こんばんは。はじめましての人が大半だろうに、でも久しぶりの人や、しょっちゅう顔を合わせてる友人にも読んでほしいなと思って、それでどちらかというと近況報告のような心持ちではじめたこの連載も今日で最終回です。長くて短かった、週1回×2ヶ月の全9回。ふと思い出して、いつか全部読んでね。
すみだで暮らしています。それから。
毎朝、通勤ラッシュとはおよそ無縁でのどかな東武線に揺られて、すみだから浅草そして赤坂へ、隅田川を渡りお勤めに出る。
「毎朝同じ時間の電車に乗らないといけないことがやっぱりいつまでも苦痛な訳ではあるが、いつか何かの役に立ちそうと思って、毎朝の電車で隅田川を渡る数十秒、毎朝窓の外をじっと観察してる。冬の空は広く、初夏のそれははちきれそうだとか、葉が青く赤く変わっていく様、夏の水面、冬の輪郭、いろんな要素が飛び込んできて飽きない。」(2016年12月1日の日記より)
「澄んだ空の雲の色かたちが著名な絵画のそれに似ていた。何かに似ているものや誰かに似ている人を見つけることが私は好きだ。彼もきっとこの空を見て一抹の幸福を感じる類の人だろう。そうあってほしい。隅田川を渡る。平日の朝だというのに暢気でのどかな東武線の車窓が好きだ。」(2016年2月3日の日記より)
朝日を浴びてキラキラと光る隅田川に見守られて、長らく今の生活を続けてきた。でもどうやら、今再び転機が訪れたよう。この連載の最中、次の春が来たら、もう少し福島大玉村にいる時間を増やそうと決めました。すみだの部屋も残すつもりだし頻繁に戻るとは思いますが、これまでのような週末ごとの滞在ではなく、大玉村に暮らしたいなと急にはっきり思う瞬間があって、ほとんど考えるより先にそれが口をついて出た。
寒くなってお直しの季節です
これまでやってきていたことはと言えば、企業の広報の仕事の傍ら、福島で藍の栽培と染めなどを行う歓藍社という団体のあれこれや、お直しカフェという屋号(のようなもの)で、繕いのワークショップなど。最近はもっぱら寒くなって、お直しの旬まっさかり。みなさんもぜひ何かひと針、繕ってみてください。きっと、手入れして使い続けてたいなと思う、そのモノを通じて、自分の大事にしていることや大切な人のことが思い起こされるような、そういう幸福な時間になると思います。
お直しのこと
今改めて「直す」いう言葉を辞書で調べると、「修理する、修繕する、整える、繕う、そこなわれた気持ちなどをもとの状態にする」などが出てきます。やっぱり広い。私は4年前、靴下の穴を自分で繕いはじめてから、少しずつ、デニムやニットの修理や、シミのついたシャツを藍で染めて直したりもするようになりました。「お直し世直し」などと何やらもごもご言ってる私を傍目に、歓藍社で一緒に活動するデザイナーや大工、建築家の友人たちが、もっと大きな、家や村や暮らしそのもののお直しに銘々参画してくれている気が確かに少ししていて、それでもうすこし、この運動を旗振ってやってみるかなの意気込みで、大玉村への半移住を決めた訳でもあります。
新しい価値や関係性を生み出すこと
お直しの良さはたくさんあるのだけど、第一に、モノとの関係を継続することができる。これはそのまま、人との関係にも強く影響を与えるような気がしていて、人との関係もよく観察して手入れして穏やかに向き合っていきたいの気持ちが最近特に強くなってきた。第6回で建築家の佐藤さんも次のように述べていましたね。
「かつての近世以前の村とは人々の共同体としての社会集団のまとまりを意味した。『〜〜村の○○さん』と人々が呼ばれていたように、村はその人が帰属する集団であった。(中略)場所としての境界は必ずしも明確なものではなく、川の氾濫などによって境界は幾たびも変化し、多くの飛び地が散在して村の縄張りはしばしば複雑に入り混じるものであった。そして山や川、原野や沼地などは複数の村が共有するものとしてあり、相互の監視と随時定められた細やかなルールによってその環境が保全されていた。(中略)それが明治維新以降、東京に天皇の御所が移され、中央集権型の一元管理に基づいた廃藩置県によって行政区分としての村の地理範囲がほぼ明確に定められた。それ以降、村とは人間の社会集団ではなく地域の領域的区分を指す言葉として変容した。そうした明らかな領域の確定は村間の利害関係を調停するには好都合であるが、相互監視や相互扶助の機会を失ってひどく静的で冷たい関係が生まれることがある。領域の固定化、グレーゾーンの抹消は時として他者への想像力の劣化をもたらしかねない。他者への想像力の劣化は私たちが生きて行くうえで最も恐れるべきものだろう。そして日々、その劣化を確認し、補修しなければならない。そのことを少なくとも2011年の原発事故から私たちは学んでいる。」
お直しのよさ第二は、お直しを通じて、だんだん暮らしそのものを見る目の解像度が上がってくる。第2回でひとりでビルを建てる男、岡さんもこう言っていました。
「作ることの喜びを見出したことで、サルから人間になった過去がある。(中略)まずは衣食住をやることが重要だと思う。洋服が破れた、だから縫って見る。毎日三食作ってみる。土地が余ったらか野菜を作って見る。建築だって、玄関まわりが空いたから何か作ってみる。それはとても面白いことだと思っていて、スタートは芸術家とは違うけど、作りはじめさえすれば、その面白さは芸術家と同等だと思っている。服をつくるでも、野菜をつくるでも、面白い。野菜つくるにしても、『ああ、ここで雑草取らなきゃいけなかったんだ』『ああ、こうやって雨が降りだしたときは』と学ぶことが多くて、様々なことが起きて面白い。大切なことが起きる。入り口はなんにせよ、作ることに入っていくと、さまざまなことを思ったりする。」
カバンの持ち手を補強したり、机の汚れをやすりで削ったり、ものを作る、道具を使う、手の使い方が増えてきて、これは本当に、暮らしてて楽しいなという実感に繋がる。来年は、村で生活を営むことで、今取り組んでいる藍づくりとそれに纏わるこれからの暮らしの風景づくりの一連の運動加速させたい。
よいものはカタツムリのように進む
「直すより買った方が早い」とか「買った方が安い」という言葉が巷にはありふれているけど、果たして、この「早い安い」が、すでにそこにある自分とモノとの関係性をゼロにしてしまうほどの重要性を持っているのかというと、少なくとも私は、長い間自分の体の延長にあった服や靴下を、小さな穴や汚れのためにゴミ箱にポイっとしてノーダメージでいられるほど、人間の感受性は鈍っていないんじゃと思っている。「買った方が安いっていうのを変えたくて安くしてます(中略)自転車に対して執着がない、乗れれば良いやという人たちに向けてお店をやっている。千輪(チリン)という名前もそうだけど、ベルひとつ自分のお気に入りをつけるだけで、だいぶ気持ちが変わって、その自転車に対して愛着が湧くことを伝えたい。(中略)修理してプラス愛着を持ってもらう店にしたい」シャイな千輪さんが力強く語ってくださった、これらの言葉も大切に記憶しておきたい。
生きのびるためのお直し
本当は、建築家、石山修武のアポロ13号のお直しの話や、開放系技術の話、レヴィ・ストロースのブリコラージュの話などもしたかったけれど、毎回原稿が投稿される水曜ギリギリに書き上げて(時には遅れて)今回もそろそろタイムアップが近づきつつある。ひとまずこの連載はこのあたりで。最後に、初回の原稿の最後に書いて、自分自身励まされてしまった言葉を改めて引用して、お粗末ながら本連載の括りとしたいと思う。
決してハンドメイド趣味でお直しをやっているのではない。これは、道具を手に持ち、小さな技術と暮らしの創意工夫を取り戻す、私にできる小さな世直し運動なのである。
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おまけ
この執筆を「書きながら考えてみてよ」と、とてもフランクにオファーしてくださった、アパートメント編集部の鈴木悠平さん、いつも遅れて出てくる原稿に欠かさずレビューをくださったキタムラレオナさん、どうもありがとうございました。ぜひ、大玉村訪問リベンジください!待ってます!また、素人のインタビューに応じてくれた蟻鱒鳶ルの岡さん、じてんしゃ雑貨屋の千輪さん、力強い言葉をたくさんありがとうございました。それから、インドから考察を寄せてくれた佐藤さん、「橋本さんがアパートメントに書いてみるのはどう?」とおそらく軽い気持ちで、この素敵な機会に推薦してくれたことと合わせてありがとうございました。あと、連載をきっかけに自分もやってみたいと久しぶりに連絡をくれた友人、共感のコメントを寄せてくださったネット上の方も、暖かい交流をありがとうございました。あとあと、当番ノートの両隣、火曜担当のkumaさんと木曜担当の佐藤友理さん、いつも楽しみにしていました。アパートメントという、この時代におけるインターネットの良心のような場所に書くことができて、毎週はやはり大変でしたが、誰かの広報代理じゃなくて自分の言葉で書く文体やリズムがやっと戻ってきたなの感が確かにありました。来年大玉村でも、身近に起こった物事を書き留めること続けます。またいつかどこかで読んでください!2ヶ月間、本当にありがとうございました。ほなね!