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2F/当番ノート

6, メリケ姉さん

当番ノート 第46期

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6回目の投稿です。「トルコで出会った女性たち」シリーズ第6弾です。トルコで出会った印象的な女性たちとそれにまつわる私の記憶を書いています。1回目の投稿「ハティジェ」の冒頭にてこのシリーズの説明を詳しく書いておりますので、一体何について書かれているのか混乱された方はどうぞそちらをご確認ください。
 
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 前回までの概要:私は大学卒業後、バックパッカー、ホテルボランティア、旅行会社を経てトルコはクシャダスという街で昼間はホテルのアニメーター(エンターテメントにまつわる業種)夜はホテルをドサ周りをするショーグループのダンサーとして活動するに至った。

オクサーナ:ショーグループの長。冬はトルコサーカスで一緒に働いている。

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 オクサーナの娘(当時2歳)ミライと一緒に遊んでいると、なんだか反対側のキャラバンあたりが騒々しい。誰かが喧嘩している、、、メリケ姉さんだ。(トルコ人には日本語で言うと「兄さん」「姉さん」にあたる敬称を年上の人にはつける風習がある。メリケアブラと普段は呼んでいるが、ここではメリケ姉さんと書く。)今日は一段と激しい。カザキスタンから来たアーティスト、ジュマットと何かもめていて、オクサーナとセルゲイ(サーカスのアーティストマネージャー)が間に入っているが、メリケ姉さんの勢いは止まらない。オクサーナは遠くから合図でミライを遠ざけておくように私に指示する。私はなんとかその後の20分くらいはミライの気をそらすようにあれこれ新しいアイテムを提示し頑張っていたのであるが、とうとうミライが気づいてしまった。ママが、渦中にいる。ママが、危ない。そう感じたのかミライは「ママーーーーー!!!!」と叫び、その嵐に向かって突進していく。2歳児の全力疾走は存外に早く、拾いあげようとかがみながらの追走ではとても追いつけない。追いついて拾い上げるが、ミライはトルコ人のお父さんに似ていてがっちり骨太で特別大きい子だ。そんながっちりした子が全力で私の腕を振りほどこうと身をよじり暴れまくる。2歳児は力加減など知る由もないため、彼女の全力は凄まじく、見かねた男性ダンサー、マックスが交代してくれたが、彼も手を焼くほどで、結局最終的にオクサーナはミライを抱きかかえながら仲裁に入っていた。

 これは私がトルコサーカスに務めた最後のシーズンの出来事だ。メリケ姉さんとは、私が2018年まで冬の時期3シーズン働いたトルコサーカスの社長の奥さんで社長夫人ではあるが、実際はサーカス運営の事実上の実権を握っている。私が最初に務めた年はまだ社長自身の方に力があり、当時からメリケ姉さんは会計周り、マーケティングなど運営のほとんどを行っていたが、最終決定は社長に委ねていた。つまり、メリケ姉さん自身が自分で社長を立てていたのだが、結局のところ運営のことは何もわからない社長は、社員に何を聞かれても「メリケに聞いて」と言い続けたため、シーズンを追うごとにメリケが全権力を持ち出したのだ。今では全てのアーティスト、建設関係の社員も、社長も「メリケ、メリケ」と彼女に指示を仰ぐようになった。

 彼女は経理からマーケティングやらキャスティングやら移動先探し、契約等全てのことをこなしている。社長は、セキュリティみたいなもので、毎日息子と犬とぶらぶらしている。

 メリケ姉さんはやり手のビジネスウーマンでもあるが、大変喧嘩っ早い。私よりも喧嘩っ早いし私よりも激しい。メリケ姉さんと社長も、頻繁に激しい喧嘩をする。社長は、サーカスへの侵入者の足に発砲してしまったこともあり前科があるため銀行の講座がない。メリケ姉さん名義の口座からのクレジットカードを使っているが、喧嘩して社長が出て行った際、メリケ姉さんにカードを止められて結局どこへもいかず戻ってきたこともある。

 トルコでは男が威張っていたりもするが、女性も割と負けてはおらず、かかあ天下の家族も多いように思う。イスラム系の国にしては女性の社会進出がかなり進んでいるのか外で働く女性はたくさんいる。自分の店を切り盛りしている女性もいるし、一応店主は夫だけれども夫にああしろこうしろと指示を出して動かしているのは奥さんであったりする。そして、離婚率も結構多いように思う。やはり甲斐性も何もないくせに威張り腐っている夫とは添い遂げることは難しいようだ。

 喧嘩っ早いと言うと、まだ聞こえはいいかもしれないが、我々女性が喧嘩をするとヒステリックになることも多い。実際に私も癇癪持ちで、自分の理想と現実の差に混乱し泣きわめいていた小学生時代もある。メリケ姉さんがブチ切れた理由を思い返してみると、彼女の何か譲れないものだとか、筋が通っていなかったりだとか、礼儀がなかったりだとかした時に爆発していることが多く、共感が持てたりもする。彼女はサーカスで働いているアーティスト、社員などを家族のように思っていて(でも給料は高くない。というのも、トルコではドルが近年上がっておりあまり良い給料が払えないのだ。)その自分が息子や娘のように思っている家族が何か自分を尊重していないような言動、行動をした場合ゴングが鳴る。前述したアーティストとの揉め事については少し相互に行き違いがあり、誤解があったりするのだが、もう爆発し始めてしまったら誰にも止めることはできない。私は横から見ていて、姉さんはアツいなー、と関心することも多々あった。彼女は16際の頃から商いに従事し世の中を渡ってきたプライドもあり、それが傷ついたりすると、もう相手に反論する隙を与えないくらいまくしたてる。大抵はトルコ語のわからないアーティストであったりするので不憫に思われるのであるが、アーティスト側もどのタイミングでどのようにコミュニケーションをとるかを考える必要があるのは事実である。もともとの信頼関係の築き方も関係しているのかもしれない。

 私はトルコ人は仁義にアツいように思う。友人を助け、親の面倒をよく見、お年寄りには必ず席を譲り、旅人をもてなし(もちろん旅行者をカモにする輩もいるが)良くも悪くも理屈ではなく心で動く人が多い。メリケ姉さんも独自の(おかしな)支払い理論はあるものの、その理論に当てはまれば必ず給料を払ってくれるし、仕事が必要な者には仕事を与えるなど総じて面倒見がよく、姉御肌である。長年の付き合いになれば本当に家族のように思い、背後で悪口を言ったりはしない。(直接「デブ」とか言うことはあるが。)私は一応根回しも兼ねて、誰かと何かあった時はメリケ姉さんに報告する。「あいつがこうしてきたので私はこうしました。ご報告までに。」と。私のことをデリクズ(クレイジーガール)と呼びいじることはあるが、私の喧嘩っ早さに自己投影をしているのか、誰か私がぶつかる度、「よくやった。あんたは正しいこと言ってる。」と私を認めてくれる言葉をかけてくれる。旧ソ連の知人たちは大抵の場合、多くの人は私の怒りの表現の仕方に関して咎めたりする中、メリケ姉さんは、男性中心の社会の中で感じるもの、女性が一人で世の中に立ち向かう難しさ、サーカスにいる男たちの愚かさについて何か共感するものがあるのか、私を丸ごと受け止めてくれ、よくやった、と言ってくれるのである。それがあんたで、そういう人間もいていいんだ、といった感じだ。サーカスの中は外国人が多いため、長年の経験から国民性の違いを感じており、真面目に働く日本人の私を応援してくれていたのかもしれない。そもそも、何のきっかけもなしに火がつくことはありえないのだから。

 そして彼女自身、自分のブチ切れた姿を周りにさらけ出した後も自己嫌悪になったり、周りの目を気にすることもなく、だってメリケだもん、という感じで前向きだ。周りも、だってメリケだもん、くらいで別に周囲から浮いたりもしない。無論みんな給料をメリケ姉さんからもらっているからかもしれないが。

 メリケ姉さんは、サーカスのショーに関してそのアーティストのステージでの立ち振る舞いを重視する。そのためエネルギッシュに駆けずり回っていた私のことを割と気に入ってくれており、何かと世話になった。周りの人からは少しお高くとまっているようにも思えるかもしれないが、それはトップの威厳としてあった方が分かりやすく、ゴロツキのような社員も追ていきやすい。我々女性アーティストの立場からしても彼女のようにたくさんの男性社員のトップに君臨するメリケ姉さんの存在はとても心強く、重要であるように思う。

 それでもやはり、移動移動のトルコサーカスでの生活は精神的にきついものがあり、メリケ姉さん1人だけの存在ではそれらの問題を払拭することはできないため、まだ私はトルコサーカスには戻る気はしないのである。

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という感じでざっとメリケ姉さんについて紹介してみました。ビジネスウーマンのため、リップサービスなど調子いいなと感じることもありますが非常にハートフルで人間らしい姉さんです。今現在トルコサーカスがどんな状態かはわかりませんが、もう少しトルコの経済的な状況が落ち着いたら戻ってみてもいいかなーとも思っていたりします。このシリーズも残すところあと2回となりました。次回はアンジェラについて紹介しようかな、と思います。

dorco-siva

dorco-siva

1991年埼玉に生まれる。大学卒業後何故か生活拠点が日本から離れていき、5年間のトルコ生活を経て現在はモルドバに停泊中。

Reviewed by
アンニ

喧嘩っ早い人は怖いけど、味方であると心強いこともあるだろう。そして自分の中にある怒りを表現するのが苦手な人は、メリケに何か学べるかも知れない。彼女ほど激しく喧嘩する必要はないが、とにかくその怒りを認めるのはいいことだ。認めてコントロールするのが理想だと思うが、例えメリケのようにブチ切れたとしても、それで世界が終わるわけではない。たまには、黙って我慢するよりはその方がいい。

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