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2F/当番ノート

罪悪感から見える景色

当番ノート 第56期


小さなころから、家の中にはいつもピンと緊張の糸が張っていた。今はもう亡くなってしまって居ないのだが、一緒に暮らしていた重度障害を持つ伯母が体調を崩すたび、祖母や母の顔に映る疲労の色は濃くなった。家がどれだけ大変でも、幼い私はただオロオロ見ているしかなくて、いつしか私の頑張りが足りないからこんなに家が大変なんじゃないだろうかという罪悪感に襲われるようになった。しんどそうな家族の気持ちが度々私の体に流れ込んできて、体が重たくなってくる。そしてそれと同時に罪悪感が増してくる。それが耐えられなくて意図的に距離を置いたこともある。そのせいか「あなたは1人だけ冷たかった」と家族に今でも言われてる。

この病が発症した23歳ごろ、長年私の胸に巣食っていた罪悪感がぐっと大きくなり、胸の辺りに沢山石が詰まったような重苦しさに襲われた。もう私は居てはいけないのではないかと、眉間に皺を寄せながら頭を抱える日々が続いていた。居てもたってもいられなくなり教会に通い始めキリスト教に入信した。「イエス様は、あなたの罪のために死んでくれたのですよ」と言う牧師の言葉が磁石となって私を吸いつけた。

私が牧師室で、心の罪悪感を打ち明ける度、牧師は神妙な面持ちで「あなたの罪のため、イエス様は身代わりになって死んでくれたのです」というセリフを繰り返した。「くりこさんのために、今からお祈りします」。祈りの終わりに牧師と声をそろえて「アーメン」と呟いた声が、しんとした部屋の中で空しく響いた。「主イエスの血潮で、罪贖われて」という聖歌を何度も脳内再生しても徐々に音が歪んできて、罪悪感がぬっと顔を出す。4年ほど一生懸命教会に通ったものの、やはり私の罪悪感が消えることは無かった。

伯母が亡くなってしばらく経った2019年12月から一人で当事者研究をし始め、障害者福祉やフェミニズムの本を読み漁ることが私に風穴を開けるきっかけとなった。それらの本のおかげで、 私の胸に長年しこりになっていた罪悪感は徐々に溶け出して、胸が少し軽くなってきた。 小さい頃大変だったのは私が悪いんじゃなくて社会の歪みが私達家族に押し寄せてたせいだった、ということを教えてくれたからだ。それと同時に、世界と私がどう繋がっているかが見えてきた。今、私はやっと目の前の世界に対して二本足で立ち始めていると感じる。

だからと言って私の罪悪感はすっきりなくなった訳ではない。今、私のスマホの家計簿を見ると、9割が医療費。ずっと私は働けてなくて、母から貰ったお金をそのまま病院に流している。ああ、申し訳ない。母は私が出来ない分の家事をこなしながら、せっせと働きに行き、常に体に疲労をまとっている。4年前に伯母は亡くなったのだけど、やっぱり家族が誰かのケアをする生活は終わってない。ああ、やっぱり申し訳ない。また罪悪感が私の胸に巣食いそうになってくる。

線維筋痛症、慢性疲労症候群という病気はどれだけ医療費がかかっても、たとえ寝たきりになっても、「難病」ではない。もし指定難病になったら、医療費が助かるだろうし、就労支援なども受けられるかもしれない。もちろん、私が知らないだけでもっと大変な病があるのだろうけども、病気で働くことができなくて、医療費も沢山必要なこの病に指定難病という形でなくても何らかの支援が欲しいとやっぱり思ってしまう。

また、これらの病気は、検査で分からないためお医者さんでも病気であると認めない人もいるし、そもそも診てくれる医療機関がとても少ない。お医者さんに診断名をもらうというのはとても重要なことだ。家族でさえ、線維筋痛症という病名をもらうまで、私の体の痛みを疑っていた。医者から病名をもらうということは、「あなたの言っていることは信用に値します」という免許証を貰うのと一緒なのだ。

皆それぞれに生きづらさを抱えていて、そんな中でも満員電車の中から体を何とかくねらせて駅のホームに降り立つかのように、この世の中を生き続けているのだろうけど、寿司づめにされた車内で痛む私の体は悲鳴を上げ身動き一つ取れないでいる。社会的、医療的支援がもう少し私を助けてくれれば、この満員電車から何とか出て、一息つくことができるのに。

今日も病院の待合室には沢山の患者さんがしんどそうな顔をして座っていた。こんなに患者さんがいるのに何故か線維筋痛症、慢性疲労症候群という病名は殆ど知られてない。それはきっと8割以上の患者さんが女性であることが関係しているだろう。もし、この割合が反対で、8割以上が男性の患者で占めていたら、もっと社会的にも医療的にも改善されるのではないだろうか。

病院の会計窓口で、私のがま口型のお財布からお金が出ていくたびに、罪悪感がまた私の体に張り付いて胸が重苦しくなってくる。それを振り払うように、私が罪悪感を持つ必要はないのだと自分に言い聞かせている。何度言い聞かせても、勝手に張り付いてくるものだからキリが無い。しかし、本を読み漁って、社会と自分の繋がりを知ることは、私の猫背の背骨を少しだけ真っすぐにし、張り付いてくる罪悪感を押しのける力を与えてくれる。

そして、こうやって書き続けることは、私にとってのささやかな抵抗だ。病気である私、女性である私、ケアをずっとされている私、これらのことは私の体に重くのしかかり、この社会に対して謝らないといけないような気持ちになってしまう。しかし、書くことは社会で蔓延している価値観から私を遠心分離機にかけて解放のきっかけを与えてくれる。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

胸が痛い。罪悪感という気持ちが、一度巣食ってしまうしまうと、それから解放されるのはなかなか難しい。つねに自分を疑って、反省して、自分を責め続けてしまう。それがわかるからこそ、胸が痛い。

病名がつくこと、そしてその病気が社会の中でどのように認知されているかということは、患う側にとっても、ケアする側にとっても実は大事だったりする。自覚症状とは裏腹に、検査では問題がないと言われてしまうようなことは、驚くほどたくさんあるから。そうすると、疑いが心の中で大きくなっていくし、罪悪感も同じように、育ってしまう。

たとえば、自己免疫疾患の患者さんには女性が多い。これは印象論ではなくて、事実。それがなんでなのか、ある学者さんが言っていたのは、女性の方が我慢を強いられる社会だからなのだそうだ。男性優位の社会。そのような世界では、女性の声はかき消されてしまったり、重視されなかったりする。ただでさえ、女性の言葉は”信じてもらいにくい”のに、証拠がないだとか、女性は感情的だからとか、嘘をつく存在だからだとか、そういう言葉で、わたしたちの本音はいとも簡単にねじ伏せられてしまう。女性が生きる上で強要されるストレスが、わたしたちの脳やホルモンに影響を与えて、病気になりやすくしてしまう。

しかもね、トラウマや病は、受け継がれていくものなのだそうだ。痛みの記憶、辛さの記憶、我慢の記憶というのは、あらゆる形で、後世に受け継がれていく。たとえ、それが口頭では伝わっていなくても。伯母さんのお病気と、それからご家族が受けたストレスは、多分久里子さんのなかで受け継がれている。それも、ご家族の歴史の一部なのだ。

わたしもそうだ。わたしの曽祖父の世代は、移民としていろんな国からブラジルに渡った。両親の世代は、祖先が離れた日本に戻ってきた。人は親やその祖先の行いを再生産していくものだから、似たようなトラウマや病気が発生するのも、至極当然だとわたしは思う。たとえ、そのトラウマや痛みの記憶が、しっかりと語り継がれていなくても。だって、あえて語らずにいたことが、わたしの先祖たちにはあまりにも多いから。(痛みやトラウマの当事者は口を閉ざしてしまうことが多いこと、多いこと…)


原罪。キリスト教のなかではそれがなんなのかいろんな議論がなされてきた。わたしは、先人たちの記憶を引き継ぎ続けること自体が、原罪なのではないかと思うことがある。(個人的には他にもいろんな考えがあるけれどね)だからこそ、簡単には罪悪感は消えてくれないのかなと思うし、それを抱き続けることが自分たちにとって大事なことなのかもしれないとも。でも、罪悪感と折り合いをつけていくこと、その方法を学ぶことは何よりも大事なんだと思う。そうでもしないと、わたしたちはきっと押しつぶされてしまうから。

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