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2F/当番ノート

はじめまして、つなぐひとです。

当番ノート 第30期

「何をしている人ですか?」

「はい。つなぐひとです。」

「何をですか?」

「全部です。」

「は?」

そう、私はつなぐひと。

そう決めて、気づけば4年目。

25歳の時、やっぱり会社員というのが性に合わないなと。
それまでにお世話になった会社を数えてみたら、すでに15社。
場合によっては2社同時なんて当たり前どころか、ついでに大学院も行きましたが、
こんだけ行って、有名も無名も、大小様々行って、合いませんでした。

だからやめました。
ただそれだけ。
嘘つけないから。

でも、そりゃ本当はそれだけではないのかもなと思う今日この頃。

つなぐひとと名乗り始めたのは、
私にできることって考えたら、なんとこれだけだったから。
じゃあもうそれやる人って公言しちゃおう。
そしたら巡ってくるものが変わって来ました。

せっかくもらった機会だし、
もっと自分の中の色々について書く、内省的というか、うん、そんな場にしていこうと思います。
で、書きながら自分のルーツってなんだろうとか考えたいなと。

どこで生まれたか。

東京江戸川で生まれました。

お父さんは愛媛出身。
お母さんは秋田出身。
転勤で→四街道→最終的に木更津へ。
なので、物心つく頃には木更津の記憶しかないです。

が、木更津にふるさと心があるかと聞かれると、実は今あまり感じていません。
で、ふるさとっていう感覚を感じるのは、
江戸川でもなく、木更津でもなく。
言葉で言うなら点在している感じ。
かっこよく言うなら世界全部。

なんでだっけかな?

私は、勉強が好きでした。
と言うか、大人が好きだったのかも。
大人の言葉が理解できるようになるから。
大人は裏話を聞かせてくれたりするから。
その代表は、親。

だから、あんまり遊びに繰り出す子ではありませんでした。
お父さん・お母さんと目一杯話すのが好きでした。

遊ぶと、いつも男っぽく大きいガタイもあり、
子供世界独特のヒエラルキーがあったので、好きではありませんでした。
それよりも、将棋もオセロも、釣りもスキーもサッカーも
なんでもできるお父さんと遊ぶ方がワクワクが止まらず楽しかったです。

学校は別に好きでも嫌いでもありませんでした。
同年代と話しが合わないので、先生と話すのは好きでした。

でも、総じて正義感が強すぎる、かたっ苦しい子供時代でした。
だから、日々悶々してました。
そう言う意味では、まっとうな思春期だったのかも。
木更津での生活は、色を感じにくい日々の思い出が半分という感じ。
海も寂しいげで。

当時、一番好きだった大人は、オペラ歌手の叔母でした。
今井久仁恵と言います。
簡単に言うと、”ぶっ飛んで”ました。

まず見た目。
いや木更津にこの人いたら浮くわってくらい全く違う人種でした。
すごい俗な言い方すると、美輪明宏+マツコデラックス、
でも物量的には半分くらいみたいな感じです。

イタリア語もスペイン語も英語も話すし、
薔薇くさいし、
いきなり歌い出すと家揺れるし。

そんな人と、お腹の中にいた頃から交流していました。
両親は私を抱えてリサイタルにも、生徒さんの発表会にもたくさん連れていってくれました。

シーズンごとに会える彼女が大好きでした。
色のない木更津に大きな花がやってきた。
そんな感覚でした。

で、初めて行った海外が、この叔母とのコンサートツアーでした。

イタリア・スペイン歌の旅。

当時小学校5年生。

なぜか八景島シーパラダイスの遠足を勝手にキャンセルされ、行くことになったこの旅行。
40人程度のお弟子さん(といってもみんな60歳オーバーのおリッチな方々)と回る、
刺激満点ツアー。

彼らが公園で、軒先で、カフェで、ステージで歌うと、
みんなが嬉しそうに同じく口ずさむ。

話している言語は全くわかんない。

なぜこんなにオリーブオイルばっかなのかもわかんない。

でも、嬉しさと楽しさのセッションとその衝動・熱。
上手・下手を超えた関係。
能力ではなく、シンパシー。
たった2週間。
これが私の人生の最初の小さな扉が開いた瞬間だったように、今思うと感じます。

帰ってきて、そりゃあ普通の子供の日常に溶け込めなくなるのも無理はないわけで。

校庭で鬼ごっこ。

いやいや、それよりもラム酒のみまくってる歌のおばさんたちに会いたい。

どうやったら会えるか。

そうか、オーケストラやればバック演奏できるやん。
そんな感じで地域のオーケストラ、中高と吹奏楽部に励むのでした。

彼女のことは本当はいっぱい書きたいけど、また別の機会にでも。

こうやって書いてて思うのは、

「子供時代に子供らしいことをしたからって楽しんでると思うなよ」
ってのと、
「残すべき記録って、案外残ってないんだよな〜」とかとか。

そんな始まりの回。

酸いも甘いも出していけたらなと思います。

気長によろしくお願いいたします。

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つなぐひと
今井朝美
Tomomi Imai
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| 今井久仁恵 |
cover
1930-2011 昭和後期-平成時代のソプラノ歌手。
昭和5年8月24日生まれ。
アラゴン,ベルナに師事。
スペイン国立音楽大学を、首席で卒業、
昭和32年(26歳)マドリッドでデビュー。
昭和33年オペラ「蝶々夫人」のプリマドンナとして見事主役を演じる
昭和51年(1976)総理大臣表彰。
64年(1986)スペイン文化勲章受章。
平成10年今治市より功労賞を受賞。
平成11年にはしまなみ海道テープカットにも参加。
現在は愛用されていたピアノが松山市の愛媛県生涯学習センターの愛媛人物博物館に保管されています。

team wain Tomomi

team wain Tomomi

ものことひとを”つなぐひと”。
青山学院大学教育学部・同校大学院総合文化政策学研究科卒業。
オーストラリア・シドニーへ留学。他にもバックパッカーや旅行を通じて今の所25カ国。
飲食、ファッションコンサルティング、デザイン、アパレル、小売、教育、不動産など様々な分野を経験したのち、2014年に25歳でフリーランス「つなぐひと」として一度独立。
webデザイン、イベントディレクションを経て、2016年に押上にて「coworking atelier & cafe ViBAR」開業。
一度会社員に戻り、またフリーランスとして戻ってきたひと。

Reviewed by
たからさがし。

自分が今ここに居て、
ふっと何か考えが浮かんで、
ちょっと悲しくなったり、嬉しくなったり、
寝て起きて何かを食べたり、
どこかへ行ってみることもあって。
そばには誰かがいたりいなかったりなんかして。

流れる時間の中で”わたし”というものを意識したときに
「誰でもない自分は何なんだろう。
はたして誰なんだろう。」
と考えることは、向き合って受け入れようとしているのかもしれない。

何かを選んで、どこかで出会って、
動いて繋がって見えた世界。

繋がりを大事に思って、”わたし”を受け入れたときに
空の青さに気づいて、足元の絨毯が美しいことを知った。

”つなぐひと”の今井朝美さんには、
どんな世界が、どんな景色が見えているんだろう。

『これが私の人生の最初の小さな扉が開いた瞬間』
今井さんの扉にわくわくしながら、そっと”つなぐ”を考えていきたいです。

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