1997年の2月。
帆船での初めての航海は、一週間ほどかけて大阪から鹿児島まで太平洋を越えていくものでした。
それまで海や船に興味があったわけではありませんでした。
ほんの数回フェリーに乗ったくらいが、これまでの航海経験の全てでした。
そんなぼくが自分たちで船を動かすことを目的としたセイルトレーニングというプログラムを受けて感じたこと。
船という完全に外部に閉じられた環境。
初めて知り合った、年齢も職業もバラバラのメンバー。
そしてほとんどの人にとって初めての船で暮らす。
元々、人見知りなところがあるので、船で暮らすことにもっとストレスを感じるかと思っていたのですが、不思議とそうした慣れない環境へのストレスはそれほどありませんでした。
ひとつにはあまりにも日常と懸け離れた初めての体験が多くて、そのことだけで十分に楽しかったこと。
もうひとつは、お互いの関係性やルールを自分たち自身でゆっくりと作っていたから。
もちろん、船で暮らすにはたくさんのルールがあります。
陸上とは全く違う環境で安全、快適に暮らすために、普段の生活では意識しないことにまでたくさんのルールがありました。
水を無駄遣いしないこと。
船が揺れて飛んでいかないように、モノを放置しないこと。
自分の身を守るために、片手はいつでもどこかを掴んでいること。
その時々の風向きと波の高さをいつも意識しつづけること。
またワッチや全体で船を動かすために様々な作業をするので、決められた時間を守ること。
その一方で、天気や海況が急に変わって予定通りにならなくても、臨機応変に素早く対応すること。
そんなふうに、一見ルールやタスクにガチガチに縛られているはずなのに、ぼくたちはどこかおだやかな気持ちで暮らしていた気がします。
航海のルールは海で生き抜くために、安全に船を動かすために、船という特殊な環境で健やかに暮らしていくために、必要なものばかりでした。
初めは理由の分からないことでも、よく聞いてみるとはっきりした理由があるものがほとんどでした。
船そのものもそうです。
帆の上げ下げは全て人の手で行います。
デッキには帆につながった無数のロープが100本以上もあります。
一見、訳がわからないたくさんのロープですが、その全てには役割があるのです。
帆を上げる時、降ろす時、風に合わせて帆を調整する時、どのロープをどうやって操作するのかちゃんと決まっているのです。
風という自然の力を最大限に引き出し、自分が進むための力へと変えるための知恵。
2000年以上前から培われ、300年ほど前に完成したといわれる帆船というシステム。
その帆船で実際に海に乗り出すと、昔の人たちが海を渡るためにどれだけのエネルギーを費やしてきたのかを感じられる気がしました。
船にある水の蛇口は普通のと違い、ひねっている間は水がでますが手を離すと戻ってしまい止まってしまいます。
それは海の上では手に入れることができない真水を無駄に使わないようためです。
乗船者は何人かずつの小部屋で寝起きするのですが、それぞれの部屋のドアは閉めずカーテンを引くだけにしておくように言われます。
万が一、衝突などを起こし強い衝撃を受けたときに、船体が歪むとドアが開かなくなることがあるからです。
帆船での航海というとロマンティックな響きがあるかもしれません。
けれどぼくが体験した航海には、ロマンなんてほとんどありませんでした。
あるのはリアルな現実とそれに立ち向かおうとする人間の意志の結晶でした。
風は思うように吹いてはくれませんが、その中でどう走るのか。
潮の流れはどうなのか、天気はどう変わりっていくのか。
自分の思い通りにならない自然という現実に囲まれて、どうにかして自然をなだめすかして進む。
海で生きるとはそういうことだったのです。
何もかもが日常のルールとは違っていました。
だからぼくたちは、そこで健やかに暮らすにはどうすればいいのかを、自分たちで決めていかなくてはならなかったのです。
お互いのことは最初は何も知りませんでした。
だからぽつりぽつりと語り合いました。
明るいデッキで広い海を眺めながら。
お互いの姿さえ闇に溶けて見えない深夜の当直中に。
食後のキャビンのくつろいだ雰囲気の中で。
やらなくてはいけないことはたくさんあり、そしてほとんどは一人ではできないことです。
その一方で、ぽっかりと空いた何もない時間もたくさんありました。
そんな船の中での時間をどう過ごし、どう楽しむのか。
ぼくたちは自分たちだけのゆるやかなルールを少しづつ結んで行ったのでした。
もちろん、言葉や文章になっているわけではありません。
それでもお互いがお互いを知り、尊重し、助け合う中で。
自然に、ゆっくりと、けれども一歩一歩確かに。
それから20年が過ぎたいまでも、ぼくは帆船に関わり続けています。
初めは普通に乗客として乗りましたが、やがて無給のボランティアクルーとしてプログラムのお手伝いをするようにもなりました。
外国の帆船に乗りに行ったり、帆船レースに参加したりもしました。
帆船に関わるようになってずっと、一年のうちの少なくとも1ヶ月。長いときだと3ヶ月ほどを、船で暮らしています。
舞台と海という二つの世界は全く違う目的を持ち、異なる価値観で動いていました。
そしてそんな正反対の二つの世界を行き来して暮らすことが、ぼくが心安らかに生きていくためには必要なことだったのです。
多分ぼくは、なにかひとつの価値の体系の中で上を目指して進むことができないのだと思うのです。
何かに特化すること、洗練されていくこと、深めていくこと、それを楽しむことができないのだと思ったのです。
むしろ、雑多であること、多様であること、玉と石とが入り混じる中で生きること、そのほうがよほど居心地がいいのです。
だからこそぼくにはふたつの世界を持たなくてはならなかったのです。
それも、全く違っているようでいて、その根本でどこかつながってもいるような世界を。
舞台と海。
どちらも非日常な場所です。
そして働く人たちは自分の仕事にプライドをもって一心に取り組んでいます。
先人たちから知識や経験、技術を受け取り、それをアップデートして高めています。
たったひとつでも出会うことは難しい、自分が心の底から居心地のいい世界。
それにふたつも出会えたことは本当に幸せだと思います。
いや、ふたつの世界で生きてこられたからどちらもぼくにとって最高に居心地のいい場所であり続けてくれたのかもしれません。
でもでも・・。
坂田靖子さんというマンガ家に「天花粉」という作品があります。
坂田さんは、ほのぼのとしたユーモアがある不思議な作風のマンガを描く人で、この作品もそうしたテイストにあふれています。
中国の奥地っぽい川で釣りをしていた男が謎の魚を釣り上げます。
謎の魚はこのあたりで一番高い山まで連れて行ってくれればお礼をあげると言います。
苦労して山のてっぺんまで謎の魚を連れて行くと、魚は龍になります。
龍になって空の彼方に飛んで行ったかと思ったのですが、物語の最後に龍は再び戻ってきて男と一緒に食事をしたりします。
「お前、龍になったんじゃないの!」男に言われた龍は答えます。
「そうなんですけど、なってみると特にすることもなくて」
27歳でフリーランスになる時に、
「日本武道館でセンターピンを任されること」
「お芝居の全国ツアーでチーフを任されること」
のふたつを目標にしていました。
コンサート業界と演劇業界、そのどちらでもちゃんと仕事ができると信頼されないと任されないポジションなのでてす。
続けるにしろ辞めるにしろ、その業界の中で一端と認められるレベルにならないと、自由になれない気がしたからです。
けれどこの目標はフリーランスになって一年もしないうちに、どちらもあっさりと達成してしまいました。
28歳で初めて帆船でゲストとして航海した時からスタッフとして関われればと思っていましたが、それも数ヶ月であっさりと実現しました。
おかげで普通の旅行ではできない体験をたくさんしましたし、あまり行かない場所に訪れることもできました。
そしてもうすぐ50歳になります。
なんだか今までの場所では遊びつくした気分がしてきちゃいました。
龍になった謎の魚ではありませんが「特にすることもなくて」そう言いたくなるのです。
「天花粉」に出てくる謎の魚にとって本当に楽しかったのは龍になることではなく、川から高い山の頂点まで行くまでのあれこれ(まあ実際に苦労したのは釣り上げた男で魚はただ運ばれてただけなのですが)だったのではないのかなあと思うのです。
イヤがる男をなだめたりすかしたり、豪華なお礼を約束したり、ワイワイと騒ぎながら山を登っていく道中が、謎の魚にとっては楽しい時間だったのではないでしょうか。
謎の魚が龍になった時に、山頂まで運んでくれた男にお礼としてあげたのが天花粉でした。
シッカロール、ベビーパウダーとも呼ばれる、昔はどの家庭にもあった白い粉です。
漢方薬の一種ですがそれほど高価なものでもありません。
「これ、なんの役に立つんだよ」叫ぶ男に龍になった謎の魚が答えます。
「アセモに効きますよ」
これまでの人生、自分の足で歩いてきたことなんて意外と少ないのではないかと思うようになりました。
いろんな人に出会い、導かれ、手伝ってもらい、励まされ。
「世の中の役に立たないで生きていきたい」
ただそう願っていただけなのに、自分でも思いがけなく遠くまでたどり着いてしまった。
そんな気がします。
そしてごめんなさい。
気ままに生きてきたぼくがみんなにお返しできるのは「天花粉」ぐらいしかないのです。
次にどこにいってなにをするのか、そんなこともいろいろと企み中ですが、それはまた機会がありましたら・・。
自分にとって心地いい場所で、役に立たずに生きていくこと、それだけは確かなのですけどね。