死んだことないくせに「死にたい」ってどういうことなの。
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気づいたら、生まれていた。生まれたいと思って生まれた覚えはない。だから、死ぬときも同じ。死にたいと思って死ぬわけではない。反対に、死にたくないと思っても、死ななくてはならない。生きているものはすべて「生まれて死ぬ」という同じ形式を踏んでいる。
人は、死ぬより生きている方がいいと思っている。だから「命を大切に」とか「生きていればなんだっていい」なんて言う。
死んだこともないのに。
生まれたくて生まれたわけでもないのに。
ただ「生まれてしまった」というそれだけで、どうしてここまで生きることが手放し難く感じるのか。誤解のないように言うが、わたし自身もまた全然死にたくない。死が間近に迫ったら、おそらくより強く「生きていたい」と願うと思う。
けれども不思議なのだ。わたしは死んだことがないのに、どうしてここまでも「生きていたい」と強く願うのか。
生きるというのがどういうことか、わたしには全然わからないのに。
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もう長らく、生きるというのがどういうことかわからない。ペシミストを気取っているのではなく、文字通り「生きているとはどういうことか」という問いへの答えを持ち合わせていないのだ。
心臓が動いている。自発的に呼吸をしている。代謝が起こっている。脳が活動している。これらはたしかに「生きている」の条件にはなりうるが、しかし「イコール生きている」ではない。肉体の活動だけが「生きている」を意味するわけではないからだ。
では精神は? 心のはたらきがあるからわたしは生きているといえるのであり、それを失ったとき、わたしは死ぬのだろうか。
心のはたらきの消滅とは、この時代によると「脳の死」を意味する。では、脳が生きていることがわたしが生きているということなのだろうか。それも違う。脳が生きていることと、わたしがこうして感じて考えていることに、いったいなんの関係があるのか。頭蓋を切り開いて見ても、どこにも心のはたらきなどない。
愛や悲しみは心で感受される。いま、ここで感じ、思い、考える心のはたらきはどれも目に見えないのに、わたしの内側には、たしかに常にわたしの声が響いている。死んだとき、この声ははたしてどこへ行くのか。
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他人は死ぬ。死んで焼かれて骨になる。わたしたちは人生で何度かその光景を目撃する。
それを見て自分もいつか死ぬと思う。けれども、自分はほんとうに死ぬのか。生きている人の誰もが経験したことのない、当事者になりえない死が、どうしてほんとうにあると言えるのか。死んだことがないのに、どうして自分が死ぬということがわかるのか。死は常に他人のものでしかなかった。
死んで骨になったあの人の声。わたしにしか聞こえないわたしの声のように、あの人にしか聞こえないあの人の声の行き先を、生きているわたしたちは誰一人知らない。わたしたちが死について知っていることといえば、他人が死んだとき、その肉体が消滅するというそれだけのことである。
やはりわたしは、生きると死ぬについて、何もわからない。
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結局、初めの問いに答えはまったく出ない。生まれたくて生まれたはずではないのに、どうして生きることに執着し、死ぬことを避けるのか。それなのに、死にたくなくてもなぜ死ななくてはならないのか。
生きたいとか死にたいとか、「したい」という思いで成り立たせることのできないこの存在の不思議とは、いかに。
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存在の始まりは、不思議に満ちている。わたしは発生のすべてを忘れてしまった。いつ、なぜ、どう始まったのか。同様に、終わりについても何も知らない。いつ、なぜ、どう終わるのか。始まりについて知らないものの終わりが分からないのは、当然であるようにも思われる。
わたしの体も心も、わたしの前提でありながら、それはわたしではなく、わたしのものでもない。もちろん親のものでもない。気がついたら発生していた現象である。正体も持ち主もわからないこの現象が、しかしなぜかわたしをわたしと思い、その始まりの以前と終わりの行き先を思案している。
わからない、わからないと思いながら奥へ奥へと進んでいくとき、わたしは、生きているものすべての通ずる場所から、呼びかけられているように感じられることがある。そこはわたしの発生した場所。わたし以外の存在が発生した場所。見たことはない、行ったこともない、けれどもどこかで、そこから発生したのではないかと感ずる、空間なき場所。
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「不思議」をテーマに2ヵ月間この場所で文章を書かせていただきほんとうにありがとうございました。わたしは、生きていることのすべてが、ほんとうにすべてがとても不思議です。「わからない」をただ正直に綴っていくだけの文章であるがゆえに、矛盾や間違いも数多くあったことかと思います。それでも、たくさん間違えながら「わからない」を人前にさらけ出すという経験ができたのは、アパートメントという場所だったからこそだと思います。
伴走してくださったレビュアーのharuさん、編集の悠平さん、ありがとうございました。