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2F/当番ノート

#2 渡辺さんのはなし

当番ノート 第51期

今日こそ自炊しようと決めたのに。

家には頭の葉が成長してきたにんじん、芽が出てきそうなじゃがいもが残っている。しかし時刻は23時30分。
とりあえず溜め込んだ洗濯だけでも回すかと、洗剤を求め25時まで開いているスーパーへ駆け込んだ。

この時間からの自炊はしんどい。今日は納豆と安くなっているマグロの刺身を買って帰ろう。
レジに並ぶと、「次の方どうぞ、こんばんは〜」としわしわの笑顔で接客してくれる人がいた。
私より15cmは背の低いおばあちゃん。
「ポイントカードあるかしら?はい、どうぞ。今日もありがとうねぇ」と、
誰もが憔悴しきっているはずの時間に、満面の笑み。
疲れた身体の体温が上がるのを感じた。

気がつけば私は、スーパーで必ず渡辺さんを探し、渡辺さんのレジに並ぶようになっていく。

今日はそんな渡辺さんのはなしをしよう。


この街に住んで50年余りは経つのだろうか。結婚をして買った夢の新居。
いまは2階に上がる階段が、足を踏み入れる度にキシキシと音がする。
それでも水回りだけは必ず綺麗で、丁寧に掃除が施されているのだろう。

足を悪くしてから杖をつかって歩く生活をする旦那さんは、若い頃「君のつくるご飯で元気になれる」と言った。
鰹の出汁からつくられるお味噌汁、甘めの厚焼き卵。納豆は必ず器に移し変えて、刻んだねぎを加える。


今はもう「いただきます」と「ごちそうさま」、それ以外に料理についてコメントはないが、お米を一粒残らず食べてくれることが嬉しい。

若い頃、喧嘩をして家を飛び出したことがあった。
それでも帰りに食材を買って帰ると、お腹を空かせた旦那さんが「おかえり」のあとに「ご飯にしよう」と言う。
全くもう、この人は「悪かった、すまん」が言えない。
ただその日の夕飯は、いつもより口数が多くなって、食後は綺麗に食器を洗ってくれた。

そんな旦那さんに少しでも自分のご飯を食べさせたくて、毎食のご飯をつくることが人生を楽しくさせてきた。


最近、娘が週に2,3回家を訪ねるようになった。
孫も社会人になり、家のことに手がかからなくなってきたから、旦那さんの世話を手伝いに来てくれるのだ。

そんな日は娘の手料理をご馳走になる。自分仕込みの厚焼き卵は、自分に似て甘めなのが微笑ましい。
旦那さんも何も言わず、いつもご飯を一粒も残さず食べるのだから、親子の味は似ていると思っているに違いない。

娘のおかげで自分の時間ができるようになったら、新しいことをしたい。何を始めるにしても遅いことなんかない。
ずっとしてみたかった専業主婦以外の仕事。


娘がこの前、餃子のタネに市販の餃子の素を入れていた。
味付けがこんなにも簡単になって美味しく作れることに感動したので、いつもは立ち寄らないスーパーのコーナーにも足を運ぶようになった。
最近はいろいろな調味料があるんだ、と勉強になる。

娘のおかげて旦那さんの夕飯は任せられるから、家事を終えた夜から新しい世界が開けるスーパーで働いてみることにしたのだった。

同じ時間帯でパートをしている若い子たちとも仲良くなった。なんだか孫のように思えてきて、彼らに夜食を持って行ってやることもある。



「このプリン、美味しいのよねぇ」

レジを打ちながらいつもの笑顔で私の顔を見る。
突然話しかけられ「あ、はい」とそっけない返事しかできなかった。
明日は絶対に肉じゃがにしよう、昔おばあちゃんから習ったレシピで。

ばりこ

ばりこ

日々、コンクリートジャングルをどう乗り越えて快適な暮らしをつくれるか考えながら生きていているOLです。

Reviewed by
haikei

朝から晩まで一心不乱に仕事をして気が付いたらもう夜、なんて日に欲しいものは何か大それたものではなく、返事を必要とする言葉でもなく、ただ側に寄り添うような「安心」なのではないかと思う。筆者が必ず探してしまう渡辺さんはまさにその「安心」を与えてくれる存在なのだろう。それは東京砂漠の中でいつの間にか忘れていたかけがえのないもの、「愛」そのものなのかもしれない。

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