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2F/当番ノート

半永久的な話

当番ノート 第51期

時々、どこか遠くの街で暮らすのも悪くないかなぁ、と思うことがある。

一人も友達がいないところへ行く勇気はないけれど、一人くらい友達がいるところなら、何かの拍子でふらりと移住してしまいそうだ。私は時々、突発的に行動してしまうところがある。だから本当にそうなっちゃうかもしれない。

「一緒に住んだら面白そう」

冗談っぽくそんな話を友達としながら、でも、ほんの少し本気も織り交ぜながら、まあそうなってもいいか、と思っている。ダメならダメで、またここへ帰ってくればいい。昔から私は無計画で楽観的な性格なのだ。計画を立てて、物事が計画通りにいった試しがない。その時の気分や状況で動いている。それでもまあ、どうにかこうにか生活できている。

食事や原稿を書く時は、部屋の中心に置かれたローテーブルの定位置に座ってする。定位置からはノートパソコンの画面越しに白くて大きな壁が広がっている。その壁をぼんやり眺めたりして、永久にここにいるわけではないと思うと、ちょっと寂しいような、早くどこかへ行ってしまいたいような、そんな気分になる。2年おきのアパートの契約更新が、きっとそう意識させるのだろう。今、私は26歳だから、2年後は28歳になっている。その頃の私はどうなっているかわからないけれど、何とか生きているような気がする。その時は、誰にも何も告げず、仕事を辞めてふらっと一人で知らない街に行っているかもしれない。

先日、花屋で生花を買った。花なんかなくても生きていける、と思う反面、花のことが頭から離れなくて買った。「All 550円」とだけふだがかかった名前も知らない青い花。「ちょっといいもの」を買う時の高揚感で、店員に花の名前を聞くのを忘れてしまった。この記事のためにネットで花の名前を調べたけれど、結局のところ今も花の名前はわからないままだ。そもそも、花なのかどうかさえもわからない。花の名前を知りたいような、知らないままでもいいような、そんな揺らぎの中にいる。

帰宅して早速、花瓶の大きさに合わせて茎を切った。花をどこに飾ろうかと思った時、この花こそ永久に程遠い存在であることに気づいた。それこそ、二、三週間の存在だろう。頭の片隅でこの花の寿命を逆算している私がいて、そう思うと一秒でも多く見ていたいと思った。そして、ローテーブルの上のノートパソコンの隣に花瓶を置いた。こうしていれば原稿を書きながらでも、いつでも花を視界に入れることができる。まるで、花屋で支払った、たった550円の元を取ろうかとしているかのように、少しでも長い時間見ていたいというような気持ちになる。そういう自分のがめついところに自分で苦笑しながら、それでも、そういうがめつい自分も、自分の素直な反応として許容できる。花の美しさにときめくようなキラキラとした感情を抱きながら、一方で花の短い寿命を哀れんでいるような気もする。相反した感情を抱くことも、人間の自然な心の働きなのかもしれない。

私が最近意識する言葉は「半永久」という言葉。永久にほぼ近いとされる「半永久」。その言葉を意識した時、このアパートにいることも、今の仕事をしていることも、人間関係も、自分の命も全部全部「半永久」なことに気付いた。そう思うと、「永久歯」なんてものはない。だって、自分の肉体が滅びればそれは「永久」ではなくなるから。「永久」こそ幻想なのかもしれない。だからこそ、本当に少し先の未来しか描けないのかもしれない。

そう思っているうちに、土砂降りだった雨が止んだ。天井を打ち付けるような激しい雨で、気持ちも緊張してしまうような、そんな雨だった。雨の間、頭を締め付けるような頭痛がずっとしていたけれど、それも雨が止むと同時に治った。物事が終わってしまう寂しさもあるけれど、物事が終わる喜びもある。この原稿が終わったら、昼寝でもしたい。

神原由佳

神原由佳

1993年生まれ。
社会福祉士、精神保健福祉士。
普段は障害者施設で世話人をしています。
納得を見つけていきたいと思っています。
にんげんがだいすき。

Reviewed by
早間 果実

永遠なんて叶わないのだけれど
揺るがない幸せがほしいのです
赤い電車に乗れば
いつでも君の街まで
知らない花を持っていくよ
一緒に名前を考えて
半永久の秘密にしよう
弱虫なぼくらは
それを押し花にして
安心のお守りにする
ぎゅっと握りしめて
理由も終わりもない旅路を
終わりに向かって往く
めいっぱい
泣いたり笑ったりしながら

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