「願い」
「世の中の役に立たずに生きていきたい」
高校生の頃、そう願っていました。
どうしてそう思うようになったのか、今となってはまるで分かりません。
けれどひたすらにそう思っていたことだけは、はっきりと覚えています。
神戸という海沿いの街で暮らしていました。
通っていた高校は小高い丘の上に建っていました。
教室の窓からは大阪湾が一望できました。
授業中、ぼくはずっと海を眺めていました。
晴れた日には、キラキラと陽の光にあふれかえっていました。
どんよりと曇った日は、海も灰色で重たそうに見えました。
海は毎日違う顔を見せてくれていました。
冬になると山から重たい風が吹き颪ろし、一面に白い波が立ちました。
鈍い光に包まれた荒れた海を、それでも貨物船は何隻も行き交っていました。
遠くで見ているには美しい光景でした。
荒れた海を船で進むのがどういうことなのか、
考えたことなどありませんでした。
知りたいとも思いませんでした。
ぼくは毎日、教室の窓から遠い海を眺めていました。
海は日ごとに変わり続けていきました。
一日のうちでも、朝と夕方ではまるで違っていました。
移り変わっていく景色をぼくはただ見ているだけでした。
自分と世界の隔たりを恐れていました。
けれど自分から歩み寄ることはしないで。
日々立ち現れてくるあれこれを、ただやり過ごしていました。
役に立たずに生きていきたいという願いは叶ったのでしょうか。
望んでいたような大人になれたのでしょうか。
「秩序と余白」
この頃、余白についてよく考えます。
世界の余白のことを。
余白はたっぷりとあったほうがいい。
息苦しい世界には、肩の力を抜いて一息できる、そんな場所が必要だから。
大人になるにつれて、世界は秩序だと感じるようになってきました。
ルールと解釈とコンテクスト。
把握しきれないくらい数の秩序が無秩序に溢れている。
それがぼくの世界のイメージ。
ただ当たり前に暮らすだけで、どれほどのルールに縛られるのか。
どれほど暗黙のコンテクストを読み取らなくてはいけないのか。
正しさという空虚な言葉に絡めとられながら。
「役に立たずに生きていきたい」
その言葉は願いではなく、諦めだったのではなかったのか。
30年経ったいま、そう思うようになりました。
無意識のうちに分かっていたのかもしれません。
世界と自分の間に横たわるモノのことを。
自分が世界の真ん中で強く生きることなんてできないことを。
それでもあがき続けて、あるき続けているうちに、
居心地のいい場所は見つかるものです。
それは、世界の端っこ。
役割も意味もない、そこに何かが描かれることなんてない、ただの余白だったのです。
「劇場と海」
まず劇場で暮らすようになって
そのうち、海でも暮らすようになりました。
なぜ劇場と海なのかとよく尋ねられます。
よく分かりません。
ただなんとなく心惹かれてそこにいるだけです。
でもそんなものなのだと思います。
ぼくだけでなく誰でも。
なぜそこにいるのか、なぜそんなふうに暮らしているのか。
理由を説明出来る人なんてそういない、最近、そう思うようになりました。
空っぽの劇場を見たことがありますか?
舞台装置がなくて照明も点いていない劇場は、だだっ広い空っぽな空間です。
華やかさのカケラもありません。
けれど大道具が立て込まれ、明かりがつき、音楽が流れ、
役者が舞台に現れると、まるで違う場へと変わるのです。
作り手の想いやひたむきさと、観客のあこがれや熱狂。
たくさんのエネルギーが一瞬だけ集まり、弾ける。
それが劇場です。
ただそれだけの場所です。
風で走る船で海に出るようになりました。
小さな船から大きな船まで、いろいろな船で航海を重ねました。
陸からほんの少し離れただけでも、驚くぐらい日常から離れた気持ちになれます。
その一方で、陸地や船影が見えない沖合を走っているのに、なにかが繋がっている、そう感じることもあります。
「海は人を隔てない。海は人を結びつける」
イタリアの古いことわざだそうです。
海からの視点を手に入れると、世界がまるで違って見えます。
海は自由です。
けれどひとつの判断ミスで簡単に命を落とすこともあります。
航海を続けるようになって、海は人が生きる場所ではないと感じるようになりました。
その一方で、何千年もの間、人間は海で暮らすために知恵を絞ってきました。
そして海で暮らすのはなんて魅力的なんだろう。
矛盾だらけです。
それが海です。
世の中の役に立たずに生きていきたいと願い、
自分が生きている世界にずっと違和感を持ち続け、
秩序に組み込まれない余白にたどり着いた、
そんな物語をもう少し語ってみます。