3回目の投稿です。「トルコで出会った女性たち」シリーズ第3弾です。トルコで出会った印象的な女性たちとそれにまつわる私の記憶を書いています。1回目の投稿「ハティジェ」の冒頭にてこのシリーズの説明を詳しく書いておりますので、一体何について書かれているのか混乱された方はどうぞそちらをご確認ください。
前回、アーニャとオクサーナについて書くことを予告いたしましたが、だだ長くなる恐れがあるのでアーニャについては最小限の説明のみで主にオクサーナに着目して書いていきたいと思います。
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「ハティジェ」回の概要:大学卒業後バックパッカーをしていた私はひょんなことからトルコはパムッカレのとあるホテルでボランティアワークをすることになる。ハティジェはそのホテルで出会ったまんまるとした裏声で喋るお掃除担当の女性。
「アンナ」回の概要:パムッカレをあとにした私は話の流れで旅行会社のマネージャーであるアンナの元で働くことになる。アンナはオーストラリア出身のこれまたまんまるとしたインテリ女性。アンナは私が就労時間にトルコ語講座へ行くこと、夜のショーの仕事をすることを許可してくれた。
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「なんでこうなの?」「これはこうじゃないの?」「私の周りはいつもこう言ってるんだけど。」なんて面倒な生徒なのだろう。おかげで授業が進まない。なんてったってここは自治体のトルコ語講座であって、参加費は無料のクラスなのだ。そもそもそんなに言語学に精通している先生が教えているわけがない。今まで自分が間違って聞こえてたんだな、と自分の間違いを素直に認めて流せば良いものを、、、。なんでそうなのかって問うたところでトルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタトゥルクが戦争で激減した人口を増やそうと、移民がより習得しやすいようにそれまで使われていたトルコ語をアラビア表記からアルファベット表記に変え、文法をよりシンプルに整理したのだからムスタファ・ケマル・アタトゥルクに聞く他ないのだ。この先生につっかかっていたって仕方がない。みんなが疑問に思っていることを代表して聞いてくれるのであれば助かる。しかし、みんなはすんなり納得できているところで「なんで?」が始まるのだ。そう、この自分が納得いかないことには先に進めない頑固者、彼女がオクサーナである。
そんな様子を教室の後ろの席からいつも眺めていただけであったから、彼女とはすぐに知り合ったわけでもなかった。その自治体のトルコ語講座のクラスでは老後の生活拠点をトルコのクシャダスに移してきたヨーロッパ人や、トルコ人と結婚したウクライナ人、ロシア人、オランダ人、ペルー人、シリア人、ビジネスのために来たポーランド人、トルコで働くエジプト人とそのエジプト人と結婚したイラン人など、かなり多国籍。東洋系の顔は私一人だけ。日本でしか学校に行ったことのない私にはとても新鮮な空間で、こんなに生徒がバンバン授業中に質問している空気に少し戸惑った。しかし、よくよく観察してみると頻繁に質問して先生と議論を繰り広げるのはこのオクサーナとイラン人の2人だけである。その他の人たちは彼女たちに文句をいうこともなく、静観し、良い暇つぶしくらいに思っているのかのようだ。
彼女と直接言葉を交わしたのは3回目か4回目の授業の終わりで、建物から出たとき、彼女と一緒に行動しているロシア人のルーダがとうとう好奇心に負けて私に話しかけてきたのだ。「あんたはクシャダスで一体何をやってるんだい?」それを皮切りに私たちは自己紹介をし合い、なんとオクサーナの職業がショーダンサーであることが発覚する。私は沖縄在住の知人からの、「どるこ(私のあだ名)、落ち着いてないで自分のやりたい道を探さなきゃだめだよ。」という耳の痛いアドバイスが後頭部らへんにこだましていた時期であったので、すぐさまオクサーナに私もやりたいと申し出た。オクサーナは、じゃあ、何曜日にオフィスであんたが何ができるかアーニャに見せよう、と言った。
まあ、そんなことを経て昼間は旅行会社で、夜はショーのグループに入りホテルをドサ廻りしていく生活が始まる。私は一応クラシックバレエを習っていた時期があり、高校3年のときに少しストリート系のダンスをかじり、大学ではダンス部に所属していたため、ダンスど素人ではないのだが、何しろキャバレーショーのようなエンタメ性の高いショーは初めてであり、しかも2時間の間に2つのショーが2つの違うホテルであるというクレイジーでタイトなスケジュールなのである。(これはのちにクシャダス特有のスケジュールであることが発覚。)戸惑ったのはそれだけではない。一応アーニャがコレオグラファー、オクサーナがグループをケアするキャプテンのような役割を会社から与えられていたようなのだが、クリエーションのときに2人はロシア語で割と激しく議論をするのである。ダンスのコレオグラフに関しては、アーニャのセンスの方が私にはあっていて、というのもアーニャの畑はダンスで、オクサーナはサーカスが畑の人間なのである。(ちなみにオクサーナはジャグリングができ、フラフープの自分のナンバーがある。)アーニャはそこまでわかりやすいリフトなどの技をたくさん入れる必要はないと考えているが、見栄っ張りのオクサーナはなんでもかんでもわかりやすいトリックがないと、自分が何もできないと思われるというような心持ちになるのか落ち着かないのである。ただ、アーニャは衣装のセンスがいまいちで、オクサーナは細かくこだわるため色合いといいモチーフといい、着ていて気持ちスッとが入るような衣装をこさえることができるのである。アーニャはバジェットにだいたい見合った量の仕事をするが、オクサーナはどんなバジェットでも最高のクオリティを目指すため社長側からしたら便利なのだが、下働きの者には正直キツイのである。言い換えればアーニャは隙あらば楽をしたり、人を出し抜こうとしたりする一方で、オクサーナはどんなに体調が悪くてもステージの上ではそれを見せないような人間なのである。要は2人を混ぜ合わせて改めて2人に分けたら2人の優れた人間が出来上がるのだが、世界はそううまくはできていない。
そして何より私を困惑させたのは、2人ともカウントを数えられない。1、2、3、4、と曲なしで練習したときと、曲ありのときのカウントの取り方が2人して違うというか、そもそも曲のカウントを数えられないようなのだ。(最終的に私が歌いながら曲なしで練習するに至る。)練習時間もお互い競うように遅れてくるわ、送り迎えのトルコ人運転手のことは一切気にせずショーのあとにも夜中まで新しいナンバーを練習するわ、挙げ句の果てにオクサーナの注意の仕方がキツイのである。大学時代に1列の揃え方や、ユニゾンの揃え方息の合わせ方など一応経験してきた私のバックグラウンドなんて考える由もなし知る由もなし、自分のやり方にハマってないのは間違いであるという信念があるのか、やたらめったら何かにつけて私に怒鳴るのである。彼女からしたら、キャプテンとしてグループのクオリティを高めなければいけないと思ってやっていたことなのかもしれないが、私は怒鳴られて初めて気づくような人間でもないし、どちらかというと萎縮してしまいそれがたまると吹っ切れて人間関係をバッサリ切ってしまう質なのだ。私が何も知らない新人であるという色眼鏡でオクサーナは私を見ているように感じるときもあり、冷静に見て私が原因ではないようなことも私のせいにすることが多々あるのでので、私はとうとうきつくなってしまい、アーニャにちょっとオクサーナがキツイ、と、やめたい、と、申し出るにいたった。
すると次の日オクサーナが私の働く旅行会社を訪ねて来たのである。涙ぐみながら。彼女が言うには、責任感からそうしてしまったこと、それが今までの自分のスタイルであったこと、直接そんな言い方やめてくれと言ってくれればよかったのに、と、「ごめんね」と共に説明するのであった。このときの私はすでにすねていたので素直に対応できなかったのだが、今思うとなんとまあ可愛らしい人なのであろう。真面目というか、熱いというか、真っ直ぐというか、、、。目上の人と思っていたが、オクサーナは私のことを1人の友人として、仲間として1人前になって欲しいから教えなきゃ教えなきゃの一心でそうなってしまっていたのである。まあ、そのあともショーグループのマネージャーのジハットから「そんなの聞き流していい。ストレスに思うからストレスになるのであって、別にストレスに感じる必要もない。」という助言にも妙に納得してしまい、やっぱり続けてみよう、と続ける決心をした。
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まだまだオクサーナとの思い出は続いていきますが、ここら辺で切り上げます。今回も読んでいただきありがとうございました。あのときやめていたら、その後に起こる旅行会社から日本部門の中止を言い渡されたときに間違いなく路頭に迷っていたであろうし、(寝床と昼間の仕事をそのショーグループの会社がやっているアニメーターというホテルでのエンターテイメント職でつなぐことができたのです。)突き詰めていくと今の旦那とも出会うこともなかったことでしょう。そして何より自分が鬱にならない適材適所な職業にも携わり続けられているということは幸せなことです。ちなみに最初に話しかけてくれたルーダとはその後とても良いお茶飲み友達になり、ロシア人はもしかして日本人と似ている、、、?という仮説に行き着く最初の1人目となるのでありました。次回はレーナについて書こうと思っています。