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2F/当番ノート

8,ジャーナ

当番ノート 第46期

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 8回目の投稿です。「トルコで出会った女性たち」シリーズ最終章です。トルコで出会った印象的な女性たちとそれにまつわる私の記憶を書いています。1回目の投稿「ハティジェ」の冒頭にてこのシリーズの説明を詳しく書いておりますので、一体何について書かれているのか混乱された方はどうぞそちらをご確認ください。
 
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 前回までの概要:私は大学卒業後、バックパッカー、ホテルボランティア、旅行会社を経て、夏はトルコのクシャダスという街で、冬はサーカスにてショーダンサーとして活動するに至った。
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(5月の頭、ちょうど冬のサーカスと夏のクシャダスのシーズンの移行期間。私はアンタリヤでの週末のサーカスのショーを終え、今や会社から独立し自分のショーグループでホテルと契約している私のボス、アーニャの車でクシャダスのダンサーが寝泊まりしているアパートへ戻ってきた。)

 ああ、夜中の3時になってしまった。こんな時間に誰かを起こすのは申し訳ない。でも鍵がないから誰かに開けてもらわなければ、、、仕方がない。。。ピンポーン。ピンポーン、、、ガチャ。存外にすんなり開けてもらえた!ありがたい!!「スパスィー、、(!!!衝撃がはしる間)バ、、、!!」

 開けてくれたのは、ダンサーとしてイメージできる範囲外の女性。薄暗がりに半開きの目、乾燥した肌に目立つほうれい線、目元の小じわ、ぼさぼさのパサつた髪、、、。無論夜中の3時という睡眠の真っ只中から起きてくれて開けてくれたのだからそんなことを思ってはいけないのだが、第一印象としてはかなり衝撃的だった。ありがとう、と、なんとか言い切れた。危うく立ち尽くしてしまうところであった。どういたしまして、とかすれた声で発し彼女は自分の寝床に戻る。今年のシーズン、我々のグループの売れ行きは大丈夫なのだろうか、と心配になる。

 朝がきて、リハーサルのためぞろぞろスタジオへみんなで歩く。私はウクライナから、私はロシアから、と自己紹介をしながら。昨日ドアを開けてくれた女性はおそらくジャーナだ。ちゃんと睡眠をとって出かける準備をした彼女はハツラツとしている。あまり美人ではないが、夜中にドアを開けてくれた時に比べたら印象は断然違う。ウクライナ出身でベテランの域、つぶらな瞳にあひる口でおしゃべりだ。リーダーシップがあるというか、おせっかいというか、口うるさい面があり、若手のダンサーから煙たがられることもあるが、独身で、子供のいない彼女は溢れ出る母性本能の行き場がないようなのだ。
 
 私も最初は戸惑った。彼女のようなグイグイしゃしゃりでるタイプはあまり得意ではないのだ。ただ、一緒に仕事をしていくと彼女がいろいろ気を利かせてしゃしゃり出てくれなかったら今シーズンはもっと大変なシーズンになっていたであろうと感じる出来事がいくつもでてくる。

 まずリハーサルで仕切ってくれた。それも、理想的なかたちで。というのも、我々のボス、アーニャはセンスやアイディアはいいが、カウントやポジショニングでうまく指揮が取れない。彼女の9歳年下の再婚相手も衣装や小道具はできるが、統率力がない。そもそも2人はリハーサルの段取りをしてこず、ぼんやりとした中で進めるので、話が進まないのである。その場で解決して決断してぱっぱとできるタイプでもないし、カウントも数えられないし、大人数のグループをとり仕切る能力はなかったのである。そんなときジャーナは、じゃあこうしよう、はい、みんな手はこの軌道でここまであげよう、などとリハーサルでのスムーズな進行に一役買ってくれるのである。そして、威圧的な注意などもなく、きっぱりさっぱりと伝えてくれるのである。

 ショーダンサーとしては背は高くないし、柔軟性もないが、非常にキレがあり無駄な動きがない。タンゴもできるしヒップホップ系の振り付けもこなせる幅広いダンサーで、何よりお尻のラインが誰よりも綺麗だ。フィットネスインストラクターの経験もあるため、人を引っ張るカリスマ性やガッツもある。ステージでのたち方もパッショナブルでエネルギッシュ。ジャーナはこの仕事が好きなんだな、という印象を受ける。彼女は何をやりたいかがいつも明確で、くよくよ悩んだりすることもない。私はこう、これはするけどこれは私の仕事じゃない、という感じでプロフェッショナルとはこういうことか、とも思う。

 他にも、ホテルやナイトクラブなど取引先とのトラブルでもシンプルな英語でやりとりしてまとめてくれたこともあるし、誰とでもフレンドリーに会話するのに相手になめられない適度な貫禄がある。1回だけ何かの拍子に口喧嘩したが、何で喧嘩したのか覚えていない。覚えているのは、少ししたらもうジャーナはまるでお母さんみたいに普通に話しかけてくれて、その後何もわだかまりが残らなかったということである。

 ジャーナはアンタリヤでかれこれ13年ほどダンサーとして働いた経験がある。アンタリヤなんていったらクシャダスの何倍もプロフェッショナルで、経済面も良い。ジャーナはアンタリヤで元ボーイフレンドと何か諍いがあったらしく今回クシャダスに来たようだ。アンタリヤに比べると、クシャダスの状況はかなり過酷で、オーガナイザーもみんなあべこべで、ボスのアーニャもアーティストとの口の聞き方を知らない。アーニャは年を重ねるごとにクシャダスでの権力を持ち始め、また、自分が妊娠中で身動きが取れないため消化できないエネルギーがヒステリックに代わったのと、規模が大きくなりすぎいろいろ間に合っていないのも重なりダンサーやアーティストたちへの対応がひどくなった。ジャーナは陰口が嫌いで、まっすぐな性格で強く見えるが、アーニャの対応に心を痛めていたようである日アーニャに自分の陰口を言わないで直接私に言ってと言ったらしい。また、日々お母さんのようなつもりでダンサー仲間と接していることもあり、若いダンサーたちにアーニャが知られると都合の悪いビザ関係のことを言ったらしく、それらのことが原因でジャーナとアーニャは関係が悪化していき契約期間が終了する前にジャーナはウクライナへ返されてしまうことになってしまう。

 ジャーナはある日、私にこう聞いた。「アンタリヤで働きたい?」かと。続けて、あんたならもっとプロフェッショナルなところで働ける、もっといい給料であんたには働いて欲しい、と。アーニャはあんたを使ってる、アーニャはあんたにとって毒だ、と。リカにはもっとチャレンジして欲しいと。お願いだからチャレンジしてくれ、と。目に涙を浮かべてそう言い、知り合いのアンタリヤのディレクターに直接私を紹介してくれた。アーニャが私のプライベートに関してものすごく悪く言っていることになんとまあ心を痛めてくれたようで、なんとか私をアーニャから引き離すべく取り計らってくれたのだ。その時にアーティストとしての履歴書の作り方や、給料の相場、何を質問するかなどいろいろ教えてくれ、結果的に次のシーズンをそのディレクターの元で働けることになったのである。
 
 アーニャが私を使っているのは100も承知であったし、私のプライベートに関しても噂を流しているのはまあ、この女はそうするだろうなと承知していたので今更何も感じはしなかった。そもそもクシャダス中がアーニャはどういう奴かをもう知っているし、みんなから距離を置かれているのも知っている。それに私もアーニャを学校のように使っている部分はあった。黙っていれば仕事を持ってくるし、何よりアーニャに連れられて働き始めたサーカスでは新しい種目のトレーニングも始められたし、今シーズンはポールダンサーとしてもステージに立つ経験ができて、デモビデオも撮れた。そろそろここで学べることも一通り学んだし、アーニャに使われている割合が多くなったのと、対応の仕方がかなり変わって私も心を痛める瞬間が増えていたので卒業の時期かなあ、とは感じていたが、それでも私にはどうやって他の契約を見つけるのかもわからなかったし、自信もなかった。しかし、ジャーナはあんたは十分にプロフェッショナルだ、と言ってくれ、(トルコではまあ十分に通用する程度という意味で、まだまだトレーニングが必要である。)まるで天使が私にジャーナを巡り合わせたかのようにトントン拍子で次の夏の契約が結べたのである。ジャーナはジャーナでダンサーとしてアーニャになめられた真似をされたので、古株の私を彼女から取り除きたいという思いもあったのかもしれない。

 そして私はその次の年にアンタリヤで一緒に働いた自転車トライラルのアーティストと公私ともにパートナーとなり、そして彼の故郷モルドバへ嫁いでいくこととなる。(それはまた新たなる地獄の始まりでもあことはこのとき誰も知らない。)ジャーナはまさに私の人生の転機の仕掛け人であり、運命的なつながりを感じずにはいられない人物なのである。

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 ジャーナは現在、自分のダンサーとしての寿命を見極め現在は故郷でステップアエロビックのインストラクターとしてしゃかりきに働いており、アンタリヤの5つ星ホテルにホリデーに来るという勝ち組ぶりを発揮しております。最年長でも一番ピュアな踊りをしていたジャーナはいつまでも私の大切な友人の一人です。

 さて、2ヶ月間投稿させていただいた、この「トルコで出会った女性たち」シリーズ。お読みいただいてどうもありがとうございました。振り返ってみますと、ちょいちょい自慢が挟まっている感じになってしまいまして、ご気分を乱された方いらっしゃいましたらここにお詫び申し上げます。もっとすっきりと文章をまとめたかったのですが、論文などではないため、書き出すとなんだかまとめの方向がよくわからなくなってしまい、あまりすっきりした文章にはまとめ上げられなかったなあ、と思います。

 現在、モルドバで滞在許可の申請の経験等を通じて考えてみると、トルコは非常にオープンな国で、様々な国の人を受け入れてくれる国であると思います。もちろん人種などによる対応の差なども感じますが、トルコでの生活は非常にドラマチックでいろいろな心情の経験をさせてもらいました。まあ、それが永遠に続くのはちょっとしんどいのですが、人生のほんの1部でもそのようなページがあるのは誇らしく感じます。紆余曲折を経ましたが、いろいろあったのは今のパートナーに出逢うためにトルコに引き止められ、無事に出逢えたのでトルコから出てきてしまったようにも感じます。アンナオクサーナ、アーニャ(最終的に疎遠になりましたが)、ジャーナは特に私の人生のターニングポイントに関与した女性でして、感謝の気持ちでいっぱいです。

 現在はモルドバにて夫婦共々意気消沈しておりますが、これよりどん底はないと思うのでこれから夫婦共に頑張って高みを目指して精進していく次第でございます。それでは、またどこかでお会いする日まで。

dorco-siva

dorco-siva

1991年埼玉に生まれる。大学卒業後何故か生活拠点が日本から離れていき、5年間のトルコ生活を経て現在はモルドバに停泊中。

Reviewed by
アンニ

クリシェではあるが、人生は出会いと別れの繰り返し。その中で、その出会いがなければ、次のチャプターへ進めないぐらい大切なものがある。「トルコで出会った女性たち」シリーズは8人の印象的な女性が紹介されただけではなく、どるこさん本人のバックパッカーからアーティストへの道も描かれた。その道において8人の女性は誰もが何らかの役割を果たしたが、特に今度紹介されるジャーナは、どるこさんをキャリアの次のステップと繋げた。そのおかげで結局トルコでのチャプターが終わり、モルドバで新しい生活が始まる。

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