小さなころ、いや、
ひょっとしたら高校になるころまで
仕事といえば家族や
親戚のおじさんおばさんたちのものしか
認識していなかった。
幼稚園のせんせい
バスのうんてんしゅさん
お習字のせんせい
おもちゃ屋のおねえさん
工事のかいしゃのひと
大学に入ってからは
自営業の知り合いが多く
踊り手、歌い手
鍼灸師、整体師、
フードコーディネーター
カメラマン、
そんな仕事もあるのだなと認識するようになった。
そして仕事を始めてようやく、
身の周りにあるものすべてが
誰かの仕事の結果だということに
気付いて本当にびっくりした。
*
仕事のなかのほんの些細なこと
それにまで意味が込められていることに
時々めまいがする。
座る場所
手紙の入れ方
折々のあいさつ
動きのひとつひとつ
ことばのひとつひとつ。
どんなことにも意味をもたせ
(時にくだらないように思えるが)
隅々までこだわりに満ちた
仕事というもの。
そんなのなくても
と思うささいなこともあるけれど
それを大切にすること。
意図が、意思が、
世話焼きが、気遣いが
秘められているもの。
この日本という国の人々は
なんと愛したがりなのだろうと思う。
そしてなんと心配されたがりで
愛されたがりなんだ。
こうやって助け合って生きている
弱くて変わった生き物。
こんなにも沢山の仕事が世の中にあり
それら全てに意思が込められていて
身の周りのもの全てがそんなものばかりだということ
今までまったく気づかなかった私も
鈍感なのかもしれないが
電車からマンションの窓をみて
その奥に幾通りもの営みがあることにくらっとする
あの感じに似ている。
生きているだけで
どれだけのものを受け取ってきたのだろう
生活しているだけで
どれほどの人と関わっていることになるのだろう
いっとき、世界によくないものに
加担したくないという思いで
買物のひとつもできない時期があったが
なんのことはない
そんなのは一部にしか過ぎなかった。
*
意味の無いことはない
意味の無いことをするな
それは踊りとも似ている
なんとなくとか
ただ綺麗だからとか
そんなだけの理由で手や目線を動かすべきじゃない
それなら何もせずただじぃっとしている方がまだいい。
私はそう思っている。
同じことを職場でも言われる
なんとなくじゃなくて
なんでそれをするのか考えなさいと。
結局すべては同じようなもので
意図や意味、作為を考えるのが最初で
それが無作為になれば一番美しいのも一緒
道だなあと思う今日この頃。