増えていると海外生活が長かったお客さんが

いろいろとお店を紹介してくれるようになった。

自分にとっては、すごくありがたい情報で助かっている。

 

韓国は学歴社会である。英語が喋れるなんてもう当たり前だ。

親たちが必死に子供達を留学をさせているおかげで海外生活を経験している若者が大勢いる。

その若者たちは韓国ナイズされた海外料理など求めておらず本場に近い味を求め始めている。

もともと外国人は自分の国の味を求めるし、韓国の人達もその国の味を求めてきたことから

どんどん韓国ナイズされてない海外料理屋さんが人気を得てきている。

 

この風潮のおかげなのか美味しい日本食、ラーメン屋さんも増えていている。

前まで、日本で修行してきた韓国の人がやっているラーメン屋さんや日本食など何回も

騙されてきたので信用してなかったがこの頃では美味しいところもちょくちょくあり

考え方改めることにした。嬉しい反省だ。

 

他にも、最近は料理人にフォーカスがあてられていて地位も上昇している。

テレビも料理番組だらけだ。知り合いの日本人シェフもテレビ番組に出ていたりする。

これからもどんどん韓国の食べ物は発展していく気がする。自分からすれば、すごく生活しやすくなる。

 

おいしい食べ物は、人を幸せにする。

 

辛くなくても美味しいものを食べる人が増えれば、激情的な性格の人も減っていってくれるのではと

ひそかに期待している。笑

tomo

tomo

沖縄(高校まで)→福井(自動車部品を作る)→福岡(美容専門学校)
→大阪(美容師)→韓国(maruni hair 店長 ) 
1986年生まれ
大阪で美容師をしていつの間にか韓国で雇われ店長をすることに
言葉もわからないところからどうにかやってきて今を楽しもうと模索してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

"おいしい食べ物は、人を幸せにする。辛くなくても美味しいものを食べる人が増えれば、激情的な性格の人も減っていってくれるのでは"

「食」は個人のためにあるのか、協調のためにあるのか?

お国柄というのは、食文化にも表れる。ぼくらは自分たちの風習には疎いわけで、比較できる場所に身をひそめることによって、良くも悪くも違いを知ることができる。

日韓の食文化の違いの一つとして、「取り箸」があると聞いたことがある。日本では、大皿の食べ物を取り分けるときには、取り箸を使うが、韓国では大皿を直箸でみんなでつつく、という傾向があるそう。

これは、個人としての食の楽しみを追求する日本人と、誰かとともにする食の楽しみを追求する韓国人、の違いについて触れている例なのではないか。隣の席との仕切りがある、ラーメン屋「一蘭」なんてその典型なのだなぁ、と感じるわけで。

まあ、その取り箸に見られる傾向というのも、両国ともに少しずつ変化はあるのだろう。それは、交通手段、インターネット普及などにより、比較できる場所を知り、より自分がフィットするものが何なのかを考える機会が増えたことは、その一因だろう。

国として何がベストなのか、ということはおそらくなくて、何人であっても、個人として何がベストなのか、ということの追求が先にあったほうがいいと、一個人としては思う。個人の総和が、国をつくるわけで、個人と協調のバランスのうまく取れればいいのではないか、と。

韓国人が、もしも今の状態から脱すること望むなら、次のようなことを思う。「一」という漢字には、「最上のもの」という意味があるが、より良いものを目指せば、国の文化をかたちづくる「辛さ」の上に「一」を足すことができる。それが新たなかたちの食と人の「幸せ」をつくるのかもしれない。

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