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2F/当番ノート

海と空と自分だけ

当番ノート 第36期

1995年の1月にフリーランスになって1年半ほどが経っていました。
仕事は順調でしたが、少しずつ追い詰められているような気持ちになっていました。
しかも、何に追い詰められているのかもわからずに。

ずっと同じことをやり続けることが苦手で、いつも新しい何かを作り続けていたい。
舞台という非日常な時間のなかでずっと暮らしていきたい。
そんな気持ちもあって舞台照明家になりましたが、人生の全てを夢の時間で暮らしていくには思った以上にエネルギーが必要でした。
また予想以上に仕事が立て込んだことで、仕事に追われるような暮らしになってしまいました。

好きで選んだ仕事、暮らしだったのに、このままだとキライになってしまう。
そう感じながらも、早すぎる日々の流れのなかで、違和感を修正することもできずに暮らしていました。

とにかく遠くへ行きたい。
だんだんとそんな感情を心のなかで転がしている時間が増えていました。
「遠く」とは地理的な話だけではなく、いま自分が暮らしている習慣や価値からできるだけ離れた時間を過ごしたい。
まだネットがない時代だったので、時間をみつけては雑誌や本を読み漁って「遠く」を探し続けていました。

1996年秋のある日、劇場にお芝居を観に行く前に少し時間があったので、渋谷の駅前にある大きな書店に立ち寄って船の本の棚を眺めていました。
ちょうどその頃、豪華客船での船旅に興味があったのでその手の本をいろいろと読み比べていたのです。

本棚に並ぶ背表紙を目で追っていると、
「帆船あこがれが航く」というタイトルが目につきました。
手にとってパラパラとめくってみました。
その本には、大阪市が1983年に帆船イベントを主催したことがきっかけで、帆船を作りセイルトレーニングと呼ばれる体験航海事業を始めた経緯が書かれていました。

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お芝居の時間が近づいていたので、流し読みしただけで棚に戻しました。
そのままお店から出て行こうと歩き出したのですが、なんとなくその本のことが心にかかっていました。
もう一度棚に戻り本をもう一度手に取りました。

それがぼくと帆船との出会いでした。

元々、船や海にそれほど興味があったわけではありません。
フェリーや連絡船さえほとんど乗ったことはありませんでした。
逆に、いまの日常や自分の好きなことから一番遠い。
それが帆船に心惹かれた理由でした。

– バージョン 4

セイルトレーニングとはイギリス発祥の体験航海プログラムです。
主に青少年向けで、帆船を自分たちで動かして航海することで、リーダーシップや協調性などを育むことができると言われています。
欧米やオセアニアではそれなりに受け入れられていますが、日本ではまだほとんど知られていませんでした。

自分たちで帆船を操って航海する。
劇場に通い、ゼロから新しい舞台を作り上げていく。
全てが人の意思によって組み上げられた世界。
風の力で走る帆船で航海することは、そんな舞台の世界の対極だと感じられたのです。

初めて航海したのは渋谷の書店で本を手に取って数ヶ月後。1997年の2月。
大阪から鹿児島まで一週間かけて海を渡ります。
船の名前は「あこがれ」
全長は50mほど。
30名ほどのトレーニーと呼ばれる参加者と10名ほどのプロの乗組員がその航海には乗っていました。

出航の日はどんよりとした薄曇り。
2月なのでとても寒い日でした。
重い荷物とかさばる上着。
初対面の人たちとの共同生活。
正直に言うと、航海の最初は期待よりも不安の方が大きかったと思います。

初日は大阪港から徳島沖まで移動して錨を下ろして一夜を過ごしました。
実はこの日にあったことはよく覚えていません。
多分、初めての環境と初めての体験にとまどううちに1日が終わってしまったのでしょう。

2日目は小雨混じりの寒い日でした。
四国に沿って南に下り太平洋に出たことで揺れも大きくなってきました。
帆を張るためにデッキに出て、言われるがままに重いロープを引いたりもしましたが、それほど達成感や充実感を感じることもありませんでした。
時々、デッキに波しぶきが上がってきて、冷たい海水を浴びることもありました。

少し流れが変わってきたのは3日目でした。
キッカケはマストに登ったこと。
ようやく天気がよくなり、波もおだやかになったので、前の日にやらなかった高さ30mほどのマストに登るプログラムがありました。
身体ひとつでマストの脇にある縄梯子で登っていきます。

なんとかたどり着いたマストの上からは、見渡す限り水平線まで海だけしか見えなかったのです。
みんながマストに登るので、その間他の船を避けるために少し沖に進路をとっていました。
だから陸地は影も形も見えず、他の船の姿も一隻も見えませんでした。

視界にあるのは海と空だけ。
その広い空間の真ん中に船と自分がいる。
その時に自分の中で、何かが変わったのです。

日々の暮らしの中でそれほどストレスを感じていないと思っていました。
好きなことを仕事にして、好きなことに囲まれて暮らしていたのですから。
けれどやはり「仕事」ではあったのです。
生活していくだけのお金は稼がなくてはいけません。
次々と仕事が入ってくる中で、自分では意識していなくても、知らないうちに仕事の規模やグレードを上げていきたいと思うようにもなっていました。

そのためには業界のルールや習慣に自分を合わせて、その中で存在感を出していかなくてはならなかったのです。
自由で、ふらふらとしていたかったはずなのに。
生活の全てを外側から与えられた枠組みの中で生きていたのです。
自分でも気がつかないうちに。
しかも積極的にそこに乗っかろうとして。

体力や気力が尽きるギリギリまで動き回ること。
仕事のチャンネルを増やして売り上げをアップすること。
会社を作って大きくしていくこと。
周りにいる同業の先輩方の振る舞いを見て、舞台照明家としてステップアップしていくとはそういうことだと思い込んでいました。
その後を追うように働いていましたし、実際にうまく回って手応えも感じていました。

でも、違ったのです。
普段の暮らしと全く違う環境に身を置いた時に、やっとそれが見えてきたのです。

もちろん、初めて帆船で航海した時に、そこまではっきりと意識したわけではありません。
でも分かったのです。

いまの暮らし方は自分にとって快適なものではないということに。

陸地すら見えない遠い海の上で、風の力で走を走らせて、そして初めて出会う様々なバックボーンを持った人たちと暮らす。
そんな中で、今まで絶対だと思ってきた価値感は、世の中に無数にある価値のひとつでしかないという当たり前のことに気がついたのです。

そして初めての航海はまだまだ続くのでした。

ぶんごー

ぶんごー

舞台照明デザイナー 帆船乗り
劇場か海上にいることが多いですが、日本各地をうろうろしていることもよくあります。
ゆっくりと移動するのが好きです。

Reviewed by
ぬかづき

人の「きっかけ」を知るのが好きだ。人生を変えるような大きな選択に至った理由だとか、ものごとが転がりだしていくところのいちばん最初のひと押しだとか。多くの場合、必然と偶然がからまりあって、いつのまにか物語が動きだしている場合が多い。そういう話を聞くと、人生捨てたものではないな、と心がすこし温まる。

ぶんごーさんが渋谷の駅前にある大きな書店で一冊の本を手に取ったときにも、きっと、偶然と必然がからまりあって、ものごとが動き出しはじめたのだと思う。

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