いよいよ3回目。そろそろ書こう、音楽のこと。
ひとまず言いたい事は、タイトルに書いた通り
音楽が一番苦手って話。
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–私は曲を作るのが苦手です。
そもそも作曲という事も大した勉強はしたことがなくて、知識が乏しいという要因もある。最初の頃はそれでも、自身から出てくるメロディーは全て”オリジナル”だと思って、それを形にして披露する事に意義を見出していた。もちろんだけど、インプットしたものしかアウトプットされないわけで、生まれてからの十数年の中で培ったインプットはものの数曲で全てアウトプットされてしまった。ある意味、やっとここからが”オリジナル”を作る道のスタートなのか、と現実を突きつけられたのかも。”アワウダミズハのオリジナルって何か”という問いに毎日追いかけられて、答えが見つかったと思えば誰かの真似みたいだなぁと落ち込んで。そんな繰り返しの中でたまに「アワウダっぽいよね」が見つかると、少しだけ光が見えて前に進める。
最初に知識があるとかないとかの話をしたけど、ここには立場の違いもあって。曲を作る作家(私)とそれを編曲するアレンジャーがいる。もっと簡単に言うと、作家である私が「うた」を作って、そのうた・曲の世界観を広げる(肉付けする)のがアレンジャーさんなわけで、言ってしまえばアレンジャーさんが一番音楽の知識を持っている。アレンジャーさんに編曲をしてもらうと、格段と自身の楽曲の奥行きが出来て最高に素敵になる。しかし、ここで少々戸惑いが生じる。”アレンジャーさんの力で素敵になって、この曲が果たして私の曲だと胸をはって言えるのか”と。初めてアレンジをお願いした時は、もちろんイメージ通りの楽曲になってとても嬉しかったのだけど、そのギャップをすんなりと受け入れることが出来なかった。その気持ちをアレンジャーさんにも打ち明けてみた事があるが、彼は「自分には曲(うた)はかけない」と言う。この言葉の意味はもちろん知識や技術的な不可能ではなく、歌いたい思いだったり、そもそも思いをうたにするという考えがないというのだ。この時、音楽をするという上での立場や役割が互いに違うということを初めて知ったのだった。
そして彼は続けて「そもそもいい曲でなければアレンジしてもいい楽曲には仕上がらないよ」と言った。「ごもっとも」と咄嗟に声にしてしまうほど納得した。私の”役目”はいい曲をかく事なんだと、シンプルな答えにたどり着いたのだった。ここで言う「いい曲」とは「気持ちが届くうた」という意味で、それを作る事がシンガーソングライターにとっての原点だと思う。これからも大事に追い求めていきたい。
–私は歌を歌うのが苦手です。
この連載を始める上で「歌」と「うた」を使い分けていることに気づいている方もいるだろうか。特に今まで書いてこなかったが、ここには違いがあって「歌」は歌唱という上での歌う「歌」であり、「うた」は気持ちを届けるという上での歌う「うた」。この2つの意味には共通部分もあるし、そうでない部分もあると私は思っている。ここで私が苦手とするのは「歌」を歌うという事。多分、カラオケに一緒に行ったら「上手いね〜」て言われるくらいの歌唱レベルで、ヴォイストレーナーの先生からは「もう何年もやっているのに相変わらずだね」と言わんばかりに毎回のレッスンでこてんぱんにされる(実際は優しいからオブラートに包んで言ってくれるけど)。正直、自分でも納得するほどお上手ではない。謙遜しているわけでもない。
しかし逆に言えば、私にとって歌うという事の重きはここ(歌唱力)にはない。と、いつもならこんな事言えば負け犬の遠吠え的な聞こえしかしない。世にいう”歌は気持ちっしょ”ていう浅い考えにしか捉えられないけれど、アワウダの赤裸々連載なのでもう少し補足(言い訳)をさせてほしい。
数年前に歌手のAIさんのライブを見に行く機会があった。それも偶然応募が当たって無料招待のライブ(しかも最前列のど真ん中)、実は別の出演者が見たくて応募したライブイベントだった。トリのAIさんが出てきて、ダンサーさんをバックにつけてパワフルなステージ。もちろん抜群の歌唱力で会場一体を盛り上げていた。そしてライブ中盤、2005年リリースの「Story」という曲を歌った。私たちの世代でこの曲を知らない人は少ないくらい、リリース当時は大ヒット。その後もプロアマ問わず多くの人がカバーするのを聞いてきた。とてもいい曲だと思う。けれど、AIさん本人の歌う「Story」を聞いて今まで思っていた「いい曲」の感覚が覆された。先ほど言った通りAIさん本人の歌う「Story」よりも他の人が歌うのを聞く事が多かったからか、いい曲と思いながらも聞き流してしまう部分があった気がする。でもこの日、ご本人の歌を聞いて、心から”この曲はAIさんが歌うから「いい曲」なのだ”と感じる事が出来た。全ての言葉がリアルで、ただの「歌」ではない生きた「うた」として届いたからだと思う。ライブの帰り道、お目当のアーティストを少々忘れるくらいにAIさんのステージの余韻が頭からしばらく離れなかった。MCではちょっとなまりがある話し方がキュートで、お客さんからのリクエストに即興で答えすぎちゃって時間ギリギリになっちゃったり。最初から最後まで人間性の滲み出るステージは、究極のLIVEであったと今でも記憶している。
どんな時も感じるのは、人に一番のパワーを与えるのは人であると言う事。そこに音楽があれば何百何万倍とそのパワーは大きくなる。音楽を聴く側としても発信する側としても、そうであると信じていたい。
–私は音楽をするのが苦手です。
数年前までサラリーマンをしていた事があって、我ながらそこそこ仕事出来るタイプだったと思う。アワウダ家では一番器用で、専門的な知識とかは広く持ち合わせてないけど大体の事はそれなりに出来ると思っている(世の中をなめてるだけです多分)。でも、そんな中で音楽は一番苦手な事の一つ。特に、自分以外の人と音楽を一緒にやる時に感じる。それまで作曲作詞も演奏も歌も、全て自分1人でやっていた私は、バンドという環境で自身の楽曲が奏でられる事が楽しみでしょうがなかった。自分の楽曲がギターやベース、ドラム、ストリングス、ホーン、、、世界が一気に広がるような気がしてわくわくが止まらなかった。マリオのスター手に入れる感覚。まさにあれ。バンドでの演奏する場合、当たり前だけど自分が考えていることや曲の事を演奏者へ伝えなければならない。メロディ、音色、強弱、テンポ、雰囲気、色、シーン、暖かさ冷たさ。とにかく言葉を尽くして伝えてみるけど、人が違えば音も言葉も捉え方が違う。「●●の□□て曲みたいなイメージ?」と誰かが言うけど、まず●●も□□も私は知らない。まず音楽を知らなさすぎるという壁にぶつかった。実はこれが2回目の音楽に対する「あーもう辞めよう」の瞬間だった。もちろんその要因は知識や経験が足りないと言うことも大きくあるけれど、何故だか音楽の事となると、客観的に物事を見れなかったり、冷静に判断して要領よく進められなかったりする。上手くいかなくて、くしゃくしゃと消してはまた作り直して。そんな事を何回も繰り返す。正直言って楽しくない時間が多くなっていった。でもふと、これこそが「こだわり」の根底にあるものなのかもしれないと気づいた。だからこそ、試行錯誤の末に生まれた”グルーヴ”を感じた時の快感を忘れられないまま、音楽をずっと続けているのだと思う。恐らく音楽が苦手でなかったら、きっとこの感覚も得る事はなかっただろう。
”グルーヴ”て多分色んな意味があるけれど、私が言うこの”グルーヴ”は一人で感じる事ができるものではなくて、歌う私がいて演奏してくれるメンバーがいて、もちろんその場に居合わせてくださるお客様がいるその場所・その瞬間で生まれるものだと思っている。それは今後一生かけても同じものを再現する事は出来ない、唯一無二のもの。いつかこの文章を読んでいるあなたと、そんな空間を共有出来る日を夢みて、また日々邁進していきたいと思う。(ライブにぜひ来て下さい[宣伝])
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苦手だからこそ、続く事がある。
苦手だからこそ、やめたくない。
相変わらず、諦めが悪い。