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3F/長期滞在者&more

みずはいのちのみなもと 1

長期滞在者

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はじめにー
いつも、ひどく個人的なことばかり書いているけれど、今回はさらに個人的なことを書かせてください。他のことが考えられないくらい、7月は自分の体と向き合う時期だったので。それに、これ以外に書くことが思いつかないのと、これを書かずには次に進めないというか。他人の体調のことなんてどうでもいいと思うけれど、暖かい気持ちで読んでいただけたらと思います。

ことのはじまりー
実は、7月24日から29日までの間、検査のため入院していました。ゴールデンウィーク後から、突然体に起きた不調の原因をさぐるために。

ことのはじまりは、ゴールデンウィーク直前の週末、4月28日から30日にかけて、滋賀に戻ったときのことです。3月に生まれたばかりの、パートナーの姪っ子に会いに帰省しました。その帰りの新幹線の中で、急に喉が痛くなり、そのままなだれ込むように体調が悪くなっていきました。

ゴールデンウィーク中は、熱が上がったり下がったり、本調子ではなかったのですが、まぁ滋賀のほうが植物が多いし、山にいたわけだから花粉症のアレルギーが強くでたんだろう、とその程度の気持ちでした。すでにたくさん予定があったので、ストリップを観に行ったり、上野の博物館に行ったり、プライドパレードに参加したり、無理のない程度にぼちぼち楽しんでいたわけです。だけど、プライドパレードの夜に高熱がでて、週が明けても仕事に戻れない状態が2日間続きました。通っていた耳鼻科では、ヒノキの最後のピークだったからねと言われ、普段と同じアレルギーの薬だけを処方されました。これで良くなるだろうと思っていたけれど、熱は下がっても、喉の炎症は治ることがなく、声が出なくなりました。薬が全然効いていないと思いつつ、ヒノキの花粉はいつまで続くのかと思って、以前調べてもらったアレルギーの一覧表をみてみると、そもそもヒノキのアレルギーがなかったことがわかって、別の医師の意見を仰ぐことにしました。

そのころには、喉の状態はかなり悪くなっていて、かなり「こじらせた」状態になっていました。しゃべれないし、しゃべるとえずいてしまうくらいの状態で、「このヤブ医者め」という気持ちと、素直に花粉症だろうと思っていた自分に腹がたちました。新しい病院では、炎症を抑える薬と、幾つかの漢方を処方され、すぐに状況は改善していきました。だけど、その一方で、ひとつ気になることがありました。水を飲む量が、一気に増えたことでした。新しい病院でも、そのことについて相談したところ、喉の炎症を抑える頓服薬の副作用かもしれないと言われました。だけど、薬を飲み終えても水を飲む量は一向に減らない。喉の渇きは癒えない。その状態が1週間ほど続いて、再度病院で相談したら今度は内科に見てもらったほうがいいということになりました。

それから今までの3ヶ月間、水を飲む量はどんどん増えていきました。3リットルとかそういう次元ではなく、1日10リットルを超える量です。そして、それと同じくらいの量を排泄していました。夜は少なくても3回はトイレに起き、その都度水を1リットルから1.5リットルくらい摂取しないと眠れない。飲む量もどんどん増えていきました。入院直前には、夜に水休憩と称して、30分くらい大きな水筒を横に置いて、水を欲する気持ちがなくなるまで飲み続けるような状態でした。ひどいときは、嘔吐を繰り返すこともありました。そうすると、何もかもおかしくなる。消化器官もおかしいし、眠れないから疲れやすいし、つめたい水を飲みたくなるから体も冷える。仕事も集中できない、趣味にも力が入らない。それに、内科から処方された様々な薬は、一向に効果がでませんでしたし、血液検査や尿検査をしても、結果はわかりませんでした。そういう生活を3ヶ月間続けていたせいか、体力も精神力もいろいろ消耗しきっていました。

仕事が忙しくなってきた時期と症状が出てきた時期が重なっていたので、メンタルが原因ではないかと、内科の医師から地元の精神科を紹介されて、そこで診てもらう予定でした。だけど、紹介状が別の病院宛になっていたなど、様々なアクシデントがあり、結局当初予定されていた精神科ではなく、もっと大きな総合病院に行くことになりました。内科の医師が、メンタルの問題ではなく、私の検査の結果を見ていてある病気に思い当たったからでした。今思えば、そのアクシデントも幸運だったのかもしれない。

総合病院では、内分泌科の診断を仰ぐことになりました。そこからはとんとん拍子でした。血液検査と尿検査をして、その場で確認できた数値から、すぐにメンタルの問題ではなくて、脳の問題の可能性が高いということと、急遽検査入院が必要だということがわかりました。それに、もしその病気であれば、この先、一生治らないということも。

急いでパートナーに連絡し、職場にも連絡をしました。入院のために、いろいろ準備を進めないといけないという気持ちと、仕事を急遽休まないといけない不安や、入院費用のこと、今後の生活など、いろいろなレベルの「どうしよう?」が無数に頭の中に浮かんできては、捕まえる前に見えなくなりました。病院から出た瞬間、右も左もわからないほど狼狽していました。2ヶ月ほどメンタルの問題だと思っていたところから、思いもよらない方向に舵が回っていって、心がその方向転換に追いついていなかったからです。本当に、すごくすごく怖かった。パートナーが仕事の休憩時間に抜け出してくれて、 病院近くのタイ料理屋で一緒に昼食をとりました。薄暗い店内の中で、今後のことを説明しながら、怖さと不安で大いに泣きました。

だけど、一通り泣いて、不安を吐露したら、不思議と心は立ち上がってくるもので、タイ料理屋を出るときには、次に進まないといけないという気持ちになっていました。気持ちを整理しつつ、次にやるべきことにまっすぐむかうような。不幸中の幸いだとまで思いました。もし、そのまま精神科に行っていたら、原因の特定が遅れていたかもしれない。取り返しのつかないことになっていたかもしれない。そう思うことで、これから自分が向きあわないといけない現実と対面しました。職場でも、自分が置かれている状況などを話し、すぐに休暇をいただくことができ、検査のために入院できることになりました。その先は、ただ、前に進むだけでした。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

Reviewed by
山中 千瀬

‪気づけば喉の渇きが癒えなくなってしまっている。たくさん水を飲む。悪い偶然やいい偶然が重なる。わー、Maysaさん、どうなってしまうんだ! 来月が待たれます‬

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