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do farmers in the dark(26)

Do farmers in the dark

早朝4時5時にて、私は布団に横たわる僕の体を放置、凄くつまらないコンテナ空間を散策。そして急に私は私の心臓の気配がしない事にひどくテンパる。
(たまたま4時5時に起きたまま就寝し、体が正常に血圧を下げているか正常に血圧を乱高下させている時間帯に、たまたまそれを知覚できる意識の状態だったんだ。朝7時になれば本当にいつもどおり。元気いっぱい。)

こんばんは。今回も何かの嫌がらせみたいな文章を書いてしまったので、すみません。ネチネチしているし、真面目な人が書いたみたいな文章になってしまい申し訳ないです。ではよろしくお願いします!

※クソ、だとか汚い表現がたくさん含まれています。

※文中の「私」はノンフィクションですが、私以外の登場人物などは全員フィクションです。

私は勤務先のお昼休憩に食堂にて、水族館の亀の水槽の味のするラーメンを食べていた。

思えば子供のころも、お父ちゃん、お母ちゃんに連れて行ってもらった水族館で、水族館の亀の味のするチャーシューを食べたなあ。チャーシュー麺だった。油の虹色の光沢は今でも覚えている。その虹色は絶妙に食欲を削ぐ視覚効果を持つ特殊な虹色でとても綺麗だったよ。

窓の外には水色のツルツルの床の上に、亀が2、3匹いてまさにそのチャーシューは亀の肉では?と子供の私は思っていた。あと、あの床はツルツルじゃなくてヌメヌメ、それともところどころザラついて亀の肌は激しく擦れていたのだったか。

懐かしい昔、とにかく過去が恋しい。過去が酷く恋しい。昨日ですら恋しい。数時間前ですら恋しい。夜寝る前、本日私に降り注いだ真昼間の陽光、青空のことを思うと切なくて胸が締め付けられるようだ。夜に真昼間を思い浮かべる。胸が張り裂けそうだ。真昼間はもう過ぎてしまった。

未来なんかどうとでもなる。これから手に入るんだ。いつも最高に決まっている。私は私の未来予知、占いがかなり正確に出来るんだよ。タバコが手に入る限り日中1時間か2時間おきにタバコを吸うだろう。私にフィットする健康的なサイクルだ。タバコが手に入らない場合は?歯が凄く痛みだし、今まで負荷の少ない方法で隠されていた身体と心の不調が一度に表面化するだろう。歯だけではなく全身が痛みだし皮膚や骨が裏返り爆発するかもしれない。そしていずれにしろ、そのように爆発してなかった場合は夜21時から午前4時までのどこかの時間で就寝するだろう。

でも過去はもう手に入らない。絶対無理だ。原子レベルで万物を、来た道を辿らせるように動かさないと無理だ。でも原子レベルで万物の動きを記録、保存している者がいないから無理だ。万が一この世界の管理者がいてデータを保存していて管理者とコンタクトが取れるのであれば可能かもしれない。時間概念とは結局のところ物体の動きの対比の測定値だからこのような方法以外に戻しようが無い。それか情報処理能力がものすごいコンピュータで万物を把握し万物の座標を推論し、それらを記録して夢を見るように脳に現実であるかのように見せるか。その場合身体の自由のきかない自分を体験するか、もしくは身体の自由の効く霊的な自分から過去の自分を見るか、コンピューターの計算能力がかなり高ければ身体の自由の効く過去の自分そのものになり、その時起きなかったイベントを表現できるかもしれない。いずれにしろ夢を見るレベルの情報処理能力では無理なので、コンピューターを脳に接続するタイプのやり方ではなく、脳が別のデバイスに置き換わっているだろう。その頃には人間の現状でも流行や環境に左右される倫理観らしきものは既に死んでいて肉体的にも死んでいると思うよ。とにかくテクノロジーの進歩とは結局のところ精神が動物だからやる事だ。だって精神が動物的で無いのであれば、発展など不要と考えるだろう。ただ石であれば良いはずた。

とにかくそんなこんなで、現状では過去は脳の中の劣化しまくった低解像度の圧縮データに入っているだけだよ。または単にテキストデータにされて、呼び出しした際適当な画像を、適当な感情をくっつけられている。

だから過去が本当に恋しい。

せっかくこの世に生まれたのに、蝶は簡素なくせに醜く、明らかに反対方向に飛んでおり、僕は硬いゴムのおくるみを装着されて身動きがとれず、旧世代のお婆は硬そうで変にカクついているし、次世代のお母ちゃんは粒子になって大気中に身を隠しており、父親はこの場に居ないばかりか僕が生まれる何年も前から実際存在しておらず、とにかく辛いけどはやくやたらと防御力の高いこのゴムのおくるみを外せるよう元気に頑張りたい

女の子と遊園地に行く事

その時私はおそらく中学1年生で、女の子と遊園地に行く約束をしていた。女の子と、もう1人の女の子と、男の子と私の合計4人で遊園地に行く。

こんな事は生まれて初めてだ。まさか女の子と遊園地に行けるなんて!晴天で、赤い電車に乗ってモノレールに乗り、かの有名なモンキーパークという遊園地に行ったんだよ。

電車の中から墓地が見えた。青空に墓石がすごく映える。

モンキーパークは遊園地だからジェットコースターや観覧車があるが、同時に猿がいるんだ。猿の公園なんだ。

私は何度かモンキーパークに行ったがどうしてなのか一度も猿を真剣に見なかった気がする。いつも猿の頭数が少なすぎると思っていた。檻の中に少々の猿がいるのを見ても楽しく無かった。

さすがに一度くらいは猿を見たと思う。確かに数度見ただろう何匹かの猿の顔が思い出せない…

猿の顔はとりとめがなくて私にそっくりで…

とにかくそんなモンキーパークに男女合計4人で行く。すごくすごく嬉しかった。やるべき事をやっている気がしたんだ。

そんな最高な日なのに、私はヘソから何かの汁が出ており、すごくヘソが痛く、ヘソの周囲、腹部、内腹部がめちゃくちゃ痛かった。

なんとか痛みに耐えて、女の子と男友だちとジェットコースターに乗ったり、観覧車に乗ったりして楽しそうに遊んだ。しかしヘソが勘弁して欲しいくらいに痛かった。ジェットコースターの重力圧に対抗して、ふっきん(腹筋)を使う事により、さらにヘソは痛くなり、もう一生回復困難ではと思われるほど痛みは強くなっていた。

僕はその日何度か、女の子にヘソがすごい痛いし、汁が出ているんだ。と言っていた。包帯を巻いているんだ、昨日から汁が出ているからだよ、と言った。

女の子は、都度

「大丈夫?病院は行ったの?」

「大丈夫?病気行った方がいいよ」

と言ってくれた。すごくいい女の子だ。

僕は、

「ウン。すごく痛くて汁はすごい臭うけど、全然平気。そういえば病院は行ってないな。明日行こうかな。ただ、とにかく痛いネ」

と都度言ってた。

口まわりに静脈付き臭気のアクセサリーを着けて、朝顔とトゲトゲ肝臓ふうの服を着た、お洒落な3人

幻の遊園地

幻の遊園地、幼い頃お盆の親戚の集まりで、親戚がなんとなしに話していた、最近遊園地に行ったんだけどねえ、ちょっと可笑しくてと言う話。一度聞いたその遊園地に、どうしても行ってみたかったけど結局のところ叶わなかった。

そこはクソみたいに小さく、クソみたいにオンボロのゴンドラがあり(多分ゴンドラが走る距離が短すぎる事、2メートルとかそのくらい、あとそのゴンドラが手動で腐った木製である事からクソみたいなゴンドラとされる)、クソみたいに雑草が生えており、クソみたいな柵があり、なんと、たった一頭の元気の無い牛がいる遊園地だそうだ。おじさんが1人でやってる。アトラクションはゴンドラのみだ。親戚は「クソみたいな」などとは言って無かったが、親戚の話からクソという言葉が大好きな少年、つまり今でも、むしろ少年の頃よりクソという言葉が大好きで春夏秋冬季節を重ねるごとにどんどんクソに肯定的になっていく私は、その遊園地がクソだという事で了解した。きっと芝生の下の土は季節問わずぬかるんでいるだろう。常に天気は大雨の予感に満ち溢れつつも決して雨が降ることは無い永遠の暗い暗い曇天だろう。

そこは遊園地なのか?あまりに素晴らしい遊園地なんだ。

そこに行った親戚の子供は意外にもよく楽しんだようだ。おじさんも良い人で。実際めちゃくちゃ楽しいと思うよ。実際。

そういえば以前夜行バスに乗った時に15分程度の、電話の向こう方との会話の中でなんと100回以上も(体感だけど)「実際」「やっぱジッサイさ~」「じっさいに」と、実際と言う言葉を会話中に入れ込みまくっている男がいた。凄まじかったよ。実際。彼はこのように必ず倒置法にて文末に「実際 ジッサイ」という言葉を使用していた。さらに文の頭にも使ってた気がする。それはもうほんと実際に、実際のところ本当に凄かったんだよ。実際。こんな具合で。ほんとスゲェや。その時は心底その男のトークに感動したよ。こんなにも「実際」をトークの中に入れ込めるなんて。そして驚いた事に文中で1番強調され強く発音されながらも気だるいニュアンスを含有する「ジッサイ」の発声方法で発声されていた。

とにかく関係ない事言ってしまったけど、こんなワクワクする遊園地があるだろうか。かなり滑稽で郷愁的な気分に浸れる事間違い無い。おじさんが1人でやってる。実際のところ一人でクソみたいな遊園地をオープンさせるなんて普通できない。きっと徳の高いお方なんだろう。並大抵の徳では無い。何故ならばこのおじさん以外の決して少なくない一部のありふれたごく普通の集団は本来クソなものを素直にクソとして表現できず、クソなのにクソを否定し、あろう事がクソを綺麗にパッケージングしクソはクソで無いと、あり得ない言い訳の限りを尽くし、捻れ曲がったクソの感性で販売したり、そこまではいいのだけどさらにあろう事かそれを集団、または集団の中の1人として売り込みすらする事が多々あるからだ。

とにかくクソと言いたかっただけなのだけど、おじさんたった一人で遊園地をやるのは冷静に考えたら普通にすごい。

神がおられるのであれば、このおじさんと、もう一人できれば私の奥さんにどうかリアルゴールド製のダイヤモンドな、全体的にはブロンズでセルロースな、マグネティックの、単に湿気ったせんべえ、または濡れせんべえを湿気らせたみたいな、世にも珍しいメダルを差し上げて欲しい。あと私も今からそれを受賞できるよう賞レースに参加したい。

おじさんに近づくんだ。それかいつも近所の人から嘲笑を受けていた、ニコニコしながら誰の意見も聞かず我流で人力でやたら自分の為だけの田植えをするもう一人の記憶の中のおじさん…またはまた別のただ一人で日本刀を振るキャンディーをいつもくれるあのおじさん…

そういった幼い頃のおじさん、偉人達に近づくんだ。実際の人となりを知らない幻想の中の偉人たち…

また関係ない事言ってしまったけど、とにかくその遊園地に行ってみたかったけど私はどこにあるのか聞けなかった。子供の頃から話に参加する事が苦手だったからだ。機会を逃した。

その後1年に1、2度ほど、あの遊園地は今もあるんだろうかなあ、無いだろうなあ、行ってみたいなあ、考えるだけで心が踊り出しそうだなあ、と思っていたけど、ついに行けなかった。

親にあの遊園地の事を聞くと、それはどこの事だろう?という感じでよく知らない様子だった。親戚にも電話出来なかった。恥ずかしいからだ。その遊園地をとても気にしている事が恥ずかしい。

よういちくんは、あのナイーブなポンコツ野郎のよういちくんは今現在、ナイーブでポンコツ野郎である事と同時に、何か頭が異常事態かな?思われるに違いない。

だから私(ナイーブなポンコツ野郎のよういちくん)は、そこに行けず、ただただ年に数度その事を思い出す事しか出来なかったんだよ。

何年も何年もずっと、浮かぶ雲を見上げながら、背中にコブがついた女性の親指をただ吸っていたんだ

道に迷う

駅を降りる。初めて行く目的地を携帯のGoogleメァ~ッップに打ち込む。

携帯は発熱する。

私があまりにも早く画面を縦横斜めにスクロールするからだ。

つまり駅に降りて改札を出た時すでに、道に迷っていると言う事だ。

猿のようにスマフォンを焦点の合わない開ききった目でスクロールしているよ。

しかしある意味道に迷うのは駅を出た最初のタイミングだけだ。最初で最後の難関なんだ。ここがどこで、私がどの方向を向いているのか分からない。

あとグーグルメァ~プの、平面地図以外の機能、なんか線が出たりカーナビみたいに言ってくれるような、道をガイドしてくれる機能は使った事が無い。その他の機能も。テクニカル過ぎるし、出来る限りガイドされたくはないんだよ。導かれたくない。教えられたくない。何事も私は私に導かれたい、私に教わりたい、私に怒られたい、私に幸せにしてもらいたい。私に助けられたい。

ただし、とはいえ、実際には誰かと出かけた時、道をガイドしてくれる機能を使いこなせる友人知人に導かれているよ。そんな時はまた導かれてしまった自分は目に涙がうっすら滲んでいる。結局私はいつでもどこでもまるで羊のよう。余計な事を言って事を混乱させたく無い。私は口だけ野郎では無く、もっとひどい。口無しの不毛なる脳だけ野郎だ。

色々言ったけどつまり、

Googleマップの何か便利な機能のやり方が分からないだけだ。恐らく指を数度、もしくは1、2回動かすだけなのに、チャレンジする脳パゥワァ~、つまり言い換えればそれはまさに、まごころが無いんだね。

あとは気位が高すぎるだけなんだな。すげえどんくさいやつに限ってすげえ気位が高い。あとすげえ滑舌が悪い。思えばあたりまえの、当然の原理だよ。高すぎる気位を持つやつは一生何もしようとしないんだから。発声方法も無論疎かだろう。勘弁してくれとみなさん思っている事だろう。本当にごめん。

だからよく眠る事、または夜寝る時あえて金縛りになる事以外は何も身についてないよ。

とにかく道に迷う。とにかくGoogleマップを使用する。とにかく携帯が熱を帯びる。とにかく至るところにセブンイレブンとファミリーマートがある事に気づき、ミニストップを見ると本当に嬉しくてついハロハロを満面の歪んだ笑みで食べているんだよ。場合によってはXポテトも購入しています。

そしてハロハロは本当に素晴らしいものに間違いないし、とても美味しいのだけど、食べ終わってみるとなんだこんなものか。といつも思うな。

おしゃぶりを咥えさせられ、キラキラエフェクトのリボンをつけられている僧。何で何も言わないんだろう?今すぐそれらを外して、様々な秘術を教えて欲しい
木澤 洋一

木澤 洋一

ふと思いついた事や気持ちいい事や、昼間に倒れてしまいたいような気持ちを絵にしています。

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