先々月のこの欄で、篠山への自転車行の話の最後に、日没直後の山裾の道の藍色の景色が夢幻的で美しかった、という話を書いた。
太陽が上にあるうちは空は青いが、日が傾いて太陽光線の入射する角度が低くなってくると、長く通過する空気中で青い光が拡散してしまい茜色の空になる(レイリー散乱*という理屈らしい)。そして日が没した後はその茜色が消えてまた濃紺の空になる。世の写真好きは夕方の青から茜への色の変移をマジックアワーなどというけれど(軽薄な名前だなぁ)、僕はその茜色が終わって濃紺になったその先の方が好きだ。
ところで写真の(光源の)色の話をするときに、色温度という尺度を使う。色なのになぜ「温度」なのかと奇妙だが、これは鉄を高熱に熱していったときの色の変化を基準としている。といわれてもなぜに熱した鉄の表面の色が色の尺度になるのか、という肝心のはじまりの部分がやはり釈然としないのだけれど。
知ってるつもりではあるが、ちょっと知識を整理しようと色温度のことを少し調べていたのだが、「色温度」で記事を検索すると、写真の色バランスとしての話よりも、絵(特にアニメやゲームの背景画)の入門編のような形でのページが多く目についた。
昔はカメラマンがポジフィルムで撮影するときに、その場の色温度とフィルムの許容する色温度がズレていると色再現が正しくなされないので、カメラマンは各種CCフィルター(色補正フィルター)で微調整しながら撮影したのだが、デジタルカメラを使うようになった今はフィルターなどなくてもカメラでホワイトバランスを設定できるようになっている。細かい色温度の知識がなくとも撮りながらいろいろ試したり、後から補正することも容易だ。
なのでまったく「色温度」の理屈を学ばなくとも写真は撮れるのだ。というか、オートホワイトバランスで撮ってる人が大半かもしれない。カメラのオートホワイトバランスはそこそこに賢く、癖のない色合いを出してはくる(余計なことながら、何事においても、そこそこに賢い、というのは概ねつまらないと同義であるが、それはさておき)。
というわけでアニメやゲームの背景画を描く人のための色温度の説明ページを読んでいたのだが、日向の光よりも日陰の光の方が青くなるので日陰にあるものは青を足して描けとか、曇天時も青みがかるので全体の色調を青に転ばせろとか、ものすごく説明が具体的なのだった。
たかがゲームの背景じゃないか、と軽んじてはいけない。ゲームに夢中になってる人は背景の日陰部分が青く描かれているとか、そんなに気にしてないかもしれないが、しかし気にされないからとそういう部分を手抜きした絵というのは、逆に理屈ではわからない違和感を残すのだろう。「自然な絵」というものを追求していけばこういったディテールの研究は欠かせないのだ。
余談だが、昔映画『タイタニック』を見たときに、港に係留された巨船タイタニック号がはじめて物語にその姿を見せた場面、もちろんCG合成で船は描かれるのだけれど、巨大な船として描かれている割には、水蒸気で遠景が白っぽく描写されるべきであるのにクリアに描かれすぎで、即座にCGとわかって白けてしまった。『タイタニック』のCGを担当するほどの人物がそんな理屈を知らないわけはなく、推測するに、遠景を白くぼやけさせるとリアルになりすぎてCGと気づかれない。気づかれなければCG職人として逆に称賛されない(だってCGと気づかれないのだから)というジレンマに陥り、やや白々しくも水蒸気の白霞を省略した、ということであると想像している。
何の話だったか。そうそう、ゲームやアニメの背景画に、写真以上に光のディテールの研究がなされているという話だった。写真はほっておいても光を表現できるとみな過信していて、さらにスマホ搭載のカメラは光学的法則を無視した「っぽい」というだけの(つまりは何かの模倣)フィルター効果に自己満足し、模倣元たる「光画」photographの存在を殺しかねない勢いだ。「っぽい」だけの写真って面白いのかなぁ。僕は面白くないんだがなぁ。
昔「写実」の役割を絵画から奪った写真が、過度な自動化によってまた絵画にそれを奪い返されてしまっているのだともいえる。
写実に戻れなんて言いたいのではないが、何だろう、そこまで何も知らずにやっていいのかな。楽しくてそれっぽければいいのか。あ、じじいの愚痴ですね、すまない。
話は戻って篠山の山裾を走っていたときの日没後の藍色の風景の話である。
茜色の夕日が落ちた後、また青に戻るのはどういう理屈だろう、と調べていたら、これがなかなかわかりやすい答えに巡り合わないのである。
わからないながらもいくつかの説明を総合して勘案するに、次のような理屈なのではないかと思われる。
レイリー散乱というのは太陽が低い位置にあるときに、高度が高いときよりも長く大気の中を通過するために色の散乱の具合が変化するのだが、直射光が射さない角度まで太陽が(地平線下に)隠れたあとは、ストロボで言うバウンス光のように、直射ではなく大気に反射した光だけがかすかに届く時間がある。その短い時間だけあの藍色の空になるらしい。直接大気中をやってくる光ではなく、裏から回り込んだ光の、大気中での反射が作る色なのだ。
マジックアワーという呼び方がなんだか軽薄だとさっき書いたけど、マジックアワーのあとの青い時間も、そのまんまでブルーモーメントという呼び方があるらしい。うーん、やっぱりそのまんますぎて面白くない。何かないのかな、もっと良い呼び方。
日本には逢魔が時という素敵な語があるけれど、日没前後の時間を指す言葉だが、残念ながらあの青の時間だけを特に指す言葉というわけではなさそうだ。
名前はさておき、なんせあの青の時間は、とても良い。
(2006年グループ展「OSAKASEVEN」より)