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3F/長期滞在者&more

ことりの人

長期滞在者

かなり前の話で、その人の顔も忘れかけているくらいなのだが、あるときうちの職場(写真館)に募集に応じて僕と同い年くらいの女性がやってきた。当時僕は四十代前半だったか。
何でも実家は京都でも有名な伝統工芸の町でその生産を業としており、ちゃんとは話さなかったが、どうやら家業が傾いて、そこの「お嬢」であった彼女も外に働きに出るしかなくなったらしかった。
そんな伝統工芸品であっても最近はデザインにフォトショップ等の画像ソフトを使うらしく、画像修整(レタッチ)スタッフとして入ってきたのだが、結論から言うと、フォトショップの扱いは超我流な上に、頑固で人の言うことを聞き入れない。年の若いスタッフにもっとこうしたほうが効率が良いとアドバイスされたらかえって依怙地になってしまって手がつけられないという風だった。
そういう「お嬢」気質が災いして職場で浮いてしまい、たしなめた社長にまで不貞腐れた態度をとったので、結局一週間ともたずに辞めていった。
誰とも口をきかず常時不機嫌だったが、年の近い僕には多少油断するところもあったのか、ぽつぽつとなんとか成立した会話の中から、家業のことなどを多少は知り得たわけである。

そんな彼女、誰とも口を利かずとも昼休憩はあるわけで、その休憩の間中ずっと手にしていた本があった。
墨一色、木版画で描かれた小鳥の図像集で、ぶ厚い本ではないし判型も小さいけれど、一冊まるまる、千差万別の小鳥の姿態が満載された本だった。誰とも話したくないから本に逃げていたにしても、それでも異様な集中力で毎日毎日それを眺めている。
日に日に結界を強固にしていく彼女だったが、僕はその本に日に日に興味が募るのである。何その本、面白そうやん。
いくらか家業の事情など聞き出して、その本について話題にできるまでの距離を毎日測っていたのだが、ある日意を決してそこに話題を振ってみた。
結果は大失敗であった。
今まで多少なりとも疎通していたものを、それ以降彼女は閉ざしてしまった。ああ、早かったかぁ。彼女は僕とも口をきかなくなり、翌日辞めていった。

そういう依怙地で奇矯な性格は興味深くすらあったのだが、なんせ短い付き合いだったしそれ以上踏み込むことに失敗してしまったし、すぐに日々の仕事に忙殺されて彼女の名前も忘れ、顔すらもう朧気にしか覚えていない。
しかしあの本である。今になって、あれが妙に気になる。彼女が異様なまでに没入していた、あの小鳥の図像集。手に入るものならじっくりと見てみたい。
小鳥、木彫、図像、などという単語で検索をかけても引っかかるものはない。古書店に行くたびに思い出しては探しても見るのだが、まだ似たようなものにも出会わない。あの伝統工芸の業界でのみ流通していた私家本か何かなのだろうか。後ろから覗き見した程度なので、本のデザインもあまり覚えていないが、緑色の表紙だった気がする。
家業に対する誇りとか愛惜とか未練とか、このエピソードの中に勝手に読み込むようなことはすまい。そうかもしれないし、全然関係ないかもしれない。
しかし頑固な性格で損をし、おそらくこれからも損をし続けるであろう彼女が、縋るように眺めていた本である。
興味を持つなといわれても無理だ。
また一心不乱に図像集を眺める不機嫌な人、というのが、妙な話ではあるが、なんかかっこよく感じたというのもある。多少軽薄な物言いを許してもらえるならば、「絵になった」のである。
もう少しだけタイミングをずらして、うまくその本について話せていたならば、と思う。彼女にとっては大きなお世話だったかもしれないが。

彼女が辞めるとき、最後に社長が老婆心から「そんなんじゃどこへ行っても誰ともうまくやっていけないぞ」と忠告すると、彼女は怒ったように「カマウチさんとはうまくやってた」と言い捨てて行ったそうだ。
え、もしかして惜しかったのか。もうちょいだったのか。ほんとに? そうだったの? 
嘘ぉ、わかりにくすぎますよ、ことりさん・・・(と呼ぶことにした)

元気にしてらっしゃるんですかね。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

勝手に今回は、世界を真っ二つにしたら十中八九"ことりさん"側の人間として、何となく代弁にはならないが
そのようなことを書いてみる。

人間のことが嫌いではないが得意ではない。面倒ごとは嫌なので極力恨まれたくはない。
でも愛想を振りまくのは性分として無理。
仲良くしてくれる人にはありがとうと心底思えども、なんでだろうと永遠にどこかで思っている。

「当たらず障らず、そうすればいいじゃない」と言えるそこのあなたは人間が不得意ではないのです。
なんたって、そうするためには至難の技が要る。当たらず障らず、そんな絶妙な加減ができるのであれば、そもそもこんなに不得意にはならないのです。
人間が不得意だから当たらず障らずができないのか、当たらず障らずが不得意であるが故に人間が不得意なのか、そのレベル。
そしてそれが頭でわかっていても、経験値をつめないわたしたちはその技を永遠に身につけることができない。

人と距離を縮めることは、たとえ嬉しくても、喜び半分ストレス半分。
仲良くしてくださるあなたではなく、自分側の問題である何かを噛み砕き、飲み込みながら、という時間が必要なのであります。
だからどうぞ、ご自分を責めないでくださいね。
でも、こんなわたしのことも、別に好かなくていいからどうにかこうにか怒らないでくださいませんか。

(ことりさん、全然違ったらごめんなさい)

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