モネと動物病院に行くとき、予約していた待ち時間より必ず30分ほど早く行き、わざと待ち時間を作るようにしている。普通であれば、予約した時間ちょっと前に行くだろう。しかし、その待っている時間というのも、モネにとっては大切な時間なのだ。
小さい頃からモネは慣れてない場所で緊張しやすく、動物病院につくと、口を開け舌を出し、息が粗くなってくる。私の膝の上でじっとお座りして一見落ち着いているようにみえるが、背中を撫でると筋肉が固くなってカチカチだ。「おやついる?」、この日のために用意した、スペシャルなおやつを鼻先に差し出してみても、食べようとしない。周りにいる人や動物たちがとにかく気になるようで、ずっと首をきょろきょろさせ、おやつどころではないようだ。背中をゆっくりさすってあげて、もうしばらく待っていると、口を閉じ鼻をひくひく動かして周りの匂いを嗅ぎだした。ここでもう一度おやつを鼻先に差し出してみると、モネは差し出された手のひらをスンスン匂い、おやつをパクリと食べた。犬は不安な時、鼻が使えない。しかも目がとても悪いため、鼻が使えない時、ほとんど何も情報収集ができてないのだ。しかし、少し落ち着いて、鼻で匂いがつかめるようになってきたら、やっと情報を収集することができ、鼻先にあるおやつの匂いにも気づくことができる。犬の落ち着きと、鼻の活動はこうやって互いに関連しあってる。私の膝に乗りながら、鼻をひくひくさせて、待合室に流れてくる他の動物の匂いを確認していたモネは、しばらくすると自ら下に降りて床を匂い始めた。ここまで来たらもう大丈夫。
「モネちゃん、診察室にどうぞ!」と看護師さんの声がして、診察室に二人で向かう。鼻の活動ができるまで待合室にいるのといないのでは、診察室に入った時の落ち着きの度合いが全然違う。待合室で鼻のスイッチが入ったモネは、私が獣医と話している間、診察台の上で、懸命に匂いを嗅いで情報収集をし、落ち着いた様子で獣医の診察を受けることができる。
モネが小さい頃は、この「待つ」という行為をしていなかったから大変だった。病院に行ったらすぐ呼ばれ、診察室に入ったモネは、舌をべろりとだし、ハアハアと息が上がりだす。獣医さんに少し触られるとびっくりし、診察台の前に立っている私に前足をかけ、必死の形相で体によじ登ってこようとした。駆けつけた看護師さんにガシッと押さえられ、「大丈夫だよー」と声をかけられているものの、本人は逃げたくて逃げたくて仕方がない。保定され動くことができなくなったモネは、目をぎょろぎょろしながらあんぐり開け、口から覗く舌からよだれを垂らしてる。「終わりましたー」と看護師さんが保定を解くと、まるでゾンビに追いかけられた人のような顔をしてこちらに抱っこをせがむのだ。
怖がりで何かと繊細なモネに、何かできることが無いかとトレーナーさんに相談したところ「犬にとって人間のスピードは早すぎる時があるんです。とにかく待つことを大切にしてあげてくださいね」と教えてもらった。それを機に動物病院での待ち時間をわざと作るようにしたところ、モネは落ち着いて診察を受けられるようになった。正直わざわざ早く行って待っているのはめんどくさい。しかし、モネの立場に立ったら、鼻の準備ができていないのに急に診察室に入れられるということは拷問のような行為なのだ。
2019年12月ごろから、私は当事者研究の一環で書くことを始めた。私は線維筋痛症、慢性疲労症候群という、原因不明の病を患って何年もずっと点滴に通っている。治療を始めて少しは痛みは良くなったものの相変わらず痛みや怠さで仕事ができない。それに二日に一回の点滴通いもやめられない。お医者さんに相談しても鎮痛剤が増えるだけ。どうしよう、これからも私はずっと痛み止めを飲んで副作用で頭がぼーっとしてて、体の怠さや痛みに支配され、点滴のいたちごっこから逃れられないのだろうか。私はこのことをある作家さんに相談した。「当事者研究をしながら、文章をどんどんかいてみたら?」という、彼の一言で私は文章を書くことと、当事者研究をし始めた。そこで分かったのが、「書く」というのも「待つ」行為とセットであるということだ。私は、中学の時、拒食症だった時があり、その時のことを何度か自分の原稿に書いている。しかし最初からうまく書けたわけではない。最初は拒食症関連のニュースを見たり、本を読んだりすることだけでも胸が苦しくなった。そして、無理して書いたら、原稿の世界と現実がごっちゃになってしまい、いわゆるフラッシュバックを起こしてた。二度とかくまいと決めたこともある。しかし、薬物依存症の本を何冊か読んでいたところ、薬物依存症の患者さんと拒食症であった私に沢山の共通点がある事に気が付いた。薬物依存症患者さんの多くは、育った家庭に緊張があり、大人に相談できずに育ったこと、「私が頑張らないと」「自分のせいだ」と家族の問題を必要以上に背負いすぎてしまうこと(『その後の不自由』より)。意外に思われるかもしれないが、拒食症は、食べてはないが頭の中は食べ物のことでいっぱいで、「食」の依存症の病だ。症状は違うけど、違う依存症の方の語りを沢山知ることで、間接的に自分の過去の整理が付き始めたのだろう。その後は、拒食症についての本を読めるようになり、過去の体験についても書けるようになったのだ。
書いている間は自分と対話していると感じるが、蓋をしていた過去に急に対話を持ちかけてもなかなか応じてくれない。急に話しかけるということは、鼻を使えていないモネを無理に診察室に入れるような行為なのだ。その際は回り道をして、しばらく私自身が語りだすことを待ってあげることが必要なのだろう。一見関係のない本を読んだり、他の人の語りを聞くという行為は、私の中で全く形になっていないぐちゃぐちゃで混沌としているものを整理させ、いつかそれが物語として紡がれることを促してくれる準備期間となっている。