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2F/当番ノート

優しさをもらって、居場所をもらって

当番ノート 第51期

「好きな人がいると元気が出る」

仕事をしていると、時々素敵な言葉に出会う。たまに激しい言葉に出会すが、大体は丸くて柔らかい言葉たちだ。

私が働いているのは、精神障害がある方が暮らすグループホームだ。六名〜八名が一つの施設で共同生活を送っている。四施設を兼務し、関わるメンバー(精神保健分野では、利用者のことをメンバーと呼ぶことが多い)は二十四名にものぼる。下は二十代から上は八十代まで、建物もマンション、アパート、一軒家と、入居するメンバーや暮らす環境は様々だ。私はそこで「世話人」として、彼らと生活をともにしている。

冒頭の言葉は先日、先月の報告書を作るために記録を読み返していた時に、メンバーのKさんが発した言葉だ。

彼には意中の人がいる。お相手は、ショップ店員の「三浦の姉ちゃん」。三浦の姉ちゃんの言動の多くは、Kさんの妄想だが、「あなたがいないと生きていけない」と言ってみせたり、「店にはもう来るな」と悪女っぷりを発揮したり、Kさんを振り回している。そのギャップがまたいいんだろうな……と思う。かなり難易度は高そうだ。この恋が実る日はくるのだろうか……? 世話人兼Kさん応援団員としては、そんな心配もしている。でも「好きな人がいると元気が出る」ということだから、必ずしも両想いでなくてもいいのかもしれない。これほどまでに片思いを満喫している人もそうそういないんじゃないだろうか。恋するKさんは実に愛らしい。記録を読み返しながら、そんなKさんが可愛く思えてしまい、少しの間、胸がいっぱいになって作業の手が止まってしまった。妄想であろうがなかろうが、私はKさんの恋を応援したい。Kさん、頑張れ!

コロナ禍にあっても、福祉施設なので休業するわけにはいかず、緊急事態宣言が出ている間も週四日は出勤していた。だから大きく仕事の仕方が変わったかと聞かれれば、そんなに大きくは変わっていない。私の仕事は彼らの日常を継続させることだから。

良くも悪くも彼らは鈍感で、でも、その鈍感さによって日々の延長が継続できていたと思う。作業所に行けないとか、行きたい店に行けないとか、そういうことはあったけれど、それにたくさんの不満を漏らすことなく、施設内では比較的穏やかな日々が続いた。「暇でしょ」と聞けば高確率で「うん」と返ってきた。

S N Sやリアルでの会話で「コロナ太り」という言葉を何度か見聞きした。家にいると食べることしか楽しみがないというのは、グループホームで暮らす彼らも同じだ。偏食、野菜嫌い、食わず嫌い、年だから肉は食べたくない、若いから肉を食べたい、昔魚の骨が喉に刺さったことがあるから骨のある魚は食べたくない……彼らの注文に応えようと思うと、毎日献立を考えるのに頭を抱えている。食べることくらいしか楽しみがないからこそ、栄養満点の美味しいものを食べて喜んでもらいたいと思うけれど、一人で大人数の食事の支度をするのは、時間的、予算的、そして何より技術的に限界がある。二時間かけて作った料理は十五分で食べられてしまう。その食べる速さは見ていて気持ちが良いが、一方で、もう少し味わってよ、とも思う。

年齢は私より年上の人たちばかりだ。自分の親と変わらない年代の人たちが多い。年長者として彼らを尊敬する一方で、嫌いなにんじんだけをきれいに残されるとどこか子どもっぽいとも思う。

彼らにとって、グループホームはどのようなところなのか。そして、そこで一緒に暮らす他のメンバーはどのような存在なのか。不思議な場所で、不思議な関係性だと思う。私はそんな空間で一日のほとんどを過ごしている。冒頭で「彼らと生活している」と書いてしまったが、本当に彼らと生活をしているわけではない。私には帰るべき家がある。だけど、一日の大半を彼らと過ごしていると、職場という感じがしなくなってくる。「おはようございます」「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみなさい」毎日繰り返される合言葉。毎日同じようなやりとりと仕事内容の繰り返しだけれど、本当は全く同じ日などない。

偶然にも、「家族」がテーマの映画と小説を立て続けに観た(読んでいる)。是枝裕和監督の「万引き家族」と瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」。二作品に共通するのはどちらも「血の繋がった家族ではない」というところ。今、私自身もこれに近いような経験をしている気がする。「メンバーと職員」という関係性が基盤にあることが大前提なのだけれど、それだけで関係性が完結してしまうのは、私はちょっと嫌だ。メンバーも私も人間だから、私にとってはある時には「父親」で、またある時には「子ども」で、「きょうだい」や「友人」に、その時々によって存在感が変わる。本当に不思議だ。彼らと一緒にいると、優しい気持ちになれるから、居心地がいい。まわりに優しい人がいると、自分も優しくなれるし、人に優しくできると、自分のこともほんの少し好きになれる。毎朝家で「仕事行きたくない」とため息をつくけれど、出勤してしまえば、そこは安心できる居場所だ。

居場所をくれてありがとう。私もお返しできてるかな。

神原由佳

神原由佳

1993年生まれ。
社会福祉士、精神保健福祉士。
普段は障害者施設で世話人をしています。
納得を見つけていきたいと思っています。
にんげんがだいすき。

Reviewed by
早間 果実

血はただの水分で、家族の屋台骨は奇跡じゃないただの偶然だ。
なるものだから、なれないことだって、絶対にある。
なりたい人と、なったらいいじゃん。
しっくりこないなら、新しい定義や名前を考えたらいい。
「べき」なんて標識はベッキベキにへし折っちゃえ。
居場所は自分で決めていい、自分が決めるんだ。
そして何度でも考え直そう、やり直そう、つくり直そう。
確かな答えの賞味期限は、思っている以上に短いものだから。

「私たち、同じシャンプー使ってるじゃないですか。
家族じゃないけど、あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです」

坂元裕二さん脚本のTVドラマ『カルテット』の第3話、今でもときどき思い出します。

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