本庄早稲田には人がいなかった。駅の光だけが煌煌としていて、無人の駅の中、こんなところに新幹線はこないだろうと思った。車をおりて、母を抱きしめたとき、老眼鏡を使い始めた母の目が潤むのをみた。わたしは舌を噛んで、必死に堪えたけれど、母の顔を直視できなかった。わたしはあまりに無口な娘だ。父や母が望むような言葉を、何一つ残さなかったし、希望も残さなかった。無口で、不透明で、不安定な娘を、彼らはどうにか助けたいと思っているのだろうけれど、漂流する娘を網にかけてまで縛り付けられないと、きっとどこかでわかっている。わたしの両親たちだって、結局のところ、わたしに気を遣っている。その点では、彼らもまた無口な人々だった。
新幹線の中で考えるのは、八年前に後にした田舎の町のこと。画質の悪い写真に映るのは、見慣れたマンゴーの木。祖父が木に括り付けた木箱には、家の裏手に群生するバナナが一本。野生の猿が現れて、そのバナナを食べて帰る。母は、写真のことを説明しながら、様々な近況を聞かせてくれた。聞きたい話も、聞きたくなかった話も。近しくて、果てしなく遠い親戚たちの存在は、二万キロもの隔たりのせいか、まるでおとぎ話のように聞こえるのに、胸の中に淀んだ渦が生じるのはなぜなんだろう。話す母の顔が不安をおび、父も、弟も、どうやって生き延びていくのかを考えている。ブラジルの社会は、八年前とはまったく別物になっていると母は言った。
自分たちの二十数年の歴史が、変わろうとしているのに、わたしはその実感がわかないまま、他人事のようにその事象を眺めている。そこにどう関わっていけばいいのか、どう関わりたいのかさえわからないまま、彼らの帰国を迎えることになるだろう。そのとき、わたしは何を思うんだろうか。後悔するのか、ほっと一息、安堵のため息を漏らすのか。ただ、一つだけ確かなのは、わたしが常に彼らの成功と、幸せを祈り続けているということ。父や母が幸せであり、弟が幸せであることが、わたしにとってはこの上ない至福だ。父がなんの不安もなく、眠れる日がくること。母が常に笑っていられる日がくること。弟が羽を伸ばして、彼らしく生きられる日がくること。それだけがわたしの本当の望みなのかもしれない。そのビジョンに、不思議と自分の姿がみえないのは、今でも生きてる実感がまったくないからなのかもしれない。相変わらず、わたしには明日以降の未来が見えないままでいる。それでも、祈り続けるしかない。
見慣れたマンゴーの木の横を通り、ジャスミン、プルメリア、ブーゲンビリア、マナカに、ピタンガの葉を揺らし、どどめの木、アボカドの背の高い木を越えて、低い山のてっぺんに建つ白壁の長屋へ、春には美しい黄色いイペの花を咲かす、愛するべき我が家へ、ようやく彼らが帰るときがきた。バナナの木、キャッサバの畑、刈っても刈っても伸び続ける野草の原、夕暮れどきの蜉蝣の羽の光、木の間に鳴り響くオオハシのくちばしの音、月明かりに照らされて、雲の影が風にのって流れてくる美しい夜を、嵐の激しい雷鳴に停電が続く夜を、彼らが全身全霊で楽しめますように。わたしの、この支離滅裂な祈りが、どうにか彼らのもとへと届いて、彼らをあらゆる邪気や羨望、妬みから守ってくれますように。たとえ言葉では何一つ伝えられなくても、この思いが彼らの足下を照らしますように。見えない腕で、彼らを抱きとめ、あらゆる困難から守ってくれますように。
母たちの帰国はもう目前だ。たとえ自分の未来がみえなくても、どこかを漂流し続けるとしても、母や父たちがわたしのために、緑に囲まれたまるで夢の中の理想郷のような田舎町から祈り続けていることを、忘れないようにしなくちゃいけない、と自分に言い聞かせる。そして、今夜も目をつぶって、祈り続ける。あの山道と、無数の花々と木々の香りを思い出しながら。風の感触を思い出しながら。母の潤んだ目を思い出しながら。