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2F/当番ノート

笑顔でさよならは言えない

当番ノート 第52期

誰を失っても揺らがない人間になりたいと思っていた。自分はそうなれると思っていた。でも、違った。私は、大事な人を失ったことがないだけだった。今まさに、大事な人が死に近づいていこうとしていて、私は足元が揺らぐ感覚に襲われている。

私の世界は、大事な人とそれ以外に二分される。その区分は時に残酷だ。今回は前者、大事な人の話をしよう。

その日はあと数日で訪れる。祖父母は死ぬわけではない。老人ホームに入居するのだ。今より便利な部分も、不便な部分もある。一人で入るお風呂のたびに、倒れたらどうしようと心配しなくていいけど、車を手放し、食事の用意もすることがなくなる。

私は祖父母の料理を食べながら育ってきた。カレイの煮付け、ポテトサラダ、卵焼き、いくらの醤油漬け、ザンギ……。挙げればきりがないくらいだ。

祖父母とごはんは密接に結びついており、その祖父母から料理が消え去るのは、ひどく寂しい。同時に、料理をしなくなってぼけるのではないかと怖くもある。

意識があって、いつも通りの顔をした祖父母に、「あら、だあれ?」なんて言われた日には立ち直れなくなりそうだ。健康寿命で長生きしてほしい。そう思うのだ。

でも、もう長生きを望むのも酷かなと思う。「長生きしすぎた」と祖父の口から言葉が出たときは私は心臓が締めつけられる思いだった。衰えるとは、こんなにも切実で、残酷なことなのか。

理想はピンピンコロリだとよく聞く。だが、理想通りにはいかないのだ。衰えて、ゆっくり死に近づいていく。その過程は見ていて、ひたすらにつらい。

何でこんなにしんどいのだろう。私は目を背けずにいることができるだろうか。

一つだけ言えることは、私はきっと笑顔でさよならは言えないということだ。

雁屋優

雁屋優

文章を書いて息をしています。この梅の花を撮影したときの私は、ライターをやることを具体的に想像してはいなかった。そういうことに、惹かれる人。

Reviewed by
藤坂鹿

頭で理解していることを、心が素直に受け入れてくれたらどれだけ楽だろう。心が素直に受け入れられないことを、頭が宥めて飲み込めたらどれだけ生きやすかったろう。

心と頭はまったくちがうはたらきを持つ。それぞれが自分にとってよいかたちでいつでもはたらいてくれればうれしいが、どうにも頭は心よりも先に物事をなんとかしたがってしまう。心がなにかを感じ、受け止めようと伸びて縮んで血をどくどく流しながら耐えているとき、頭はその血を必死で押しとどめようとする。流しておくに任せておけない。感じておくに任せておけない。けれども頭がいなければ、心などすぐに迷子になって、一瞬で粉々に砕けてしまうだろう。

雁屋さんのとても近しい人の在り方が、大きく変わろうしているらしい。それは雁屋さんにとって、頭と心がねじ切れてしまう経験なのだ。何重もの「けれど」を積み重ねて、それでも追いつかないほどに。

そういうときってどうすればいいんだろう。ただ時間が経って、慣れてしまうのを待つか。苦しさを忘れるために、積極的に何かに飛び込んでいくか。自分の心の守り方を頭が知っていればいいのに、肝心なことに限って、頭はなにも知らない。

雁屋さんの苦しさがどれほどのものか、どんなものか、わたしにはわからない。けれど雁屋さんが苦しい、ということはわかる。自分が苦しいわけではないのに、その人が苦しいとわかるのはふしぎだ。雁屋さん、ごめんなさい、何も言えないけれど、苦しいんだってことだけは、痛いほどわかります。たぶん。

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