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2F/当番ノート

当番ノート 第46期

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大学時代の友人たちに会った。

しばらくお昼休みはどうしてる
残業はどのくらいだとか
髪切ろうか迷っててだれそれとどうなったとか

学生の時とは少し違うようで
大体同じような近況報告をした後ふときかれる。

「みほ。本当に仕事しているの?」と。

会ってからさっきまで
散々その話をしていたじゃないか!と苦笑してしまう。

でもそれだけ友人たちには私がまともに「会社勤め」をしていることが信じられないらしい。

学生時代にエステサロンでアルバイトをしていて
その仕事がとても好きだったから
そのまま続けてみてもよかった。

もしくは運営してるシェアハウスにこもり
ちょこちょこと日銭を稼いで生活してもよかった。
もう少しダンスに使える時間を増やせるだろうし。

そうそうにブラジルに移住して
リモートで働くとかいうことも少し考えた。

自分でもなぜなんだろうと思う。意地っ張りでできないと言われたことをやって見せたくなる性格のせいだろうか。

まずせっかく東京に住んでいるのだから、しっかり働いてみようと思った。

それから、やっぱいつまでふらふらしているとお父さんが悲しむかしら、と思ったのもある。(ちなみに母はいつまでもふらふらしているタイプの人だ)

そしてなにより、このぬるま湯を出ようと決めたのだ。

在学中に一度、崩れたときがあった。

すっかり昼夜逆転してからだが重く
やたらめったらめそめそしていた

その時の私は学外のサークルにのめりこんでいて
その人間関係でつまずいたのだった。

今思うとさらっときっぱり流せばよかったのだが
なぜか沼にはまってしまい中々抜け出せず
好きなダンスのレッスンにも行けなくなり
さらに自分が嫌になり
心療内科に通ったりしていた。

その時は結局、昼夜逆転でいることを許し
不眠症の薬を飲むのをやめ
病んでいることを気に病むのを辞めたら
鬱っぽい症状はすぐ治った。

それでもずっと、
その時のことで人間不信になったことや、
やりたくないことをやって無理したことを
ずるずると引きずり

ずうっと自分ができることしかしなかった。
心地よい安心できるところにしかいなかったのだ。

何かできないことがあれば
その時のことのせいにしたりして。

なんでもかんでも
幼少期のトラウマに結びつける論理と似たループ。

そこを、でようと決めた。
傷ついたことをいつまでも引きずるのは、もう飽きた。

決めたら物事はすいすい進むもので
留学から帰って1ヶ月半で仕事が決まった。

働き始めてみるとまあ
当たり前ながらうまくいかないことばかりで
毎日怒られてはへこたれている。

それでも

「やらなくてもよかったけど
自分で選んでここにいる」

そう思える間は相応の努力をしようと思えるし、好きでやっている、ということで気持ちがしっかりする部分はとても大きい。

自分で選んでいる、
という意識はわたしを自由にさせる。
どんなところにいても。

仕事や、着るものや、食べるものや。
それだけ忘れなければ、まだやってけるかなと思う社会人4ヶ月目。

すぐに「もう辞めたい」と思う時期がおわり、ようやく3ヶ月の定期券が買えるようになりました。

福島 光帆

福島 光帆

ベリーダンサー、シェアハウス灯運営。普段は旅行を売る人。

16の時からベリーダンスを始め、その他にも日本の舞踏、インドのカタック、ブラジル留学中はモダンダンス、と色々な踊りを習う。2020年の夏はベリーダンス×盆踊りの「エキゾ盆」プロジェクト(Ruhani Bellydance Arts)に参加。

【出演情報】
8/13 cafe bohemia ruhani bellydance show
8/10 金沢 珠洲エキゾ盆
8/23 Nereides Bellydance cruise

Reviewed by
たかだ まなみ

社会って思ってたより、甘い。
30歳になって過剰だった自意識から解放され、諦めがついた。
なんとなく社会がどう回ってるかがわかって、抜け道も見える。
  
 
一番辛いのは、どう考えても子どものときじゃないか。
感情はコントロールできないし、学校からは逃げられない。
大人からは勝手に期待されるし、自分もそれに応えようと必死だった。
 
 
もがくことなく脱皮できる蝶はいない。
どうもがくかで、その後の世界の見方は変わるんじゃないだろうか。
だから(言葉にすることはないけれど)ガンバレと言う。
 
 
モゾモゾと脱皮しようとする姿は美しい。
非効率に見えても、悪態を吐かれても、もがいているから苦しいんだ。
やさしくありたいと思う。

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