当番ノート 第50期
逗子の小さな神社に2500人が集まったのは、昨年の11月26日のこと。 抜けるような青空の下で、境内には珈琲の香りが漂い、陽だまりのような音楽が響いている。 これは、「逗子葉山 海街珈琲祭」の風景。 アンドサタデーが主催した、初めての大規模イベントである。 地元だけではなく東京や横浜からたくさんの人が集まり、普段人が多い訳ではない街に賑わいをつくった。逗子葉山の11の珈琲店は、どのお店も行列が途絶…
当番ノート 第50期
5月13日、朝6:30頃に目が覚めた。フラッシュバックで寝れていない。愛犬がぼくの左脇あたりに前足を直線に伸ばして眠っていたのをみて朝の心は和らいだ。 朝陽が窓から射す中、お風呂の掃除をする。水蒸気に太陽の光が当たり、やっと目が冴えてきた。汚れを落とすこと。磨くこと。あるべき姿に治すこと。行動にできると、心身の整理と浄化に繋がる。 朝ごはんには納豆をよく食べる。卵も入れる派だ。ここ一年は鮭が欠かせ…
当番ノート 第50期
私はこの文章を5月11日の午前1時に書いているのだが、この1時間前に50日間以上フランスで続いていた外出禁止令が一部解除になった。とりあえず単純に嬉しい。もともと引きこもり系の人間で、こもりつつ作品を作ることが好きなので家にいることは苦ではないと思っていたが、いやはや、予定がない日々が50日も続くと時間の感覚がおかしくなってくることがよくわかった。 宇宙飛行士が訓練で日常の繰り返しを繰り返し練習す…
当番ノート 第50期
誰もいないよりは誰かがいたときのほうがおもしろい、たまにでいいけど。適度に安らげる孤独のほうがあったほうがいい。適度にね。 そういえば最近とてもいい演劇を見た。つめたい人、あたたかい虫の話。演劇が善いと思うのは「弱い」とされることも、肯定されるからだ。胸が苦しくなるくらい、愛おしい、弱さ。そのあとが破滅だったとしても、一瞬にとんでもないエネルギーを注ぐっていうのが、演劇。暴力も、狂気もある。 結局…
当番ノート 第50期
ヨルダンの街を歩いていると直ぐに分かることだが、道路沿いのいたるところにゴミ箱が置いてある。 銀色で、蓋が無く、口が空いたゴミ箱。おおよそ縦50 ㎝、横120 cm、高さ100 cm。脚が2つ。一カ所に3~6個がまとまって置かれている。 近隣の家庭やスーパーから出たゴミがこのゴミ箱に捨てられてくる。ヨルダンではゴミの分別回収はまだ普及していない。生ごみ、プラごみ、金属ごみ、すべてまとめて捨…
当番ノート 第50期
妹がいる。 1人でものごとを決めてしまい、自分勝手でわがままで、でも実は人情深い。 2つしか離れていないためか、ライバルのように意地を張り合った幼少時代だったので、お互いにあまり優しくなかったし、疎ましく思っていたこともあった。 妹とは似ていないと思っていたし、似ていると言われるのは、たぶんお互いに嫌だった。でもユニクロのカーディガンやプチプラのアイシャドウ、読んでいる詩集など、生活の端々のものが…
当番ノート 第50期
「突然すみません、台中の珈琲フェスティバルに出ませんか?」 アンドサタデーを始めて半年ほどのある日、一通のメッセージが海の向こうから届いた。 これは新手の詐欺だ。そうに違いない。 なぜって、当時メディアにも出た事はなかったし、錚々たる日本の珈琲店を差し置いて、海の街の小さな珈琲店に声が掛かることなんてないはずだから。 逗子の街でもまだまだ知られてないのに、どうして台湾の人が知ってくれているのか。 …
当番ノート 第50期
写真の話をしよう。 モノクロは撮った瞬間から死んでいる。というのは荒木経惟の言葉だったろうか。それは違う言い方をすれば時を持たないもの。また別の言い方をすれば永遠を持つということだ。物理的には多少違うところもあるが、認識のレベルではモノクロは色あせることなく「ずっと同じで、変わらずここにいる」ことが担保されている。一方でカラーは絶対的に生であり時間を持つ。それは物理的にプリントされた写真は時間と太…
当番ノート 第50期
名付けについて考える。 かつていくつかの名前を持っていた。 名前は、コートネームと言って、部活のコミュニティ内だけで通用するものだった。部活が始まった初期の頃からのもので、代々引き継がれてもう何十年と続いている制度らしい。2つ上の先輩が名付け親になる。 名前をもらい、帰宅後「〇〇という名前になったよ」と家族に報告する時は変な心地だった。 体育館の舞台上に新入生が30人集まって、名前の候補のレジュメ…
当番ノート 第50期
メッカへの巡礼から帰国した同僚の机の上に、見慣れない木の枝が置いてあった。 長さは10センチより少し長い程度。太さは5ミリくらいだろうか。木の枝であることは分かったのだが、そこから先が分からない。そこへ同僚がやってきて自慢げに話す。 「ラミ、これは歯ブラシだ。しかも歯磨き粉が必要無い。」 この木の枝でどこをどう磨くというのだろうか。納得していない私の表情を察したのか、カッターナイフ…
当番ノート 第50期
アパートメントで文章を書くことを通じて、一人の死によってさまざまな人や物事と出会い直していたことに気づく。 亡くなったのは一人なのに、自分に見えていた世界のあちこちの形が、否応なく変えられていく。 — 父に花嫁姿も孫の顔も見せられなかった、というに対して、悲壮感にかられるかと思いきや、案外そんなことはない。 男兄弟がいない長女のためか、小さいときから家を継ぐように度々言われてきた。婿を…
当番ノート 第50期
「やぁやぁ」 今日も自転車を走らせながら、珈琲店の前をやっちゃんが駆け抜けていく。 すぐ近くにある魚勝という歴史ある料亭で働く、妖精みたいなおじいちゃん。 通り過ぎるときに必ず手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのがお約束の日課だ。 やっちゃんはこの街の守り神のような存在で、毎日のように自転車で街中をぐるぐる走り回っている。 おそらくは仕事で駆け回っているのだが、自転車のカゴはいつも空だし、…