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2F/当番ノート

でこぼこな体

第42期(2018年12月-2019年1月)

からだがミシミシと悲鳴をあげている。。。

私の膝は前十字靭帯と半月板を損傷している。新体操選手時代に背骨も二つ左にずれてしまった。なので、ちょっと一生懸命踊り出すと膝と腰を支える筋肉群が唸り声をあげはじめる。。。そう、いまだってほら。。。

ダンサーはアーティストだが、それと同じくらいアスリートだと思う。もちろん、身体を鍛えていなくても、高齢でも、踊れる踊りはある。ダンサーは何歳まで続けられるの?と聞かれれば、その人の美的価値観に身体がついていく限りと答えるし、どれくらい身体性を重視するかが各自の価値観や作品性に委ねられるところは、ダンスのアートであるところだ。

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 3週間前にイスラエルに来てからというもの、毎日9:00~19:00でリハーサルをしているのだが、身体改造といっても大げさでないくらい、体が変わってきた。リハーサル後にストレッチをしていると、新体操選手時代に中国人の先生に言われた言葉を思い出す。股割りみたいに足をひろげた状態で両足をそれぞれパイプ椅子にのせ、両足が分度器の45度と135度を指した状態、つまり270度くらい開いた状態で、先生が背中に乗り、前方に倒れる。誰も信じてくれないが、新体操界隈ではよく見られる柔軟のやりかただ。「いた~~い!」と叫んだ私に先生が一喝「ヤワラカクナッテル、デショ!」痛みの絶頂にいるときにそんなジョークみたいなこと言うやついないよ、と今なら思うが、幼い私は叫んだ「やわらかくなってるううーー!!涙」まじめか。

 私の所属するダンスチームは現在世界中で引っ張りだこ。メンバーもかなりの強者がそろっている。しかし、プロ中のプロである彼等も様々な身体的不調をかかえている。怪我をしている人、体力の衰えを感じている人、どこにも問題のない人は一人もいない。みんなそれぞれの身体となんとかうまく付き合っている。私自身も5年前に右足の靭帯を損傷。踊りを頑張りたい時期だったから、うまく歩くことすらできなくなったことが、悔しくて悲しくてしかたなかった。健康な足なら10分でいけるスタジオまでの道のりを、毎日30分かけて歩いた。ある日スタジオへ向かっていると犬が現れた。変な歩き方だなと思ってよくみると、足が一本足りない。交通事故にでもあったのだろうか。三本足のその犬はしっぽを振り振り、ベロを出して、お散歩をしている。ぎこちなく歩く私の目の前をピョコピョコと駆け回る三本足のわんこ。足が一本足りなくても、楽しいのか。与えられた体を受け入れて楽しむだけだぜ、と、わんこが背中で語っていた。

 少し前に「怪我をする前の体にもどりたい?」と聞かれたことがある。間髪入れずに「NO」という言葉が口から飛び出てきて、自分で驚いた。でも、この体がいいのは本当の気持ちだ。この体で踊りを学んできたし、この体でしか踊ったことがない。すっごい身体能力の高い体と替えてあげましょうと魔女に言われても、ご遠慮するだろう。そもそも身体能力の高い体を扱える気がしないし、共に歩んできたこの体がちょっとは気に入っている。

 ダンスの仕事を通して学んだことの一つは、ベストな状態じゃないときに、それをどう受け入れて、踊りにしていくかということだ。健康でハッピーなときはよしとして、体調が悪かったり、元気がない時にどう踊るかを学ぶ事は、結構重要だったりする。相田みつをじゃないけれど、雨の日には雨の中を、風の日には風の中を、疲れている日は疲れているなりの、元気がない日は元気がないなりの、というやつだ。お客さんに言い訳は通用しないが、舞台上だからといって嘘をついて無理をしてもうまくいかない。いったんその体を受け入れ、心の繊細さは体の敏感さへ、疲れた体は空間を聴く体へと、踊りにしていく。それは甘えとは違う。甘えの正反対だ。自分の体を受け入れて、言い訳せずに、純度を追求していく。それは美しさだと思う。

いろんな歴史を背負った、でこぼこな体から美しさが出てくる世界がいい。人生いろいろ、健やかな体もいいし、ボロボロの体もいい。どんな体にも美しさがあり、愛おしい。

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かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

欠点や不利な状況を本当に受け容れるのはいつも難しい。逆に、「こうだったらいいのに」と思うことなら永遠に思いつく。スタイルや容姿だけではなくて、楽器を弾く才能や踊る才能、文章を書く才能、絵を描く才能。私は、あらゆる才能が羨ましい。

だけど「こうだったらいいのに」は無責任に口をついて出たものであって、当の本人はちょっとした暇つぶしに現状の自分への不満を呟いただけにすぎない。どれも本当に自分が必要としているものではなかったりもする。ただ、素晴らしい才能というものに憧れているだけ。

本当に欲している才能を神様から偶然、与えられたとして。与えられてからしばらく続く人生で、一番大変なのは、不利な状況を突きつけられることになっても自分の頂点を誰かの判断に委ねないことなのかもしれない。誰よりも自分の理解者になること。それって、かつて誰かが「今のあなたが素晴らしい」とジャッジした自分以外を追求する勇気が必要なんじゃないか。何かができない自分という欠落に執われる代わりに、「その時々に変容する身体と心をちゃんと自分が頂点に連れて行く」という気持ちの強さが内側からじっくりと新たな自分をつくりあげていく。

ふと私は「受け容れる才能」をすっかり忘れていたことに気がつく。何かに長けている才能とこの才能が合わさったとき、例え周りの人たちが嘆くような事態が自分に覆いかぶさってきても、本人は途切れることのない道を歩き続けることができる。

だから、彼女の身体はいのちと一緒に「踊り続ける」。真っ直ぐ歩けなくても自分のステージを降りないように生きよう、とまりこさんの文字の佇まいを見て思った。

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