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Do farmers in the dark(27)

Do farmers in the dark

ケーブルがちぎれた

今回もただどうしようもない日記を書いてしまっています。ほんとにすみません。ではよろしくお願いします!

日記

ああ、何が重要か分からない。それについて詳しく説明すると、つまり全てが重要だし同時に全てがどうでも良いという悲惨な状態だ。だから年中、実に何の成果も上げてないが実に多忙だよ。

主にやっている事と言えば白米か雑穀米の味を噛み締める事、その後タバコの煙の味を噛み締める事だ。その2つはかけがえのない事で、どちらも生活の基盤となることでありながら、とてもスウィーティーでほっこりする体験で、やはり重要だった。

とにかく…今日は知人の展覧会を見に行こうと思い、ひたすらに娘と2人で展覧会に出かけたかった。妻がお疲れで風邪気味だったからだ。

娘に一緒に行こうと軽く誘うと、きっぱりと行かないと言われ断られた。当然だろう。私が子供だったら私と出かけたくない。私との会話が退屈だからだ。あと絶対に行き先がディズニーリゾートホテルではないからだ。

私は禁じ手を使った。

「もし一緒に行ってくれたらウルトラマンの人形を買ってあげよう。とにかく一緒に行きたいよ。」

と言ったんだよ。

娘は、じゃあ行きたいな!本当に、本当〜に父ちゃんはウルトラマンを買ってくれるの?と言ってくれた。

私はそうだよ!と言った。

ひどい禁じ手を使ってしまった…。何かをしてもらうための対価を用意するのは、薄い心理学本的には非常に、非常にNGな行動だ。薄い心理学本的には対価は人を無気力にさせる要因の1つらしい。私はその薄い心理学本をかなり支持している。つまり私の観念の中では娘を無気力な人間に一歩近づけてしまったという事だ。

しかし気力がありすぎてもそれはそれで危険な場合もある。多少は無気力でもいいかもしれないし、良くないかも知れない。でもやっぱりぼちぼち元気な方がいいよね。

とにかく言える事といえば、私と一緒に出かけるという行為は何か報酬が無いと出来ないような、それ自体は嫌なイベントという印象を今回の件で表層意識と深層意識に今後残してしまうに違いないという事だ。ただとにかく一緒に外に出たかったんだよ。あくまで自分の都合により。そうでなければつべこべ言わずに娘が心の底から喜ぶようなイベントを用意すればいい話だ。それか娘が大好きなおままごとを全力で1日やればいいだけだ。

なんでそれが出来ないんだろう?

娘が大好きだ。そして妻は体調が良くない。妻も大好きだ。特に妻の顔や全身の、ルックスが大好きだ。だから、どうしてなのか一刻も早く自分の都合で娘と仲良く外へ出かけたい。

そのような事を考えながら、私はウルトラマンだけだと対戦相手がいないから、怪獣も買わないとね!楽しみだ!さあ、着替えましょうぜ!と言っていた。

娘は喜んでいた。一緒に外出できる事になって良かった。

ただ毎週放映されているウルトラマンについて、どうしても言いたいことがある。やたらとかっこ悪いごちゃごちゃしたオモチャみたいな組み替え式の変身道具や武器を作中に決して出すな、今後そのような物を創造する発想を絶対に持つな、ということだ。

やって良い事と悪いあるだろう。これは絶対にやって悪い事だ。

難癖をつけて良い事と悪い事がある。通常、人の創作物の意匠についてあれこれパブリックな場で難癖をつけるのは畜生のやる事だが、これは難癖をつけて良い内容だ。

変身道具が1つならいい。変身道具や武器は複数をジョイントさせるんだ。

ヒドいぜ。だってそのかっこよくないジョイント式のオモチャを決して安くない値段で何パターンか販売するんだろう。安かったらそれはそれで問題かもしれないが安くないのも大問題だ、それを訳もわからず子供が欲しくなってしまうではないか。そして当然親はそんな商品買ってあげないだろう。と思いつつも、たった今2分前くらいここに今アパートメントに文字を打ち込む段階では私は娘にクリスマスにそのジョイント式の変身武器を買う約束をしてしまっていた。うぅ〜ここまで罵った商品を買う約束するだなんて。良くない事だ。頭が混乱して来た。でもクリスマスなら、クリスマスなら…サンタさんに頼むんだもの…クリスマスは一度きりなんだもの…

とんだ醜態をさらしたが、とにかく本当に賢い親であればテレビ捨てるか売るか棍棒で割るだろう。私は賢くないのでテレビを手放さなかった。

それどころかしばしばテレビの子供番組に子守をさせてしまっていた。そして私自身、テレビ業界で働く人々、またはキャスターや芸能人の日々の業務にいつも付き合っていた。

そして今日もウルトラマンの人形を買ってあげようなどと言っていたんだ。

着替えも終わり、おのおのトイレに行って家を出た。

今日は快晴で、10月にしては寒かった。なるべく暖かい格好に着替えて、娘と手を繋いで駅まで歩いた。

途中に小さな神社があり、娘は神社に参りたいと言った。妻が神社が好きなので、娘も神社が好きになった。

なぜか私がここ何年かで行く神社は、お賽銭を入れる箇所がどこも複数あった。私はそれが大変辛かった。小銭が減ってしまうからだ。

この神社も小さいのに3つもお賽銭を投げ込む箇所があり、それぞれに違う何かが祀られている様子だ。娘と一緒に神社に行く場合、賽銭を入れる場所が3つあると×2で6枚も小銭が必要になる。それが本当に悲しかった。しかし本日は運良く1円や5円を割と持っていて助かったよ。

娘は上手に規定回数手を叩き、お辞儀をし参っていた。私も規定回数は知っていたが、うまくできた試しが無かった。ちゃんと回数どおり、順序どおりやろうとしたその瞬間、全身全霊でどうでも良くなってしまいどうしてもできない。それについて何らかの脳機能の障害だと言ってくれる医者もいるだろうし、ただ真心が足りないだけだな、敬意を払い集中すれば大丈夫と言ってくれる賢い先輩もいるだろう。次回は規定回数を規定の順番でこなしたい。

そして3つ全ての賽銭箱にお参りし、いい神社だったね、と言って神社を出た。

娘は

「ねえ父ちゃん、この神社はどんな神様がいる神社なの?」

と私に聞いた。

私は、

「分からない。どんな神様がいるのか父ちゃんも全然分からなかった。漢字も読めなかったし、説明書きもあったかもしれないけど読んでない。」

と言った。

娘は

「そうなんだね。」

と言った。

今思えば娘に正直に、賽銭箱がたくさんあると小銭がたくさん必要だから神社に入るのがちょっとどころではなく大変に辛いという事を打ち明けたら良かった。

駅に着き、電車に乗った。娘と一緒に電車に乗るのは相当に楽しかった。電車の中ではウルトラマンの本を開いて、先ほどジョイント式の変身道具を非難しまくったウルトラマンについてのお互いの知識を披露しあっていた。

新宿に着いた。乗り換えだ。しばらくしてこれから乗る電車が来たが、相当に混んでいた。

娘は人混みを見て曇った顔をしていた。少し疲れたのか抱っこをして欲しいと言った。

その電車に乗ると、目的地まで30分40分くらいはかかる。娘は楽しくなさそうにしており、私も長時間抱っこするのは嫌だったので、娘にもう帰ろうか。と言った。

娘は、帰ってもいいの?と言った。帰ろうと言ってまた来た電車に乗り、来た時と同じようにウルトラマンの知識を披露しあった。実はウルトラマンの知識は正直お互いあまり無かったので、行きの電車で披露しあった知識を何度も繰り返し披露した。

私たちの住む街の駅にものの一瞬で帰ってきてしまった。なぜか少し空が曇っていた。私は娘に一服させて欲しいと言い、駅前の広場のベンチに娘を座ってもらい、そこから少し離れたガラスの仕切りのある喫煙所に入っていった。

私は一瞬、人道的にガラスの仕切りの外で、娘の近くでタバコを吸わないといけないような気がしたが、何故かその簡単な事ができずに、そのガラスの仕切りにわざわざ入ってタバコを吸っていた。

多分私は知らない間になんらかの呪いか催眠術をかけられてしまっているのだろう。催眠術を自覚しつつなかなか解けないとは、恐ろしい事もあるものだ。

私の場合はただただタバコが好きなので、ちゃんと広い私有地を持ってそこでタバコを好きに吸いまくるべきでありとにかく頑張り1人で気に入ったたばこ葉を買いまくりたばこ産業が衰退しないよう、気に入った銘柄が廃盤にならないようとにかく頑張るべきであり(既にあまりに良い銘柄が姿を消している)、さらにはタバコ農家の労働環境が非・人道的で悲惨であれば改善を試みるべきであり出来ればタバコ農家で働くべきであり業務に携わる吐き気や痙攣などの苦痛を受けるべきでありもしくは喫煙所をどうにか努力して作りまくるべきであり(でもそんな状態なら既に葉巻を吸っているのだろうか?)、それが出来ないので外出先でわざわざタバコを吸うなと言われたらグゥの音のみ出るありさまで、場合によっては硬い拳骨をくらってホゲェェ!と地面に這いつくばるだろうから催眠術うんぬん言う立場には無いが、どうしても言いたいのが人々の損失回避の心理を利用した催眠術はとても強力だという事だ。催眠術を解こうとすると実際に損失が出てしまうか損失が出るように強く感じられるため催眠状態に気づいても解く事が出来ない。周りの人間が催眠術にかけられているのであれば催眠術から自分だけ解ける事は信用=利益=生存において明確に予見されるリスクになる。とりあえずまず目の前にあらわれる損失を回避したいという心理が催眠術を強固にさせる。催眠術にかかったフリをする人間も多数現れるし、本当にかかっているか、フリをしているのか分からない人間も多数現れる。そして催眠術にかかった状態でなるべく楽しくやろうとするので、何かを真に語る事は無いし過去を振り返る事も無く、催眠外の行動をするものは無視するだけで済めばよいのだがあろう事か過剰に虐めたがる。ノリが悪いあらゆる方向に真に心配性な人間はどうしたらいいんだろう。とにかく催眠術にかけられている事に気づいた時、人はまあそう堅苦しく考えなさんなと自分に言い聞かせるか、同様に他の人にまあ、そう堅苦しく考えなさんなとアドバイスする。または催眠どうこうは知らんがお前さんのやるべき事は他にあるとアドバイスする。

催眠についてとにかく思うのは、自分で自分に催眠をかけるのはまあ良いが、仲良くも無い何かに催眠をかけられるのはたまったものでは無いという事、または仲良くも無い何かに催眠をかれられた仲良しに催眠をかけられるのはもっとたまったものでは無いという事だ。

そしてもし損失回避の心理を含む催眠にかかり続けた場合、その損失回避の連続の先は、自分の体ほどしか無い狭い部屋で呼吸のためになんとか小さな窓から出した顔にゆっくりと大量の砂が迫ってくるのが見えるという狭く苦しい箱か穴、または箱であり穴だろう。そこに詰まる。1番多数に到達できる集団または個人またはその複合体がこの催眠術を平和目的以外にも使えるかもしれないのがすごく怖い。

お前さんのやるべき事は他にあると優しい先輩が言う。確かにそうだね。その事を考えつつなるべく自分の範囲の事をやる事にするよ。とにかくたった今のところは、私みたいなのが生活できている世の中である事は間違い無い。

娘の姿を喫煙所のガラス越しに眺める。

そういえば娘の近くでおじいさんになりかけのおじさんが大きな声でポップスを歌っていた。歌を歌うような綺麗な声ではなく、何というかただでかい声で歌を歌っている。ただでかい声を出す為に、リズミカルに体を揺らしている。それはすごい事だ。なかなか人前で、ただ声を張り上げただけの歌は歌えない。私は引っ込み思案なので、そのような人に憧れる。

おじさんは何か娘に話しかけていた。次の瞬間、ただでかい声で踊るぽんぽこりんを歌ってくれていた。きっと娘の年齢に合わせた歌を歌ってくれたんだろう。なんというありがたいおじさんだろう。一服を終えて娘のところに行き、おじさんにお礼を言った。しかし私は人のタイミングお構いなしで礼を言う癖があり、おじさんは歌っている途中だったので、おじさんは私と目を合わせ歌の息継ぎの瞬間少し頷く事しか出来なかった。

そしてすぐまたリズミカルに揺れ大きな声でポップスを歌い出していた。

また神社と同じ失敗をしている。真心が足りなかったんだ。おじさんのリズムを止めてしまった。そしてその歌を最後まで聴く事は無く、早々に場を離れた。大きな声で上手じゃない歌を歌うのを聴く事はなかなか出来ない偶然の体験だが、なぜか最後まで聴くのが適当では無いと思われたんだ。いつの間にかそういう催眠にかかっているのかもしれない。

お腹が減っていたので娘と一緒にマクドナルドに行った。娘はハッピーセットを頼んだ。私はチーズ月見バーガーを頼んだ。

娘がマクドナルドに来るのはこれで3回目で、なかなか来れないマクドナルドにかなりテンションが上がっていた。ハッピーセットにはおもちゃがついている。期待に胸を膨らまして、娘はモニターに映る番号をしきりに見ていた。なぜだか娘が熱心にモニターを見るその光景は人によってはすごく悲しい光景に見えるかもしれないと思った。少なくとも私は何かすごく悲しかった。そして私自身もチーズ月見バーガーを待ち望んで熱心にモニターを見た。

その後待望のハッピーセットと待望の月見バーガーを受け取り、娘がここがいいんじゃない?と言った席に向かいあわせで座った。

隣にはおじさんが1人で座っていた。新聞を広げている。私達が隣に来た事で、少し居心地が悪そうに感じている様子だ。違うかもしれないが私がおじさんならそう思う。心理的スペースが狭くなるのは嫌だ。

娘はハッピーセットのおもちゃを開け始めた。上等なサメのおもちゃだった。サメの歯を2人で交互に押していき当たりを押してしまうとサメが指にかぶりつくおもちゃだった。娘はすごい喜んでおり、ひとしきり2人で笑っていたと思ったら娘はその後前傾姿勢でハンバーガーに全力でかぶりつき凄い勢いで食べていた。

そうこうしている間に隣のおじさんは靴を脱ぎ、向かいの椅子に足を乗せて新聞を広げ出来る限り寛いでいた。

それに娘が気づいた。指を差し、足を椅子に乗せている事に対してあれ見て、あれはダメダヨネ〜と言ってしまっていた。が私は娘がそれを言い終わる前に今かかってる曲父ちゃん大好きだよと言って、娘が足を乗せる事を咎めた事をおじさんに悟られないようにした。娘もおじさんに分かりづらいようには言ってくれていて助かった。かかっている曲は純朴そうに見える中年の外国人女性が歌っている歌だった。たしかにその曲が私は好きだった。

おじさんに聞こえなくて良かった。聞こえて無かったと思う。靴を脱いで椅子に足を乗せるのは確かに褒められたことでは無いが、子供に言われた時どう対応するか?とりあえず深い悲しみ、やるせなさを感じるだろう。その後聞こえてないフリをするかもしれない。またはフレンドリーに話しかけてくれるかもしれない。後は感情の誤作動を起こす場合もある。悲しい時に悲しい感情ができず、困った時に困った感情ができず、怒りの感情に変換されて何故か目の前の人に攻撃的態度をとってしまう事はしばしばある。こりゃ失礼、えらいすんませんな、と言う確率が高いと思うが、予想がつかない。マフィアかマフィア相当な人物である可能性も万が一うっすらあるし、その関係者な可能性はもう少しある。

とにかく相手が異常に優しいおじさんだとしても、私は娘と一緒におじさんの足を咎める事は絶対に出来なかった。椅子への足乗せに対しては私は特に強い思いが無かったため、何か言うのはただの嫌がらせになってしまう。

マナーに関しては言いたく無い。私自身にマナーが無いからだ。何か言うのであれば靴下の雑菌的観点、雑菌の実害について意見しなくてはならないが、靴下の雑菌について語れる事は何も無いうえに、経験上靴下の雑菌はそれが何個であろうと多かろうが少なかろうがその数値が明らかにされようがされまいが全く実害がないと思っていた。なぜなら共同生活においてすらスリッパで生活した事は無いし、靴下の雑菌で身体にダメージを負った事が無いからだ。経験上何も問題が無いのに対処したり咎めたりする必要は全く無い。そして何よりも私自身と、私と娘のコンビネーションがそのおじさんよりは不衛生である可能性が高かった。言い方を変えれば私と娘は清潔だが、そのおじさんは1人であるが故に私たちよりもちょっぴり清潔である可能性が高いという事だった。

そして無事にポテトを楽しく食べ終わり、ゴミを捨てて帰った。ゴミの分別はいつも私を苦しませる。簡単に思えるがやはり難しすぎるんだ。どうにか分別どおりにやりマクドナルドを後にした。

そして近くにあるデパートに寄り、ウルトラマンと怪獣の人形を買って帰宅した。

親指立てる

ビル

私は何年も何年も割と背の高いビルに勤務している。

何年も勤めてひたすらに思うのが、ビルは硬そうだし、実際にすごく硬いという事だ。

空っぽの状態でたった1人で上空から地面に落ちる際に、ニコニコしながら途中でビルのへり(縁・ふち)にぶつからないといいなと思う心境について

娘との喧嘩

娘とはわりと、喧嘩する。

ある日もささいなことで言い争いになり、娘は突然、

「父ちゃんは0だ!」

と言った。

私は怒りのあまりトチ狂った表情で父ちゃんの一体何が0なんだぁぁぁぁ?

と聞き返した。

娘は、父ちゃんはあれもこれもぜ〜んぶ0だ!と

と言った。母ちゃんは100ダヨ。と言った。

この私が、この私が0なんて!!そして母ちゃんは100…!悔しい。

私は

「父ちゃんは1000だぁ!1000なんだよ!全部が1000!1000点満点だ!すごいんだよ!」

と必死に連呼していたが、実のところ私自身が私を0だと認めていた。いつもぐうたらしているからだ。あまりに長いことぐうたらしていたので、知能が弱くなっている事も薄々気づいていた。いつの間にか他の人全員が、あまりにも私より多くの事を考え、楽しみ、こなしているように見えるようになっていた。

その後なんだかんだで仲直りしたが、0という言葉はとても印象的だった。ちょうど何日か前に0の未来、というコミカルでシリアスで動きの無い映画を見ていたためだ。

その映画の中の0は0なのだと言う事を証明するために馬鹿みたいな、馬鹿みたいに神経質な在宅勤務をするリスクを恐れる過度に没個性的な主人公にとても自分が似ていたし、その主人公の言っている事がとても良く分かったからだ。

早く1000になりたい。1000でなくとも20くらいにはなりたい。

脇腹と頭頂部に向けてセットされる刃物のアップリケのスウェットを着た、複数の割れ面顔をスキーマスク風の顔に一体化させたままでまた明日に備えて就寝しようとする人。硬い壁にブドウがめり込む。

頑張れ旦那

今日は土曜日、あろう事か本日も家族で大型スーパーの西友に来てしまっていた。先週の休日も来た。先々週の休日も同じ場所にいた。3週連続で休日に同じ場所、つまり西友にいる。妻と娘と私の家族3人ニコニコ手をつないで。まじでヤバいぜ。

とにかく家族の3人のうち誰かがそこで買いたい物がある。メガネ屋も入っており、食料品日用品以外にも無印良品やユニクロ、おもちゃ、100均、誰かがどこかに用事がある。まじでヤバ過ぎるぜ。

妻はメガネ屋に用事があったようで、その間僕と娘は本屋に行った。

本屋に入り、ある家族が気になった。旦那、妻、娘さんとその弟さんの家族のようで、旦那は旦那の娘さんに本を買って欲しいとせがまれているようだ。私は聞き耳を立てた。

旦那は旦那の娘さんに、

「どうしてその本が欲しいと思うのか、分かる様に上手に説明できれば買ってあげよう。さあ説明してごらん」

と言っていた。旦那の娘さんは口籠もっていた。頭の良さそうな娘さんだった。でかいメガネをかけていたからだよ。何か言ってたと思うがよく聞き取れない。かわいそうに思えた。本当に心の底から欲しいものであれば、理由が無いか理由を説明するのに本能の領域まで足を踏み入れなければ説明出来ない。それは非常に難しく思えた。

旦那の妻は、何かイラついた表情に見えたが、実は就寝する時以外は常時その表情かもしれない、別にイラついてはないのかもしれないな、と思ったし、またはやっぱり常時心底イラついているのかもしれないと思った。

思うに旦那の言い方はとても理屈っぽくネチネチしていた。しかし僕自身は旦那サイドの人間なので、その旦那をすごく応援したくなった。心の中で、頑張れ!頑張れ旦那!旦那頑張れ!思いの限りの論理とネチネチ、その想いを全力でぶつけてやるんだ!

と思った。

その後も旦那は根気よく言い方を変えて同じ趣旨の事を旦那の娘に言っていた。すんごくネチネチしていた。なんか良い事言っている気はするんだ。なんか良くしたいと思っている気はするんだ。でもすんごくネチネチしていた。

思うにとにかく旦那の背格好がちゃんとしていた。白いベストのダウンを来ていた。良さそうな時計をしており、髪は刈り上げでかっこよく、筋肉もあり背も高く、強く逞しく頭も良い、しっかりした旦那なんだろうなあと思った。たぶん金のネックレスもしているだろう。逞しい男はほぼ、金のネックレスをしている。旦那の妻は化粧が少し濃いめだった気がする。とにかく旦那に相応しい妻だから美人といって差し支えないだろうが、少し疲れているように感じた。

娘がウルトラマンの本を見てみたいと言うので、その場を離れて児童向けの本が置いてあるコーナーに見に行った。

そして私の妻がメガネ屋から戻って来て、本屋を出る事にしたが、まだあの旦那一家は先程の場所にいた。

旦那はまだ何かネチネチ言っていた。多分最初に聞いたのと同じ趣旨の事を言っていた。旦那はもう自分が何を言っているかわからない様子でかなり劣勢だった。すごく気持ち分かるよ。

もう娘さんは旦那の方を向いておらず、旦那の妻は娘さんに、こっちの本もいいんじゃない?と提案していた。娘さんの弟さんは初めから好きな本をたくさん見て自由にしていた。

とにかく街で見かける旦那達の発する言葉が気になる。私もそんな旦那達の一員だからだ。みんな何かを自分なりに、あるいはただただ自分だけのためにどうにか何かをより良くしようとしているようだった。

草原で突起を探す日々、ずっと夕暮れ
木澤 洋一

木澤 洋一

ふと思いついた事や気持ちいい事や、昼間に倒れてしまいたいような気持ちを絵にしています。

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