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2F/当番ノート

やがてそれも、化石になる(7)未亡人

当番ノート 第52期

 かつて家には4匹の猫がいて、家族4人がそれぞれ猫を持っていた。
 持っていた、というのは持ち物のような意味ではなくて、厳格な父を持つ、とか、素敵な娘さんを持ってしあわせね、とか、そういうふうな意味だ。
 同じ屋根の下で暮らす猫なので、家族といえばそうなのだが、ペットとか飼い猫とかというよりは、お互いに馬(猫だけれど)が合う相手を自然と選び、寝食をともにする、といったほうが説明がつきやすい。

 父の猫はでっぷりとした色気のあるぶち猫で、たった1匹の雌猫であったけれど、地鳴りのような声をだす。これが父を前にするときゅうっと首を締め上げたかのようにか細く鳴くので、猫撫で声、というのがぴったりの猫だった。他の猫には一切興味がなく、それは人間にも同様で、とりわけ母とはおそろしく仲が悪かった。
 母はこの猫を呼び習わす時にはきまって、あの女、と呼ぶのだった。

 妹の猫は毛のふわふわとしたグレーのスコティッシュフォールドで、ひどいアレルギーのせいで我が家にやってきたときは毛の一本もない、肌色の弱ったかたまりだった。これが母の手によって見事に息を吹き返し、気がつくと灰色の元気な毛玉になっていた。甘えたで、痩せの大食らいで、よく喋る猫で、妹が学校から帰れば足元でなおなおと本当によく喋った。不思議と、ちいさな妹だけはその話をきちんと理解しているようだった。
 足首から下が白い毛に覆われており、靴下、と妹は愛を込めて呼んでいた。

 母の猫はお尻がもっちりとした茶トラで、行儀がよく、叱られるときはその場で耳を下げてじっと耐え、そしてどんなときでも母のすぐ傍にひかえる忠実なる猫だった。1番年上で、他の猫はこの茶トラのいうことをよく聞いた。
 お前はママの子分。守ってあげるからね。
 そう言って膝の上で頭を撫でててもらっているときだけは、他の猫はけして寄りついたりしなかった。うっかり母にすり寄ったりすれば、おそろしい速さでこの猫にひっぱたかれると、この家の猫なら誰でも知っていた。
 わたしも妹も、何か悪さをしているところをこの猫に見られると、「お母さんに言わないでね」と耳打ちせねばならない気持ちになったものである。

 それで、そう、わたしの猫だ。

 わたしの猫は、キジトラの、それはそれは気の弱い猫だった。
 誰が見ても体がちいさく、鳴き声は蚊の鳴くような声だったし、いつも泣きそうな顔をしていた。あまりに気が弱すぎて、家族みんな、猫までもがこの気の毒なちびを守ってやらねばならず、わたしの部屋に入りたくて何時間でも扉の前でまごついているのを、幾度も母の猫が報せてくれた。電気の消えたトイレに閉じ込められ、夜中に父に救出されたこともある。
 夜になり電気を消すと、遠慮しいしいベッドの足元へやってくるので、わたしはこのちいさく温かい生き物を拾いあげ、布団に押し込んで寝た。そうするときっちり朝、わたしが目覚ましで起きるまでいっしょに眠るのだ。
 朝は朝で、ちっともごはんにありつけず、他の猫の大きなお尻のうしろでお腹をくうくう言わせているのを見るたび、やれやれとため息が出るのだった。

 前日までぴんぴんしていたぶち猫が死んだとき、父はしばらく誰とも口を利かなかった。寡黙で忠実な茶トラが長いこと病気で苦しんで死んだとき、母はひとしきり泣いたあと、「もう2度と猫はいらない」、と言った。2人はそれぞれ自分の猫を火葬し、見晴らしのいい川の近くに骨を埋めた。
 だから──あの気弱な猫がベランダから落ちた日、わたしは不思議なくらい冷静で、落ち着いていた。わたしたちの番だ、とおもった。行って、ちいさな体を抱き上げてやらねばならない。
 幸い下に車が停まっていて、きれいに着地して怪我をした様子もなかった。けれど猫はそれから一週間どこかに隠れて見つからず、やっと見つけたときにはすっかり野生になっていて、やせっぽちになった小さな体を抱き上げようとすると毛を逆立てて逃げていった。
 それっきり、あのちびで気弱な猫は、帰ってこなかった。
 ずっとあとになって、子猫をつれて歩いているのを見たよ、と母がそっと教えてくれた。

 50を過ぎた母に、また猫を飼いたいか、と聞いてみた。
 あの子1匹でじゅうぶん、と笑う母に、未亡人みたいだね、と言ってわたしは1人で少しだけ泣いた。
 すっかり老いてしなしなになった灰色の毛玉が妹の足元で眠っているのを見るたび、わたしはほんの少し、うらやましい、とおもってしまう。

青柳 ハルコ

青柳 ハルコ

1989年生まれ。
名古屋在住。文筆家。
雑貨と住居と海外ドラマとトーストが好き。

Reviewed by
冬日さつき

 実家に住んでいたころ、青柳さんたち家族のように、わたしの母も犬を「持っていた」。それまで飼っていた犬の傾向から、犬というものは家族であればそれなりに愛想を振りまく動物であるとおもっていたのだけれど、母の犬はちがったようで、わたしたちほかの家族にはまったくなつかなかった。じぶんの子たちが3匹生まれてからは、母の手がふたつしかないことを知ったのか家族にも寄ってくるようになり、わたしは母のかわりとしてその犬をよくなでた。

 犬にも認知症というのがあるらしく、その犬はほとんどの記憶を忘れてしまって、最後には目も見えなくなった。あんなに愛していた母に歯を向けて威嚇し、ぐるぐると同じ場所をまわりつづけた。それでも、死んでしまう数日前、一度だけ母のことを思い出した瞬間があったらしい。元気だったころと変わりない様子でクンクンと泣き、かつてそうしていたように、母のすべてを独り占めにした、と。

 ふるえる声でそのことを話す母の表情を、わたしはじっと見つめていた。そんなふうに愛し愛された記憶をじぶんの中にも探しながら。わたしだってたくさん失ってきたはずなのに、母とその犬のような関係性にあこがれてしまう。青柳さんの少しうらやましくおもう気持ちが、よくわかる。

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