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2F/当番ノート

アパート友達

当番ノート 第42期

先日、はじめてのアパート友達ができた。

彼女の姿を初めて見たのは、アパートの階段をあがっていた時だった。玄関の鍵を閉めている彼女とばったり遭遇したのだ。めったに人に遭遇しないアパートなので、嬉しくなってしまった私は「あの、こんにちは!隣の隣の部屋に住んでいる者です!」と速攻で声をかけていた。不審者扱いされてもおかしくない状況だったが、彼女の方も「このアパートで友達ができるなんて嬉しい~」と言ってくれて、今度一緒に飲みましょうと連絡先を交換することになった。

「ぼんじり食べます~?」数日後、最寄りの焼き鳥屋さんで、私は彼女と飲んでいた。ご飯はもう食べてきたと言うから、ビールと一緒にちょっと食べる感じか、と思っていた私を尻目にぼんじり6本を注文する彼女。「ぼんじり美味しいですよね~」とにこにこしながら全部食べてしまった。フェイスブックで友達になろうよと言うと、大人の人ってフェイスブックやってるイメージ!と笑い、近頃若者の間で流行っているtiktokというアプリを教えてくれた。品揃えの悪い近所のスーパーの文句を言い合ったり、畑で採った野菜をわけてくれる大屋さんの素敵さについて話しあったりしながら、どんどんビールを飲む私たち。恋人と一緒にいるために地方からでてきたこと、痩せそうという理由でヨガの先生になったこと、ぼんじりばかりを追加注文すること、地元より給料がいいから東京で稼ぎたいこと。彼女の話には、私の生活圏内にはない選択の理由が溢れていた。私はダンスが好きだからダンサーになった。世界一面白いカンパニーがイスラエルにあったからイスラエルに渡った。ぼんじりは好きだけどぼんじりばかり食べるのは嫌だ。彼女の話を聞いていると、私にとっては選択の理由にならないことが、彼女にとっては重要でそれを大事にして生きてきたということがよく分かる。彼女にとっても同じことだ。何をするにもダンスを基準に人生を選択してきたなんて、謎でしかないだろう。だけど、正しい選択の理由なんてどこにもない。それぞれが大事だと思ったことを大事にするだけだ。馬鹿の一つ覚えみたいにダンスダンス言っている私を笑い飛ばす彼女。「なんだ、このやろ~」とどつきながら、肩の力が抜けて、スコンと気持ちが楽になっている自分がいた。

一昨日、大家さんが私の部屋のカーテンレールを直しに来てくれたので、隣の隣の部屋の彼女と飲みに行った話をした。「あれ、なんつったけな、体が柔らかいやつ!あれやってんだよな、あのこ。」「ああ、ヨガですか?」「それだ!俺も一回はヨガやってみたいなあ。」どうやら大家さんはヨガがやってみたいらしい。

 来週からツアーが始まる。ダンスを人生の中心に据えてしまったおバカな仲間たちが世界中から集まってくる。みんな元気にしているだろうか。これからはじまる二か月の海外ツアーに思いを馳せながらキッチンの片付けをしていると、ふと、料理用の塩がなくなっていることに気づく。海外でも持ち運べるようにチャック付きの小さな塩を買うから、すぐになくなってしまうのだ。スーパーの塩売り場の前に立ったとき、どれにしようかと一瞬迷ったが、重くて半年くらい使えそうなでっかい塩を買ってみた。こんなにでっかい塩を買ったのは久しぶりだ。私はこの塩をアパートに置いていく。またツアーから帰ってきたときに使えばいいのだ。買ったまま食べていないお菓子やビールも置いていく。ここは私の部屋だ。また帰ってくるから、続きのままほったらかしていこう。

この部屋での生活も、ダンスでツアーをする生活も、ちっぽけな理由をもとに私が選んだ生活。大事だと思ったことを大事にするために。

一生懸命踊ってこよう。帰ってきたら、大家さんと一緒に彼女のヨガクラスを受けにいこう。

それでは、いってきます。

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かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

「選ぶ」というと、それは特別な機会のように思われる。好きなケーキを選ぶ、服を選ぶ、その日会う人を選ぶ、飲むお酒を選ぶ、音楽を選ぶ、選ぶのを放棄するということを選ぶ……。

実際のところ私たちの毎日は選択の連続で、途切れることはない。こわい? 私はそれが少しだけ、こわい。スリリングなことだ。選択する、というのは複数の中からひとつ選ぶことだと考えているけれど、それを選ぶ理由はひとつじゃないことが多いから。人が何気なく何かを選ぶとき、そこには複雑に重なり合った背景がある。過去の人間関係だったり、環境だったり、なんてことないのに忘れられない漫画のセリフなどが溶け合って、もう精密に分けることなどできない。

選ぶということにその人のセンスみたいなものを感じることも多々ある。だけど、優劣はつけられないと信じている。その人の大事にしているものが見え隠れする選び方に、ただその人を「見て」いたい。

選ぶのは一瞬の出来事に違いない。選んだ背景にはたくさんの過去。だけど、忘れちゃいけないのはこの先にもその選択がつながっているという、通過点であるということ。その時点では良し悪しの判断がつかないことを、それぞれの感性と経験で決める。選びとる。それは、個性だと思う。

選択のセンスが似た者同士は居心地がいいから、なんとなくそういうグループになっていく。だけど全く違ったセンスを持っている人との関わりは、ひとつの世界から自分を解放していくれる一助になるかもしれない。選択はある種、自分のありたい姿を投影するもの。追い込めば息苦しいときもあるし、何かを目の端で見落とすことも。

例えば、自分の暮らすアパートの隣の隣に暮らす人という共通項しかない人と友達になる。それをきっかけに、自分にとって「これ」と思っているものが人にとってはあまり意味を持っていないことに気づくかもしれない。でもそれは素敵なことだ。自分にとっての理由がひとつ増えたり、人の人生の面白さを知るひとつの機会にきっとなるのだから。焼き鳥屋さんでのまりこさんたちのように、平らに柔らかく、人とつながっていきたいと思った。

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