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2F/当番ノート

旅する命

当番ノート 第42期

イスラエル(15℃)→ニューヨーク(-10℃)→オーストラリア(30℃)

 NYはとにかく寒い。来週にはオーストラリアへ向かうことになっているので、二週間で冬と夏とを体験することになる。イスラエルは気持ちのいい気候で、自然と地元の人との話もはかどった。しかしここNYではそうはいかない。誰かが声をかけてくる雰囲気をかもしだそうものなら、お願い、立ち止まるの無理!声かけないで!だって寒いんだもん!と、性格の悪い人間がでてきてしまう。。。気温のせいにしている?いやいや、環境の影響というのは、おそらく我々が思っているよりも大きいのだ。

 このあいだ何かの番組で幼児から高齢者までの「人生でオススメしたいこと」特集をみたのだが、とにかく「旅」という答えが多かった。インターネットの時代に、いまだに人が旅に惹かれるのは、どうしてだろう。旅先でうまく喋れなくて小さくなってしまう自分、パーティーに呼ばれて朝まで踊り倒してしまう自分、誰もいないビーチの解放感に裸になってしまう自分。。。自分らしくもない自分の姿。旅先ではこれまでの人生で育ててきた、自分はどういう人間だという価値観が通用しなくなる。そのかわり、別の場所で生まれ育っていたらこうなっていたかもしれない、出会ったことのない自分の姿が浮かび上がってくる。

 ダンサーとして世界中を飛び回る生活をはじめてすぐに、自分は環境にこれほど影響を受けるのかとショックを受けた。国によって「自分」だと思っていた人間が変わってしまうのだ。昨日までは道で迷子になっていそうな人がいれば自分から声をかけたのに、今日は寒すぎるから声をかけないでほしいと思ってしまう。服装も、砂漠の国イスラエルでは薄手のカラフルな服を着て、日本では生地多めなきちっとした服を着て、ロンドンでは奇抜なおしゃれをしたくなった。意識的に服装を変えようと思ったことは一度もなかったが、国が変わると自然と着たい服も変わってしまったのだ。それは環境に適応するという自然な反応でもあるはずだが、当時の私にとっては自分を見失っていく不安な時期でもあった。周りの友人はどの国にいってもだいたい黒い服を着た。黒は馴染まない色。スペインの明るい空の下では黄色いTシャツを、カナダの山の上では白色のセーターを、私は着たかった。カメレオンのように混乱する自分を観察しはじめて1年くらいたった頃だろうか。スーツケースの中に「どの国に行っても着る服」があらわれた。どの国に行ってもしっくりくるその服たちの存在。それはどんな場所にいても、開いたままブレることのない、自分の理想の姿であるような気がした。とことん自分を手放して、どんどん新しい自分に出会い、もうもとの自分がいなくなっちゃったと思ったときに、ポロリと自分が出てきた。

 私はたまたま日本の家族に生まれて成長したのでこういう人間になった。だけど、別の国に生まれていたら、別の家族に生まれていたら、別の職業についていたら、どうだっただろう。どこまでが環境に作り上げられた自分で、どこからが本当の自分かなんて、その境はあいまいだ。以前、モロッコを旅した時に砂漠の真ん中でひとりバスを待っている青年に出会った。青年は砂漠でも育つ農作物の研究をするのだと目をキラキラさせて話してくれた。この場所に育っていたら、私もこの青年のように農業の研究をしていたかもしれないと思った。全然違う環境で違うことをしているのに、なぜだろう、その青年と自分の姿が重なった。

 誰もがそれぞれの環境でそれぞれの役割をもっている。旅をすることは、いろんな場所で、こうであったかもしれない自分の姿と出会うことなのかもしれない。それは、別の環境で自分と同じように悩み・笑い・生きている人たちへ想像力を働かせることでもある。環境は理由もなく与えられることが多い。では、その与えられた環境を脱いで脱いで脱いでいったら、何が残るだろう。たぶんそれは、その人の人生という舞台への立ち方だ。与えられた役割への向き合い方。ポッっとのこる、生命の輝き。その輝きは環境を選ばない。

私は今日も舞台に立つ。
大切に楽しんで踊ろう。
自分らしく生命を輝かせるために。
何をしてても、どこにいても。
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この連載を書きはじめたのは、ちょうど東京にアパートを借りた頃だった。文章を書くのは初めてで緊張したが、さいこさんのレビューや周りの人からの応援に支えられて、なんとか二ヶ月を終えることができた。みんな色んな想いをもって日々の生活を一生懸命に生きている。そういうみんなの仲間に入れたらいいなとおもい、恥ずかしながら、私も日々の様子をシェアさせていただきました。読んでくれて、ありがとうございました!!

かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

かつて、「旅をすればするほど世界は身近に思われるようで、私の場合は途方もない広さに圧倒される」という書き出しで、自分の連載を書いたことがあった。違う土地を訪れて知らない言語を聞くたびに、私は自分の日本での振る舞いを忘れ、日本語のややこしさから解放されて、すっかり別人のようになる瞬間をおっかなびっくり楽しんでいるところがある。けれど、素に戻った瞬間、慣れないことをしているちぐはぐ感に自分でドギマギしてしまったりもする。

言語も文化も体と心に染み付いた習慣だ。行動だけでなく感じ方にまで、それは影響する。その意味で、人間はあらゆる人格・あらゆる特技をもつ可能性を秘めているんじゃないかと思う。

ただ、その人らしさを表現するのは持ち物や技術だけではない。ある環境下にいるから「その人」なのでもない。自分の人生との付き合い方であり、自分の役割をどう見つめ、関わっていくかということだと思う。それがスパッとわかる人もいるかもしれないし、時間がかかることもあるだろう。タイミングがそれぞれにある。

「旅をすることは、いろんな場所で、こうであったかもしれない自分の姿と出会うことなのかもしれない」と、まりこさん。私自身、その出会いは多いに越したことはないと思っている。ガラリと変わる環境に影響されて、自分の思考や好みが一瞬で切り替わる、その体験から得た快感や違和感は「自分自身が何を自分らしさだと思うか」を知ることにつながっていく。

旅は自分自身がトライアンドエラーに寛容になれる気がするし、正直になる。観察者として他者へのまなざしも細やかになるぶん、自分の中身に目を向けるのにもいい機会。環境で自分を根っこから変えることは難しいけど、変わる可能性を体感することができる。あとは、そこから何となく見えてくる自分らしさとマイペースに向き合っていければいいなと思う。

自分らしさを捉えるために、旅を介して変容する自分への戸惑いは必要なのだ。そうやって少しずつ、私は私になっていき、あなたの輪郭も見えてくる。まりこさんの文章を読んでいると、いつの間にか、しばらく旅をしたあとにまた出会いたい人たちを思い浮かべていた。

願わくは、みんなみんな、引き続き良い旅を。またまりこさんの文章が読める日をお楽しみに。

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