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2F/当番ノート

優しさと好きと楽しさ

当番ノート 第51期

何となく、先週あたりから体調が悪い。周囲に「体調が悪い」と言うと、通常の二倍くらい心配されてしまうので、口にしづらいけれど、体調が悪い。気圧のせいだ。

この連載は配信の一週間前が原稿の締め切りなのだけれど(つまり、この記事の締め切りは七月十七日)、いくら「調子が良くなるまで少し待ってみよう」と様子を見ていても、一向に体調がよくなる気配がなかった。前回の記事は締め切りの三日前くらいに入稿できて余裕綽々だったのに、今週は打って変わってこれだ。時間に余裕があるうちは、「様子を見よう」と心の余裕貯金を切り崩して過ごせるけれど、その貯金も残りが少なくなってくると余裕ではいられなくなる。ただでさえ調子がよくないのに、締め切りの焦りも加わって、もう言葉が一言も出てこなくなってしまった。

「まずいなぁ」と思いながら、とりあえず管理人さんとレビュアーさんに連絡。するとすぐに、レビュアーさんから「全然大丈夫です。お気になさらず!書ける気分の時に、ゆっくり書いてください( ^ω^ )」と返事があった。

その文章を見た時に、とてもほっとした。これまでの私だったら、「何としてでも治さねば!」と、さらに回復するために自分を奮い立たせていたと思う。自分自身に休息を強要して、回復を課していた。いくら心の中で「寝なきゃ寝なきゃ」と唱えても、全く眠れないし、かえってそれで気疲れしてしまって、むしろ逆効果だ。

だけど、不思議と自分を追い詰める気にもなれず、レビュアーさんの好意に素直に甘える頃ができた。「やーめた」とノートパソコンを閉じて、ベッドに寝転んだ。体勢がなかなか定まらなくて、寝返りを何度か繰り返した後、ようやく体勢が定まったところで、中学生の頃によく見ていたニコニコ動画を久しぶりに見た。

私はYouTubeのあのキラキラ感がどうしても苦手で、ニコ動のアングラ感の方が見ていて落ち着く。私が地味でおとなしい学生だったからなのかも知れないけれど、年寄りくさく「あの頃はよかったな」と言ってしまいそうだ。

「ねるねるねるねを混ぜる自作の全自動マシン」とか「踊ってみた」とか、意味があろうがなかろうが、自分の好きなものを表現する動画が集まる空間は良いな。自分の「好き」を信じられる気持ちは強い。コンテンツの面白さも大事だけれど、作り手の「好き」の気持ちの強さが人を引き寄せるんだと思った。

そう思うと、このアパートメントも似ているかもしれないな、と思った。投稿されているのはエッセイが多いように感じるけれど、写真だったり詩だったり、住人ひとりひとりが、自分の好きなやり方で、自分の部屋を彩っている。私の場合は、初めての一人暮らしを見つめるエッセイ部屋になった。

住人の中には、書くことでご飯を食べている人もいるし、Twitterやウェブ記事でその名を見たことがある人もいる。そんな「なんかすごい人たち」と同じ空間の住人になることに、少々のためらいを感じながら、それでも自分の持つ「好き」を信じてこのアパートメントに先月入居したのだった。

私は、この連載が始まる直前に、管理人さんとレビュアーさん宛に手紙を書いた。改めて、読み返したらめちゃくちゃ恥ずかしいことを書いていて、「なんでこんなこと書いてしまったんだろう」と恥ずかしくてたまらない。けれど、二ヶ月間一緒に過ごすからには、事務的なやりとりになってしまうのは嫌だった。けれど、手紙を書いてよかったと思う。毎週彼らとやりとりをするのが、いつの間にか楽しみになっていった。

残念なことに、そろそろこのアパートメントを出なくちゃいけない。ようやくこの部屋に馴染んできて、もっと書きたいこともあるけれど、もう次の入居者がいるみたい。次はどんな部屋になるんだろう? 楽しみだ。

さてと、荷造りをはじめよう。書いたエッセイは、みんなが使ってる書庫に置いていくから、そんなに荷物はないかな。

そんなことを書きながら、私が今本当にいる部屋では、エアコンをつける時間が日に日に長くなってきている。私とこの部屋は向かう、初めての夏へ。

神原由佳

神原由佳

1993年生まれ。
社会福祉士、精神保健福祉士。
普段は障害者施設で世話人をしています。
納得を見つけていきたいと思っています。
にんげんがだいすき。

Reviewed by
早間 果実

「故郷ってのは、そこで生きる覚悟を決めなきゃいけない場所じゃない。いつでも帰って来られる場所のことだ」
最近Iターンした友だちが、地元の人にそう言われたと、いい顔で話してくれました。
そういう意味で、アパートメントは、故郷なのかもしれませんね。人によっては、そうでもないのかもしれませんが。何にでも気の利いた意味を持たせようとするのは、良くも悪くも三つ子からのクセだと思います。
ここでの暮らしの記述は、宛名のない手紙のようなものですね。誰もがきっと、心のなかで崩れるほど重ねている。本当なら見られない手紙を、こうして覗き見できるなんて、とても贅沢な気がしてしまいます。「もしかして自分宛なんじゃないか」と、身勝手にドキドキすることもあります。きっと皆さんも、そういう瞬間、ありますよね。
意味なんかなくても、書いて出した時点で、それはメッセージボトルになり得る。宛名がないなら、海に流せばいいのか。宛名がないから、海に流すのか。
でも、ここは部屋ですよね。部屋なのに海と繋がってるんてすね。電車に乗らなくてもいいんだ。ふふ、想像してみるとなんだか愉快ですね、それって。

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