家から数メートル先に、町のたばこ屋があった。
重い引き戸をガラガラと開けて「すみませーん」と声を大きめに張ると、まばらの大きさの丸い木がぶら下がっている玉暖簾をかき分けて、「はいはい」と面倒臭そうにおばあちゃんが出てくる。
ある日、奥から出てくるのが中年の女性に変わった。
一言も発さずに、お金を受け渡す。彼女を声を聞くことはできなかった。
玉暖簾の奥を見ると、奥に仏壇が見える。
きっとおばあさんは亡くなってしまって、一緒に住んでいた娘さんがそのままたばこ屋を継いだのだろう。
それから何度もそのたばこ屋に通っても、彼女は一言も話さずに無言でたばことお釣りを渡すだけだった。
いつしか、近くのコンビニにたばこが置かれ、片桐さんの家からたばこは消えた代わりに、家の近くの路上で子犬とマンションの花壇に腰をかける片桐さんを見るようになった。
子犬は片桐さんのそばを離れないように土の香りを嗅いで、片桐さんは目を細めて空を見上げる。
今日は、そんな片桐さんについて考えてみよう。
母親と二人で最低限の暮らしをしていたのに、母の死は突然訪れた。
家とお店と愛犬のシロを残したまま。
年を老いた母親のことを考えると、いつしかこうなることは覚悟をしてきたつもりだが、やっぱり独りこの家に残されると何事もなかったかのように動き回るシロを見ていると虚しく思えてくる。
食欲も出ないのに、シロに餌をあげる時間になると母のことを探してそわそわしだすシロを見ては、母が本当にこの世を去ってしまったことを実感させられる。
遺品を整理し終えても、台所をぼーっと眺めていると、皺々の手で米を研ぐ背中を曲げた老婆の姿が脳裏に浮かんでくる。
食卓で座る位置はいつの間にか定位置が決まっていたから、いつもの自分の椅子に座っても向かいにいないはずの母の姿を思い浮かべてしまう。
親戚は私たち親子のことを倦厭していた。恐らく母は、親戚から色々なことを言われてきたはずだけど、私には一切伝えなくなっていた。
独身で仕事もしていない中年の私と母は、親戚からの言葉に一切耳を傾けずに静かに暮らしてきた。
ここは、母と私、二人だけの世界だった。私と母は二人きり、誰からも干渉されずに静かに終わりを待っていたのかもしれない。
シロが玄関で座り込むことが増えてから、ようやく外へ散歩をする気になった。
遠くに行くのは億劫なので、家の前の路地裏でシロを歩かせる。私は花壇に腰をかけて、母が灰になっていくときに立ち上っていた煙突の煙を、空の雲に重ね合わせてみる。
これから自分がどう生きて行くかなんて、とっくにどうでもよくなっている。母との生活が終わったいま、これからは私とシロが最低限生きて行くことだけで、それ以外はいらない。
母が残したこのお店を再開すると、いつものように1日数人だけたばこを買いにくる人がいた。まだ、たばこを買いに来る人がいることはわかっているけど、元からたばこ嫌いだし、接客だってしたくない私は、お店を畳むことに決めた。
母が遺していったお金があれば、店先をリフォームできるそうだ。
家ごとリニューアルして、母の面影を消せば少しは一人で生きていくことに慣れるだろうか。
店のスペースは貸し出しし、家も新築に建て替えると、シロは知らない場所にきたみたいに、せわしなく家中を探検している。
これからは、家賃収入があればなんとかシロと一緒に毎日を送っていける。
また、私はシロとの二人の静かな生活をはじめていこう。
おばあさんが亡くなってから数年後、今はお弁当屋さんにリニューアルされていた。
路地裏の花壇の前に「犬を放さないでください」という看板が立ってから、すっかり片桐さんをみることはなくなった。
きっと新しくなった家で静かに暮らしているのだろう。
独りを受け入れながら、ひっそりと。